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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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 日本の蚊の三倍はあるこの虫に刺されると飛び上がるほど痛い。
 他にもブヨは「河川盲目症」と呼ばれる、目の裏側から視神経をかじるオンコセルカの原虫を持っているし、死にいたるシャーガス病を媒介するナンベイオオサシガメは眠っている動物に忍び寄り吸血する。
うかつに横になったりするとこれらの吸血昆虫に、いつやられるとも限らない。
 だいいち、熱帯雨林ではほぼ地面で寝ることは出来ない。
地面は何百と言う種類のアリのテリトリーで、形も大きさも性質もさまざまなアリであふれている。
トゥカンデイロという巨大アリは強烈な牙で噛み付くばかりでなく、毒針も備えていてハチのように刺してくる。
 こいつに刺されでもすれば三日は激痛で眠れなくなる。
 それに絵里が一番恐れているのは、人間の皮膚にもぐりこむタイプのハエの幼虫で、絵里はそれを昔の、アマゾンで飛行機事故にあい、遭難した女の人が一人でジャングルを乗り越えていく映画で見た。
 その映画で絵里は心にトラウマを負ったが、まさか自分が同じ目にあうとは思っても見なかった。
 あと有名なのは血を吸うコウモリがいることで、まるで大昔の吸血鬼の映画に出てくるような話だが、南米には実在する生き物である。
その名もずばり「チスイコウモリ」。
主食が哺乳動物などの血液で、喉や食道がその食事に特化したためとても狭く、固形物などは食べる事が出来ない。
しかしとても鋭いカミソリのような刃を持っていて、夜、家畜や野生の哺乳類が寝静まった頃に音もなく飛んでくる。
一説によると獲物の周りを飛びながら、睡眠を誘導する物質を放出するのだとも言う。
獲物が眠ってしまうと地面に降り、静かに這いずって獲物に近づき、鋭い歯を使ってそっと皮膚を切り裂く。
チスイコウモリの唾液には血液の凝固を妨げる成分と麻酔効果がある物質が含まれていて、切られた皮膚は何の痛みも感じないし、血は固まることなく傷口からだらだらと流れ続ける。
それをこのコウモリは舌で舐めるのだが、厄介な事にこのコウモリは最悪の伝染病「狂犬病」のウイルスの中間宿主でもある。
吸われる血の量はわずかだが、狂犬病などになってしまうのは、理不尽な事この上ない話である。
現代医学ではウイルス性疾患はほとんど治療法は見つかっていない。
狂犬病も今だ発症してしまうと致死率九十%以上を越える、最悪の病気の一つである。
絵里はたくさんの人から聞いたり、自分でも本を読んだりして、ジャングルの持つ恐怖をしっかりと認識はしていた。
しかし思い悩んでいても、結局は疲れた身体を何とかして休ませないことには、歩き続ける事すら出来ないのである、 
幸いにもキットの中には折りたたまれた簡易ハンモックが入っていたし、虫除けの軟膏も入っていたので、体中にそれを塗りたくって、身近な木にハンモックをかけ、絵里は休むことにした。
 恐怖と疲労のあまり、携帯食を食べることも忘れて、絵里は闇の中に引きずり込まれるように意識を閉じた。















第三章「熱帯雨林の青い蝶」


俊作は実に楽しかった。
 もともとここ中米コロンビアには一度来たかったのだ。
 俊作は実は大学一年のとき、南米アマゾンの奥地、マナウス近郊のジャングルの中で学校をサボって半年ほど暮らしていたことがある。
 バイトで貯めた金にはほとんど手をつけなくても俊作はアマゾンで暮らすことが出来た。
 食料や水はすべて現地で調達したし、珍しい昆虫を見つけることが得意だったので、政府の調査隊の下請けでさまざまな新種を発見し重宝がられた。(そのほとんどすべては調査隊の昆虫学者の手柄になり、俊作は緑色のへんてこなダニの学名に、わずかに自分の名を残すことが出来たのみである。しかも後にこのダニは、エスプンシアという、森林梅毒スピロヘーターの中間宿主である事が判明し、鼻がもげる病気をうつす悪魔のダニとして、俊作の名前も語り継がれる事になってしまったのである。)
 世界最大の熱帯雨林を誇るアマゾン川流域は、俊作にとっては宝の山で、膨大な昆虫標本を手にしたものだ。

