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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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 俊作は幻の蝶に出会えたことで、今までにない興奮が身体を包むのを感じていた。
 すでに近藤との約束など頭からすっかりなくなっていた。
 
「この蝶を採るまで、絶対ここを動かん!」
 俊作は固く心に誓った。
 そしてその決意は早々と、変更せざるを得なくなった。













第四章「森の人」


カスタニアの上の秘密基地は、意外と快適だった。
 わずかに人が座れるくらいのスペースに丸木を何本か敷き詰め固定し、その上に防虫用のマットを敷き、さらにエアで膨らませる座布団のようなクッションを置いただけの簡単な床に、一瞬で折りたためる軍のビバークテント(ほとんど傘のようなもの)をかぶせて雨風をしのいでいる。
 しかし、あぐらをかいた足元で小さなIHコンロも使えるし、カスタニアの幹をナイフで傷つけて樹液を採集すれば、ほんのり甘いミネラルいっぱいのホットシロップも作れる。
俊作はカレイラにもらったコロンビア政府軍の装備の中で、この小さなIHコンロが一番気に入っていた。
普段は棒のようだが、広げると直径が三十センチほどのパラボラ状に展開する太陽電池がついていて、小さなバッテリーは、フルに充電すると一時間以上の連続フルパワー稼動ができる。このちいさくも高性能なIHコンロは、ジャングルでできるだけ煙を上げさせないための工夫であった。

「まったく、技術の進歩とは恐ろしいもんだな。そのうち弁当箱くらいのエアコンも出てくるんじゃないか。……しかし、こうして木にとまって樹液を吸っていると、まるでセミになった気分だな。」

 苦笑いしながらも実に楽しそうな俊作。
 メイプルシロップに似たカスタニアの樹液を沸かしてコーヒー代わりに飲みながら、自生しているマンジョーカ芋を水でさらした粉を主食に、一昨日しとめたペッカリー(南北米生息のイノシシ君)の醤油煮込み肉をおかずとした朝食を摂る。
 
 カスタニアの花は満開で、日本の栗の花のにおいに似た香りを周り中に漂わせている。
 朝も七時をまわろうとしていた。
 ぼちぼち昆虫たちも朝ごはんを食べに、カスタニアに集まりだしたようだ。
 そそくさと朝食をかき込み、簡易テントを一瞬で折りたたみ、食事道具を片付け、それらをサバイバルキットのバッグにしまい樹からつるした。
 やはり樹からつるしてあった愛用のカーボン竿を引き上げる。
 ばね仕掛けで五段階の長さ調節が一瞬で出来る繰り出し装置を点検する。
 気持ちのいい発射音が空気を切り裂いて、手元の一メートルほどの黒い竿が一瞬で八メートルの長さに伸びた。
 この竿は俊作愛用の手作り品で、ボタン操作で伸び縮みが一瞬なため、近くにいる獲物も、遠く樹幹の獲物も瞬時に対応できる。
 素材も軽くて丈夫なチタンカーボノイド製なので、手元に縮めている時は振り回して武器としても使えるし、八メートルに伸ばしても、下手をすると棒高跳びのように使っても、俊作の体重を支えられるほどに頑丈である。
 俊作はこの愛用の竿に名前をつけて可愛がっているのである。

「さあアン、今日こそ青い淑女を拉致しようぜ!」

 ちなみに「アン」とは俊作が大学時代に付き合っていた、インド人留学生の女の子の名前である。
アンの先端にはねじ込みの穴が開いていて、俊作はそこに直径五十センチほどの大きさの網を取り付けようとした。

 その時!

 大気を揺るがして何かが爆発したような大音響が響き渡る。
 カスタニアの花に取り付いていたさまざまな鳥や昆虫が、驚き慌てふためいて飛び立つ。
 なんとその中に、青色メスの姿もあるではないか!

「くそっ!!」

 その姿を横目で見ながら、爆発音のした方向に急いで目をやる。
 俊作のいるカスタニアから少し北に入ったところから、悲鳴が上がった。

「うわぁぁーーー、た、助けてクレーーーー!!」
「ひぃぃぃーーーーーーーーーあっちへいけぇーー!!」

 ポルトガル語である。

 続いてまたしても爆発!
振動で揺れるカスタニアの大木!


「キャアーーーーー!!」


 今度は女性の声と思われる悲鳴が混じる!
 と見る間に木々の上に黒々と爆発の煙が上がる……いや、そうではない。
 俊作はその煙を見るなり小さく呻いた!

「まずい、キラービーだ!」

 小さく舌打ちをした俊作は、手元の枝にかけておいた口径の大きな、ライフルと信号弾の中間のような形状の銃を取り上げ肩にかけ、緊急脱出用のザイルの束を地面に向け、放り投げた次の瞬間には目にも止まらぬ速さで懸垂下降していた。





















第五章「一期一会は森の中」


絵里は顔に吹きかかる、ものすごい匂いの風で目が覚めた。
 一瞬どこにいるのかが分からなかった絵里は、億劫そうにまぶたを上げる。

「う、うぅん、なに、このくさい匂…」

 目の前に巨大な牙を供えた大きな口があった。
 本当に目の前、目の三センチ前くらいである。
 絵里のハンモックをくくりつけた頭側の樹に、そいつは身体をのせ、絵里の顔を覗き込んでいるのであった。
 オンサ、森林ライオン、いろいろ呼び名があるが、南米大陸の広大なジャングルの王、巨大な猫科の肉食獣ジャガーが今、寝起きの絵里の顔の匂いをかいでいるのであった!

「!」

 あまり現実とかけ離れている状況に陥ると、一種、人は意識を現実から乖離させると言う。
 絵里もまた恐怖より、何かバラエティ番組のドッキリでも見ているような気分に陥った。
 しかし陥っているのは餌である絵里だけで、ジャガーの方は、あまりにも簡単に朝飯が手に入りそうなこの状況に、ココロの底から喜んでいた。
 後は首筋に噛み付いて、頚骨に牙を打ち込み、ちょいとひねって神経を食いちぎれば、たいていの獲物は動けなくなる。
 いつもの食事前のなれた動作である。
 ではいただきます、とばかりにジャガーは大きく口を開けた。
その時、ジャガーがいる樹の上から何か巨大なものがハンモックめがけて落ちてきた。
 それは今や絵里に噛み付かんと大口を開けていた、森の王様の後頭部付近にものすごい勢いでぶつかってきた!
 その弾みでジャガーの顔は絵里に突進し、絵里はかろうじてそれをかわした。
 ジャガーと得体の知れない何かともども、絵里は引きちぎれたハンモックとごっちゃになって地面へと落下した。


「ドグラベッチャラきゃーブッシャーフギャオ!!!」


 真ん中あたりにかろうじてあるひらがなが絵里の叫び声である。

 地面にたたきつけられた痛みは、偶然下敷きになった、なにか太い丸太のようなクッションでやわらげられ、ものすごいわめき声と土煙の中、必死ではいずって藪の中に逃げ込んだ絵里の目に入ったもの、
 
それは!

 猛烈な土煙を上げてのた打ち回るジャガーに、何か黄色っぽくて黒っぽいタイヤのようなものが巻きついていた。
 驚いたことにそれは、ジャガーの胴体ばかりでなく、ほとんどからだのすべてに六重にも七重にも巻きついていて、ジャガーは苦しみと怒りのすさまじい表情で叫び続けている。

 ジャガーの後頭部には、その長いタイヤの先端がくっついている。
 いや、噛み付いている!