充溢 第一部 第十二話
第12話・2/7
アントーニオは工房の外で待っていた。
「ん~。スィーナー、こんないい男と出歩くんだ、もう少し良い服を選ぼうじゃないか」
男は肘に手を当て、得意げに服装を評価していく。
言葉の内容よりも、気取った調子に、小馬鹿にされた気分になった。
「服の事はともかく、あまり気安く呼び捨てしないで下さい。あと、あなたの事をいい男だなんて考えていませんから」
「悪かったよ、お嬢様」
男は手を開いて首を振る。やっぱり、この調子には腹が立つ。
「あまり人をおちょくらないで貰います? ポーシャだけで手一杯なんですから」
いじられている自覚があるんだと、男はしたり顔をする。
あの人のことだから、その自覚は嫌でも持つしかない。持っていたところで、どうにかなると言う訳でもないのだけど。
残念そうに伝えると、男はそれもそうだと合点し、頭の悪そうな笑い声をまき散らす。腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい。こう言う男だ。
「なんにしても、その服は拙い。拙いぞ。
よし、カフェはキャンセル、服を買いに行かなくちゃ」
口答えする隙も与えず、男は精力いっぱいに引っ張っていった。
学園を背にして繁華街へ足を伸ばす。
金がないと言えば、大丈夫だと二度言い、ケバいのは大嫌いだと伝えれば、知っていると二度答える。
何を知っているんだ――憤るよりも先に、不安の方が立つ。心配を余所に、居並ぶ店の構えは次第に豪奢になっていく。
そうして、ここだと辿り着いた店は、十分に高そうな店だった。
驚きと抗議の声を浴びせても、知らぬ顔で入って行く。恐ろしい男。
洋服屋に行くのは、実はそれほど好きではない。女の子はお洒落をするものだと決めつけている人間は多いが――否、自分自身にはそのような姿に憧れる部分がないと言えば嘘だが、しかし、同時に自分がそうする姿が妙にむず痒い。むず痒い故に、何をどう着こなすべきか、そう言った智慧や感性を身につける機会がなくなるのだ。今までがそれどころでなかった、と言うのも大いに原因になるのだけれど――言い訳かな。
男は店に入るなり、大張り切りで服を選び出す。近所に出かける服から、デートにでも使えるような服、店を梯子し、アクセサリーまで選び出す始末。
仕舞いには、新調させてやると、採寸までさせられた。巻き尺を当てる店員は私のことをどう思っているのだろう。
送り先の住所を聞かれる場面に出くわし、要らぬ好奇心が芽生える。『この男はどんなところに住んでいるのか?』
傍からこっそり覗くと、ポーシャの屋敷が示されていた。覗きの後ろめたさは吹き飛び、声を上げる。
「黙っていて」
男は耳元で優しく囁く。そして事が終わると、相変わらず、大丈夫とばかり繰り返す。
腹を立てたのは送り先ばかりか、その支払いだ。どの店もツケにしている。
大丈夫なものか。万が一の時を考えると、どうにもこうにも盗品をもらったようで気分が悪い。それに、こんなチャラい男が何も無しに、こんなに金を使うだろうか? こんな小娘に。
居ても立ってもいられず、問い詰める。何を考えているのかと。
「考えてどうするよ?」
とぼけた顔で答える。こんな時は、いつもこの調子だ。
むしろ、どうして考えないで済むのか? しつこく言い立てる。
「どうせ俺なんてまともな死に方しないんだし」
何か悪い快楽主義にでも触れた気がして無性に腹が立った。
「私、こんな事で喜びませんからね!」
「ああ、いいよ、それで。俺は、俺のしたいことをしているだけだ」
本当に馬鹿な男だ! 本当にそれだけがしたいこと!?
「そ、それに、そんな事しても――その……」
自分の作った勢いに飲まれ、追い越され、声が詰まる。どう考えたって、そういう結論しか出てこない。
「だって、貴方――いえ、だから、私、そんな――無理です!」
自分で自分の顔が真っ赤になっていることが分かるほど、高揚していた。
その顔を見て、こちらの考えている事を悟った色男は、大いに笑った。腹を揺すって哄笑した。
「うぶなのか、妄想がすぎるのか……いやいや、俺だって男だから、何かあれば何かする。
でも、そこまでガツガツするほどモテない男じゃない」
聖人のような顔つきで穏やかに反論した。
「そ、そんな事言って、誤魔化そうとしてもダメですよ!」
「じゃぁ、期待していたのか?」
男は馬鹿笑いを再開する。
「馬鹿!」
最悪だった。もう疲れた。早く帰って寝よう。明日はポーシャに言って、どうにかしてもらおう。
碌に挨拶も告げず、工房の入り口で分かれる。
男はそれでも機嫌を維持していたのが不思議でたまらない。
それにしても、何故、ポーシャの屋敷に――ベッドに入ってからようやく意図に気づいた。こんな小さな工房に高級な服やアクセサリーが運び込まれれば、それを運ぶ人間も、近所も、変な顔をするに違いない。
他にも細かい気遣いに今更気づく。服選びも自分の好みを注意深く見定めていた。
趣味やモノは良くとも、無駄に金が掛かったように見えないコーディネートだ。正直、試着は凄く――悔しいほどに楽しかった。
その場で着替えた服だって可愛くて、気に入っている。また着たい――でも着れないだろうな。
お金の面については、腹立たしいが、そんな一面だけで腹を立て、勝手に勘違いした自分が酷く憎らしい。
枕から顔を離せないまま深い眠りに就いた。
作品名:充溢 第一部 第十二話 作家名: