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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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『キラービー』つまりブラジル・サンパウロの養蜂研究所から逃げ出した、交配実験から生まれた史上最悪のミツバチである。
 おとなしく扱いやすいヨーロッパ産の種に、凶暴で扱いにくく、しかし大量の蜜を集める能力のあるアフリカ産のミツバチを掛け合わせて造られた、いわゆる「アフリカナイズドミツバチ」のことである。

 交配実験の結果、蜜を集める能力は向上したが、凶暴性はそれをはるかに超える増大ぶりで、とても養蜂では使えないことを知った研究所では、女王の分蜂をさせないために、出入り口の大きさを制限した巣箱で飼育し、体の大きな女王を外に出さないように気をつけていたのだが、研究所を訪れた養蜂家が勘違いをして出口を広げてしまったのである。

 その結果この殺人蜂の女王は、多数の働き蜂を引き連れてアマゾンの大森林へと飛び立ったのだ。そして驚くべき繁殖力で爆発的に数を増やし続け、南米大陸を凄まじい速さで北上し、今では北アメリカ大陸に進入するまでに分布を広げてしまったのである。
 その攻撃性は激烈で、巣に近づくものはすべて刺し殺す。
 たとえ逃げても、延々と何キロも追いかけて、死ぬまで刺し続ける。
 当然ミツバチなので、一回刺すと死んでしまうわけだが、そんなことはお構いなしである。
 ギネスブックにはこいつに一万三千七百五十三回も刺されて、その針で体が黒くなってしまったアメリカの婦人の話が載っている。
ブラジルでは、この原因を作った養蜂家の名前を公表していない。
公表してしまうと、このハチの犠牲になった遺族から復讐され、多分殺されてしまう事が容易に想像できるからである。
それほどたくさんの人間が、この殺人ミツバチによって死亡している。
アマゾンではオンサやアナコンダより、ある意味この昆虫の方がずっと人々の脅威となっている。
ちなみに日本ではミツバチの天敵となる世界最大のスズメバチ、オオスズメバチが君臨しているので、この凶暴なキラービーと戦わせたら一体どんな壮絶なバトルが展開されるのかに、ひそかな興味を禁じえない作者ではあった。
しかし今はそれどころの話ではない。
ここは南米だし、ブラジルから北上してきたミツバチは、当然このコロンビアの熱帯雨林にも、すさまじい数のコロニーを作っているはずである。
 絵里の投げたカービン銃は、偶然そんなキラービーの巣の一つを直撃してしまったのであった。
凄まじい羽音をうならせて、怒り狂った黒い群れはだんだんと膨れ上がり、自分たちの巣を脅かした敵を探そうと周辺を探査し始めていた。

「これでもくらいやがれ!」

ゲリラの一人がおもむろに手榴弾のピンをはずし、カービン銃が消えた藪の中をめがけて投げつけた。

 すさまじい爆音が響く!

 しかしその衝撃はキラービーをさらに怒らせる効果にしかならなかった。
 たちまち何万匹もの蜂がゲリラの二人を見つけると、すさまじい羽音を響かせて彼らに突進してゆき、たちまちのうちにその黒い霧の中に獲物を包み込んでしまう。

「うわぁぁーーー、た、助けてクレーーーー!!」
「ひぃぃぃーーーーーーーーーーーーーー!!」

 その時、もうひとりのゲリラが投げようとしてピンをはずした状態の手榴弾が、彼らの足元に転がった。
 一瞬、キラービーの事も忘れ二人の表情が凍った。
 次の瞬間!
 再びすさまじい爆発が起こり、ゲリラ二人の身体は砕け散った。
 その衝撃は絵里をも襲い、地面に伏せながら絵里は悲鳴を上げた。

「キャー!」

 キラービーは爆風に吹き飛ばされながらも、その怒りは収まる様子はない。
 一瞬ひるんだものの、また体勢を立て直し獲物を探し始める。
手榴弾はこの凶暴な蜂にさらなる怒りを植えつけたに過ぎなかった。
 次第に高まる振動音を聞きながら、絵里は意識を失いそうになっていた。
 この時幸運だったのは、絵里は明るい黄色のワンピースを着ていたことだった。
 おまけに、ジャガーとアナコンダの襲撃に巻き込まれたとき、地面の土ぼこりが巻き上がり、彼女の髪の毛を白く覆っていたのも幸いした。
 ミツバチは基本的に天敵である熊や、ラーテル、ジャコウネコ族の獣を警戒する。
 必然的に彼らの体毛を連想する黒っぽいものに攻撃の矛先を向ける習性がある。
 絵里は偶然にも全体的に白く、ほんの数秒間キラービーの注意から逃れた。
 絵里はふらふらになりながらもゆっくりと身体を起こし、その場を離れようと四つんばいで這いずり出した。
 その動きがキラービーに見つかることとなる。

 舌なめずりをしながら、数万匹の蜂がついに絵里に向かって襲い掛かった。
二回の手榴弾の爆発で、脳震盪を起こしていた絵里は、近づいてくる蜂の群れをかろうじて認識しながらも、いうことを聞かない手足を必死で動かせ、少しでもこの場を離れようともがいていた。
するとその時!
ひゅるひゅると音を立てて、どこからか飛んできた何かが、絵里のすぐそばで爆発した。
もうひとつその爆発は起こった。
急激に視界が真っ白になってゆく。
あたり一面に焦げ臭い、真っ白の煙が立ち込め、それに呼応して絵里の意識はさらに薄れていく。
「げほんげほんげほん」
激しく咳き込んでいるとき、絵里の後ろから腰の辺りに手を回し、誰かが絵里を持ちあげた。
ほとんど抵抗する力もなく、肩に担ぎ上げられ、どこかに移動し始めるのを感じながら絵里の意識が遠ざかってゆく……その刹那!
激しい水音と共に冷たい水が急激に身体を包み、絵里は意識を取り戻した。
水中でもがく絵里の手を強引に引っ張って、謎の人物は泳ぎだす。
十秒ほどの潜水の後、顔を出した場所は、川岸からたくさんの草が水面に伸びている陰だった。
あわただしく音を立てて空気を吸い込むと、急に顔を手で覆われた。

「シッ、静かに息をしろ……。」

 その男はポルトガル語で話しかけてきた。

「は、はい」

 思わず日本語で答える絵里。

「お前、日本人か?」

 今度は日本語で男が話す。

「は、はい?」

語尾がつり上がってしまった。
男の顔は草陰に溶け込みよくわからないが、こんな場所でこの状況で日本語を聞いたために、急激な安堵感からか、今度こそ意識をなくした絵里は、ぶくぶくと泡を立てながら川に顔を沈めていった。


















第六章「絵里と俊作」


かろうじて絵里を支えたまま、水辺に潜伏していた俊作は、キラービーが静まったことを確認して岸に上がった。
 カヌーをもやってある大きな切り株まで絵里を背負い、そのまま船に横たえて川を遡った。
 ベースキャンプに着いた時には、時刻は正午をまわっていた。
テントの荷物からビニールシートを取り出し、地面に広げておいて、カヌーに寝かせている絵里を横抱きにして運んでシートの上に横たわらせる。
あらためてその少女を見ると、頭には砂粒がいっぱい付いているし、水草が何本も髪の毛に絡みついていてまるで土左衛門のようだ。
着ている服は黄色いワンピースで、およそ熱帯雨林の中で着るものではない。
よほど疲れていたのか、いっこうに目を覚ます気配がない。
あらためてこの少女が何者で、一体なぜこんなところにいるのかに疑問を持つ俊作だった。