 前回の冒険は教育ママの母親が、わざわざブラジルまで一人息子を追いかけてきて終わりを告げた。
 カルナバルの夜、現地のボニータの尻を追いかけていたところを、母親が雇ったボディガードに後ろから羽交い絞めにされたのだった。
 結局その時はそのまま拘束されて、犯罪者並みの扱いで日本に強制送還されたのだった。

「でももう今回は誰もじゃましにはこれないだろう。しかし学園長のやつ、なんていう注文をしやがるんだ、俺に死ねというのも一緒じゃねーか、くそっ!」

 特注のチタンカーボン製の八メートルの繰り出し竿を、乾いた布で磨きながら俊作はぶつぶつ文句を言った。
 学園長の示した期日まであと五日。
 しかしようやく俊介は目指す蝶の生息地にたどり着き、すでにその姿を視認するとこまで来ていた。
 幻の蝶まであと少しだ。
 俊作は幸運だった。
 十年前にマナウスで知り合った、怪しげな麻薬の売人とコロンビアのボゴタ空港でばったり出くわしたのだ。
 男の名はコンテ・ベラスケスといい、驚いたことにコロンビアを代表するシンジケートの幹部になっていた。
 俊作はかつてブラジルはマナウスの港で、縄張り争いでリンチに遭いかけていたコンテを助けたことがある。
三人のガリンペイロ(金鉱夫)を相手に、得意の日本拳法で見事に全員をノックアウトしたのである。
 コンテはそのことをずっと覚えていたそうで、俊作を見つけるなり怒涛のごとくダッシュしてきた。

「ウワァアーオ、シュンサーーーーック!」

 俊作は空港で明らかにマフィアの大物と思われる人物が、真っ黒なスーツにサングラスのボディガードを十人も引き連れて奇声を上げながら両腕を広げて迫ってきた時は、ここが俺の墓場だと観念したのだが。
コンテのおかげで俊作は現在のコロンビアの情勢を詳しく知ることが出来た。
 コロンビアはここ何十年も続く反政府ゲリラとの内戦で、大きく国を荒廃させてきていた。
 麻薬を資金源にして組織を巨大化させてきたゲリラは、コロンビア政府の軍と正面から張り合えるほどの軍事力を備えるほどになった。
 しかし、アメリカ国内の麻薬撲滅運動が大統領を動かし、本気になった合衆国の支援で軍を強化したコロンビア政府は、ここ数年の軍事攻勢で、ようやくゲリラを壊滅状態に追い込むことに成功した。
 コロンビアは今、治安を取り戻しつつあるということだ。
 コンテはそれまでの麻薬取引で得た金を元手に足を洗い、今では広大なコーヒー農園、三つの埋蔵量豊かなエメラルド鉱山、二つのインカローズ鉱山を経営するまでになり、一大シンジケートのボスとなっているのだそうだ。

「何でも困ったことがあったら言ってくれアミーゴ」

 そう言ってコンテは俊作の手を固く握り締めた。
 しかしその時俊作の頭の中は 別のことでいっぱいだった。

 エメラルド鉱山……

「コンテ、一つ教えてくれ、中央部のメタ県のムーソ・エメラルド鉱山は今でもゲリラに占拠されたままなのか!」

「ムーソ鉱山…あ、ああ、あそこはまだそうだ、ゲリラの本拠地の一つだ。」

「そ、そうか…」

 俊作は肩を落とした。