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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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 ワニをも殺す密林の王を、襲うことの出来るアマゾン唯一の生き物。
 
 それは長さが十メートルにもなる世界最大の蛇アナコンダであった。
ジャガーは必死で蛇の戒めから逃れようとするが、ジャガーの一呼吸ごとに食い込むその締め付けは緩む気配を一切見せない。
強靭な手足と鋭い爪、数知れない獲物に打ち込んできた巨大な犬歯、いずれの武器も今回ばかりは役に立たなかった。
後頭部に噛み付いたアナコンダは、たちまちのうちにジャガーの四肢の動きと頭部の自由を封じ、同時に何トンもの圧力を獲物の腹部に送り続けたからである。
 やがて血流と呼吸を止められたジャガーは、最期の断末魔に大小便を撒き散らし、筋肉を硬直させ痙攣する四肢を限界まで伸ばし、妙にたなびくかん高い声を、最期の空気と一緒に肺から絞り出し、ついに動きを止めた。
 アナコンダはその後も締め付けるのをやめない。
 十分に締め付け、心臓が鼓動を完全に止めるまで締め続けるのである。

 やがて締めるのをやめたアナコンダが、ジャガーを頭から丸呑みし始めたとき、絵里はようやく腰が抜けていたのが回復し、おそるおそるその現場から離れようとしていた。
 たまたま近くに転がっていた、カービン銃以外の装備はあきらめざるを得なかった。
 アマゾンの2大猛獣の襲撃を受けて、命があったことだけでも奇跡のようだった。
 しかし装備のすべて、特にろ過器を失ったことは致命的だった。
 なんとかしてのどの渇きが限界を迎える前に、人里を見つけなければ。
 絵里にはもう眠る床さえもないのである。


午後も大きく過ぎた頃、絵里は空腹とのどの渇きで歩けなくなった。
 ただひたすら川のそばを離れずに、進むことだけを考えてきたが、もう限界だった。
 出来るだけアリのいない岩場を選んで、へたり込んでしまう。 
 いよいよ最後の手段、川の水に口をつけなければいけないのかと覚悟を決めようとしたそのとき、たった一つだけ残った装備、抱きかかえたカービン銃をしげしげと見た。
そしてそのカービン銃に折りたたみ収納されたナイフがついているのを発見した。

「ナイフかあ、お魚でも獲れれば、三枚にさばくのは得意なんだけどなあ…。」

 仰向けに岩の上に寝転んだ絵里は、頭上にかぶさるように生い茂るジャングルの天蓋を見るともなく見ていた。
 そして、昔自分にトラウマを植え付けたあの映画のことを、再び思い出した。

「そういえば、あの映画に植物から水を飲むシーンがあったわ…、確かあれは…」

 何かを思い出したように絵里は身体を起こし、カービン銃からナイフをはずして近くの樹に近づいた。
 そしてその樹に絡み付いている、十センチほどの太さの蔦を引っ張って、ナイフを一撃打ち込んでみた。
 するとその切り口がたちまちのうちに湿りだし、水滴があふれてきた。
 あわてて夢中でその切り口に口をつける。
 味わう余裕などない、ちゅーちゅーと音を立てて吸い続ける。
 もう一撃、ナイフでえぐると、水が滴り落ちてきた、結構な量である。
 夢中で滴る水を口に受けて飲み込んだ。
絵里は生まれてから今までで、こんなおいしい水を飲んだ事がなかった。
次から次にあふれてくる水は、乾ききったノドをすっかりと潤すのに十分な量であった。
その時、密林の中から突然声がした。

「動くな!」

 驚いて振り向く絵里。

「やれやれ、こんなところまで逃げてきていたのかお嬢さん。」

「とんだおてんば娘だぜ、へっへっへ!」

 下卑た笑いを顔にへばりつかせた男が二人、藪の陰から出てきた。
 二人ともカービン銃を肩からぶら下げ、テルザードと呼ばれる大きな山刀を右手にもっている。
 腰の辺りには丸いこぶし大の手榴弾が何個もぶら下がっている。
 男たちは三十から四十歳くらいに見える。
日に焼けていて肌が浅黒く、ニヤつく口の中は虫歯でいっぱいだ。
 人生で一度でも歯を磨いたことがあるのだろうかと、場違いなことを思ってしまうのが絵里らしいところだが、今はそれどころではない。
 明らかにこの二人は、父と自分を拉致したゲリラの仲間だ。
 あんなに必死に歩いたのに、ついに追いつかれてしまったのだ。

「お、おとうさんは…」

 恐怖に震える声で絵里がきくと、げらげらと笑って一方の男が言った。

「とっくに捕まえてムーソの基地に連れて行ったさ、お前もおとなしくしたほうがいいぞ、痛い目を見たくなかったらな。」

「いやいや、それは違うぜアミーゴ、」

「何だよアミーゴ。」

「おとなしくしてても痛い目にあうかもしれないだろ、うそはいけないぜ!」

「ああ、そうだったな、うそはいけないねうそは!」

 ぎゃははははははははとまたしても聞くに堪えない笑い方で顔をゆがめる二人を見て、絵里は察した。
このままでは何をされるか分からない、下手をしたら殺されてしまうかもしれない。
ここはジャングルで自分を守ってくれる法律も、警察もいないのである。
でも自分には出来ることはもうあまりない。
身体ももう動かないし、武器もない…い、いや、武器は足元にあった。
絵里はすばやくしゃがんでカービン銃を手にし、そしてためらわず二人めがけて引き金を絞った!

「えーーーーーーいーーーー!」

絵里はこのとき本気でこの二人を撃つつもりだった。精神的に追い詰められていたし、相手も銃を持っている。
どこか身体に当たればその隙に逃げられるし、なにより正当防衛だ!
 だがしかし、銃はうんともすんともいわなかった。
 一瞬、ジャングルに静寂が戻った。
銃を構えた絵里を見て、一瞬緊張した二人だが、あわてる絵里を見てまた爆笑しだした。

「いやー、勇敢なボニータだ、りっぱりっぱ。」

「でもパパからはカービン銃の使い方までは習ってなかったんだね、ぎゃはははは!」

 切羽詰った絵里はもうやけくそになっていった。
 カービン銃の銃身を両手で持ち、ちょうどテニスの両手打ちのバックショットを打つように背後へ思いっきり振りかぶった。

「近寄らないで、なぐるよ!」

 男たちはニヤつきながら気軽な足取りで絵里に近づいてくる。

「来ないでーーーーーーーーーー!」

 絶叫とともに、絵里は振りかぶった銃を、二人めがけて思いっきり投げつけた!
 ゲリラの二人は、笑いながらそれをよけた。
 目標を失った銃は藪の中に吸い込まれ、木の幹か何かに当たったのだろう、ガッシャーンと音をたてたあと沈黙した。

「おお危ない危ない、当たったらどうするんだこのアマ!」

「さてこれでもうやれることは全部しつくしたねお嬢さん」

「ヒッ……!」

 後ずさる絵里。
 足が震えている。

「今度は俺たちの番だ……んっ」

 近づいてくる二人がふと足を止めた。
 何か音が聞こえる。
 何かすさまじい振動音がどこからか聞こえてくる。

 その音はカービン銃が消えた藪の方向から急速に広がりつつあった。
唐突に黒い霧のようなものが藪の中から噴出してきた。
それらは急速に広がり、まるで獲物を探すかのようにゆらめきだした。

「キ、キラービーだ!」

「うわ、わわわーーーーっつ!」