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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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 ムーソ・エメラルド鉱山はギアナ高地のふもとに広がる雲霧林帯の奥深くにあり、政府軍もなかなか大規模な軍事行動に出られない自然の要害に囲まれた地にある。
 おまけにここの鉱山から産出するエメラルドは世界最高水準を誇っている。
 今なおゲリラの資金源の一つなのだろう。

「シュンサック、がっかりするな、エメラルドなら俺の持つ鉱山(ヤマ)のもムーソに負けてないんだぜ、必要ならいくらでも用意してやるよ。もっともお前は宝石より虫の方が大切な変な野郎だがな!」

 わっはっはっはと大笑いするコンテを見ながら苦笑いする俊介は心の中でつぶやいた。

「お前の言う通りだよコンテ。俺はムーソのエメラルドなんかに興味はないんだ。……ただ、あの鉱山の周辺にしかいないのさ、俺の目指す幻の蝶、『キプリスモルフォ』はね。」

学園長が絶滅動物図鑑をひらいて俊作に見せた青い蝶、それはキプリスモルフォと呼ばれるモルフォチョウの一種だった。
 世界三大美麗蝶と称されるモルフォは青く輝く蝶で、南米を代表する生きものの一つである。
 その羽根の色は「構造色」と呼ばれる特殊な輝きを持っていて、鱗粉の微妙な凹凸と配置が光を反射して生み出される。
 見る角度によって変わるこの反射光は、蝶の羽根に信じられないオーロラ効果をもたらす。
 蝶自体も巨大な種が多く、アマゾンの広大な熱帯雨林の樹冠を雄大に飛ぶこの蝶は、数キロ先からでも視認できるほど強い光を放つのである。
 たくさんの種類を抱えているモルフォ属であるが、その中でも特に輝きが強く、しかも生息場所が限られているので珍重されるのが「キプリスモルフォ」である。
 その輝く青いオーロラの羽は一度見たものの心を捉えて離さない。
 自然が作る造形美のあまりの見事さに、神の存在を感じたと言う昆虫学者もいるほどである。
 キプリスモルフォのオスは、光り輝く青い羽を持っているが、メスは薄ぼけた茶色をしていて、平凡な身なりである。
 だがしかし、樹冠を飛ぶこのメスは、ほとんど地上に降りてこない。
ただでさえ生息地が限られているのに、さらに捕まえることが困難なのがキプリスモルフォのメスなのである。
 そういうわけで、まれにフランスの博物オークションで出品されるキプリスモルフォは、メスの値段がオスの四〜五倍もするのである。
 さらに、この蝶を「幻」と言わしめる要素がある。
 
 採取困難なこの蝶のメスの中に、何千匹かに一匹、オスの青い輝きをまとったメスが生まれるのである。
 これが「キプリスモルフォの青色変種のメス」であり、近藤学園長が俊作に提示した蝶なのである。
俊作はこの蝶を学園長が指摘した時、ただでさえ幻なこの種が、反政府ゲリラ立てこもるエメラルド鉱山付近でしか採集できない事に絶望したのである。
だがやるしかない、俊作の心はもう決まっていた。

俊作はコンテのおかげで、必要な装備をほぼすべてそろえることが出来た。
 もともとサバイバル能力は軍隊の特殊部隊並みに高いので、後はムーソ鉱山のゲリラ組織と話がつけば万事がうまく言ったのだが、あいにくコンテは政府との癒着が強く、この組織とは敵対関係だったので交渉は不可能と言うことだった。
 しかし、政府軍の装備をずいぶん安く仕入れることが出来たし、その中にはアマゾンのジャングルに必要不可欠なものも多かった。
 ジャングルにはさまざまな風土病が蔓延しているが、そのためのワクチンの摂取や、抗生物質の錠剤はたっぷり仕入れることが出来た。
主な猛毒生物用の血清も、大量に準備出来た。
 最低限の武器調達も、許可証の申請からしてスムースだったし、
 何より軍のサバイバルキットは、ジャングルに特化して作られてるうえ、非常にコンパクトであった。

 俊作は無駄な時間の短縮のため、大胆にも軍のヘリに乗せてもらい、ムーソ鉱山の南方二十キロの地点にパラシュート降下した。
 森林際の湿地帯に降下した俊作は、探索ビーコンをそこに設置し、帰りのヘリとの合流地点とした。
 俊作の腕時計に仕込んだGPSにはいつもその信号の地点を表す赤いポイントが点滅している。

 俊作は隠密行動を取り、そっとムーソ鉱山近辺に忍び込み、目的の蝶だけをさっさと採って帰るつもりだった。
 周りの森林は太平洋からの湿った風を霧にしてまとう、世界有数の雲霧林地帯である。ほぼ一年中、薄もやがかかっている。
 ゲリラから見つかる恐れは低い。
 しかし同時に蝶を見つけることも至難の業であった。
 ベースキャンプをムーソ鉱山の南約二キロのところに構えたのが十日目のことだった。
 主にカヌーを使い音もなく移動する俊作は、蝶の探索を続けるうちに、だんだんとこの森の魅力に取り込まれていった。
 見るものすべてがあこがれていた希少生物ばかりだったし、中には明らかに新種と思われるものもたくさんいた。
 最低限の採集しか出来ない今の自分の身の上を呪いつつも、いっそこのままこの緑の魔境で、一生暮らせたらどんなに幸せだろうと夢想してしまう毎日だったのである。
 やはり俊作は、どこまでも常人とは違う感性の持ち主であった。

俊作が初めてキプリスモルフォの姿を視認したのは十七日目のことであった。
 小さな小川沿いの巨大なカスタニアの樹に、白い花が盛大に咲いているのを発見したのだ。
 カスタニアはアマゾンを代表する巨木で、日本のトチノキの近縁種である。
大きな花は、そこら中ににおいを振りまき、さまざまな生き物を呼んでいる。
 そしてキプリスモルフォも、この樹の花に引き寄せられていたのだ。
 
 カスタニアの大木の、樹冠を飛ぶいくつもの青い蝶。
 五十メートル離れていても、川に浮かべたカヌーからはっきりと、きらめく青い羽が確認することが出来た。
写真や標本で見たことはあるが、実際に見るキプリスモルフォの輝く飛翔は、昆虫の専門家を自負している俊作ですら、しばらくその場から動けなくなるほどの衝撃と感動を叩き付けて来た。
一体どういう進化がどんな理由でこんなに素晴らしい蝶を作り上げたのだろう。
俊作はつくづく自分の研究目標である昆虫の世界の不思議と素晴らしさに敬意を感じるのであった。
しかし今は自分はハンターである。
気持ちを切り替えて俊作は青いきらめきを睨みつけた。
 チャンスである。
 カスタニアの花が終わるまでに、何とか採集しなければいけない。
 期日も迫っていた俊作は、ひそかにその樹に近づき、少しづつ樹の周りに足場を組んでいった。
 周りの蔓植物や、切り出した木材などで簡単なはしごを作り、カスタニアの樹の中ほど、地上十メートルほどの枝の分岐点に簡易キャンプを張る。
 ここからなら八メートルのカーボン竿で、なんとか樹冠まで捕虫網を届かせることが出来そうだった。
 その作業にさらに五日を費やした。

 しかし準備はようやく整った。
 後は樹木でカムフラージュしたこの、樹上の秘密基地で、目指す青色のメスが採れるまで粘るだけである。
 すでに三十匹ほどの形のいいオスを採取し、三匹ほどメスも確保できた。
 そしてついに昨日、目的の青色変種のメスが視認出来たのである。
 しかしそのメスは、網の届かないところを旋回して、密林の奥へと姿を消していった。