充溢 第一部 第十二話
第12話・5/7
茶葉は尽きる度に採りに行く。採りに行く度、老人の家に立ち寄りお茶を飲む。
朝早めに出かければ、城壁の閉まる前に戻れるので、このスケジュールはお気に入りだった。それがこんな風に蹂躙されるなんて、冴えない朝だ。
「お、お前たち……」
アントーニオが狼狽える。早朝、工房前に集合したのはアントーニオ……とポーシャ、ネリッサだった。
「ガキじゃ足手まといだろ」
露骨に邪魔臭そうにする。
「大丈夫だ、屋敷に戻れば馬がいる、儂とネリッサはそれで行くから心配するな」
飄々と答える。
「大丈夫じゃねぇだろ」
男は独り言を呟いているので、面白くなってこういってやった。
「心配したってどうにもなりませんものね」
かくして、一行は丘の鐘楼を目指した。
問題の草は、忌まわしい程に生い茂り、見分けの付きやすさは厭わしい程だ。葉を集めながら先に進む。
エプロン一杯に集めるネリッサの後ろ姿が可愛い。慣れた手つきの自分は負けたような気がした。勝ち負けではないのだけど。
それにしても、マクシミリアンが置いてけぼりなのは、やや気の毒だ。あれもあれで、それなりに仕事はあるのだ。
ポーシャが駆けまわり、談笑に花を咲かせ、楽しく仕事をする。
仕事は一人の方がよいと思い込んでいたので、新しい発見でもあった。
馬に結いだ籠をいっぱいにして、愉快な遠足は、鐘楼にまで達した。
「あらまぁ、今日は大勢で。
これはポーシャちゃん!」
確かポーシャと老人は顔見知りのはず。どう乗り切るのだろう?
ポーシャを見ると、ネリッサのスカートの陰に隠れる。相変わらず子供の演技がうまい。
「母さん、そんな訳がなかろう。もう十年以上も前の話じゃないか」
お爺さんは、申し訳ないと言う顔をしながら、老婆に諭す。
「ええ、奥様。お名前は同じですが、人違いですわ。彼女の姪です」
「そうかそうか……そうじゃなぁ。さぞかしお美しいご婦人になられたんじゃろう」
愛おしそうに遠くを見つめた。
ネリッサは笑っていたが、ポーシャは後ろ向きに寄り掛かり、面白く無いと言う顔をしていた。
演技なのだろうか?
お茶とお菓子を戴き、昔話に花が咲いた。
その頃は、まだネリッサはポーシャに仕えていなかったので、彼女は興味津々でその話に耳を傾ける。
尤も、深い話はない。遊びに出かけて、休憩に寄ったことがきっかけで、一時期何度もお邪魔したらしい。
美しい草原と少女の思い出に浸り、二人は幸せそうだ。私も嬉しい。
「も~。そろそろ帰るぅ」
ポーシャがぐずりだした。演技は間違いないが、しかし気持ちは察することが出来た。
否応なく過ぎて行った時間を聞かされる。歳を取らない彼女にとって、これ以上の不快な話はないだろう。思い出は、現実と切り離してこそ美しいのだ。
それを察してかネリッサは話を続ける。ここぞとばかりにいじめてやるつもりだろう。
「お姉さんと一緒に、お外で遊びましょうか」
見かねてポーシャを連れ出そうとする。
「やだ! ネリッサと行く」
「ポーシャは我が儘だなぁ」
アントーニオも調子に乗る。イラっとしたので、こちらも攻勢に出る。
「あら、"お兄様"。気取っちゃって。家ではベタベタしているくせに」
「ス、スィーナー、なんて事を言うんだ!」
男は見事狼狽えた。
「ポーシャも甘えたいときは甘えて良いんですよ」
これだけ引っかき回せば、ネリッサも話どころではなくなるだろう。
「あらあら、ポーシャちゃん、少しおねんねする?」
今度はお婆さんの番かよ。
「寝たくないもん!」
仏頂面で、だだをこねる。しかし、ネリッサもアントーニオも、この老夫婦の話にいたく興味を持っていたし、また、久しぶりに賑やかになったこの家人も、この来客を引き留めたかったように見えた。
「ネリッサ、おしっこ!」
「ははは、おしっこか。母さん、連れて行ってやりなさい」
老人は喜ぶ。
「やだ、ネリッサと行く!」
「ポーシャ、我が儘はよしなさい」
男も悪のりする。
周りのテンションがいよいよ不快極まりなくなってきた。ここまでポーシャがごねるのに、理由がないはずがない。
「ネリッサ、早くポーシャを連れて行きなさい」
ネリッサには悪いが、主人の役として命令させて貰った。
「スィーナー、何を怒っているんだ」
「お兄様は黙っていて。ネリッサ、直ちに行きなさい」
ネリッサは『おお怖い』と言うジェスチャーと共にポーシャを連れて行った。
「ご免なさいね。メイドの躾がなってなくて」
老夫婦の表情が固まる。二人から見れば、私の澄ましてみせた顔も憤怒に満ちて見えるだろう。
「あいや、こいつ、朝から機嫌が悪くて……」
ああ、この老夫婦に悪い印象を与えてしまった。これからもずっと、度々は訪れてお茶を楽しみたいのに。ポーシャの馬鹿。
「また日を改めて覗います。申し訳ございません。
ポーシャもあんなふうですし――今度はもっと楽しいお話をしましょうね」
何から何まで最悪な気分になった。自分が悪いとも言えるけれど、なんとも腑に落ちない。
とにかく、アントーニオを引っ張って、その場を立ち去った。ネリッサもじきに表に出てくるだろう。
作品名:充溢 第一部 第十二話 作家名: