私立小田原大学准教授 葉柳俊作
「ハアハアハア、いったいなにが起こっているざんすかはわわわ、建物の中までハチが入ってきているなんて、べべべべべべ、……待つざんすよ、と言うことは、外の人間は無事ですんでるはずもないし、今、この基地はなぜか知らないざんすが、ものすごいハチの大群に襲われているということざんすね、……むむむむむ、これはひょっとすると、逆にここを逃げ出すチャンスかもざんす!!!」
すでにいつでもここを緊急脱出しようと荷物はまとめてあったチャイナは、厚手のチャイナ服の上から上着を着、小さなリュックを背中に担ぎ上げ、露出部分にはタオルを巻きつけテープでとめ、テーブルの上に放り投げていた日本人親子の牢屋の鍵束を引っつかんで廊下に出た。
廊下は先ほどよりは蜂の数が少なくなっているようだが、それでもチャイナを見つけたハチたちが次々と襲い掛かってくる。
だが、しっかりと着込んだチャイナには針を打つべき隙間が見当たらず、ただうろうろとチャイナの体の上を這い回るだけである。
「アイヤーーーー、こりゃ生きた心地がしないざんす。でも、あの親子は人質としても利用できるし、何より救出して政府に駆け込めば、英雄にもなれるざんす、絶対連れてゆかねば……」
チャイナは監禁部屋へと走り出した。
カレン・シゥは鉱夫たちとその家族とともにエメラルド鉱山の坑道の奥深くに潜んでいた。
日本人の親子から信じられない提案を受けたのだが、にわかにはそれを信じることは出来なかった。
だが二人の必死の表情とその様子からカレン・シゥは行動に出ることにした。
長年ゲリラはこのムーソに君臨して、私たち地元の一族の願いをことごとく無視してきた。
ひょっとすると、あの日本人たちは、森の精霊がよこした私たちの救いの神なのかもしれない。
虐げられてきた我が一族が、ふたたびこの大いなるジャングルと精霊と神の山とともに、生きてゆける時が来たのかもしれなかった。
カレンはみんなをたたき起こし、すごい剣幕で鉱山の中へ行くように命令した。
「ナナが来るんだ、ゲリラたちを懲らしめに、森からナナが来るよ!!」
カレンの真剣な声に仲間たちは震え上がり、着の身着のままで夜明け前の鉱山に入坑したのだった。
ゲリラたちはなぜこんな早く鉱山に入るのかをいぶかしがったが、一族全部で坑道の機械類の総点検をするというと、しぶしぶ通してくれた。
鉱山に入るとカレンたちは入り口付近で焚き火をし、同時に空気取り入れポンプに目の細かいフィルターを取り付け、フルパワーで稼動させた。
坑道の中は新鮮な空気で満たされ、入り口付近の煙は外へと向かって漂っていく。
地元の民である一族は、キラービーの苦手な煙を出す草を知っていて、普段から干草にしてそれを大量に貯蔵していた。
ニガヨモギに似た種類のその草は「トチトチ」とよばれ、蚊取り線香のような香りがする。
それは俊作がスモークランチャーとして使っていた草と同じものだった。
カレンたちはトチトチを焚き火にくべながら夜明けを待っていたのだ。
やがて空が明るみだしたと同時に、鉱山とその砦の周辺の森から黒い悪魔「ナナ」が噴出し、恐ろしい何億と言うハチの出す羽音が空間を埋め尽くして殺到した。
そのほとんどはなぜか何かに惹かれるように砦の方に集中したが、鉱山の方にもその一部は流れ込んできていた。
坑道出口付近にいたゲリラが、空に向かってきちがい地味た勢いで マシンガンを打つ音が聞こえた後、断末魔の悲鳴があがった。
しかし鉱山の中から噴出するトチトチの煙のおかげで、坑道の中にはハチは入ってこなかった。
焚き火にトチトチを放り込みながら、カレン・シゥは日本人たちの身の上を心配していた。
外は凄まじい振動音で、まるで建物全体が震えているようだった。
絵里は里志の肩に乗っかって、天井近くにある明りとりの窓に父親の上着を詰め込み、手で押さえ続けていた。
いくらハチ毒の血清を射っている二人とはいえ、何万匹ものハチに刺されればただではすまない。
「え、絵里、げ、限界だ……くっ!」
「きゃ!」
里志は痛めた膝をかばうように倒れたが、上から落ちてくる絵里を必死で受け止めようとした。
外は多分凄まじいキラービーの大群が飛び交っているのだろう、ほとんど羽音に消されて他の音が聞こえない。
「おとうさん大丈夫!」
自分を受け止めてくれた父親の様子を見る絵里。
「だ、大丈夫だ、膝も思ったよりも悪くないようだ。」
自分を心配させないように笑顔を見せる父親に、絵里はしがみついて泣いた。
しかしその時、頭上の窓に詰め込んでいた上着が不気味な振動音を発し出し、窓の隅からついに、殺人蜂が侵入を開始し始めた。
急いでベッドの毛布をかぶり小さくなる二人。
ものすごい勢いで部屋のドアが開く!
そこに立っているのは!
「おぉーーーーーーーほっほほほほほほほーーっ、痛いざんすー(悲)」
全身をハチにたかられて立ち尽くすチャイナ・エルドラドの姿がそこにあった。
ふらつく足取りで部屋の中に入ってきたチャイナは、右手に鍵、左手に小さなリボルバーを握っていた。
黒々としたS&Wにも怒れるキラービーがまとわりついている。
「さあ日本人、そこから出してあげるザンス!そして私と行くザンスよ、お前たちは私の大事な大事な金ヅルざんすよーーーーーぬほほほほほほほ」
もう頭で思っている事を喋る事に何の躊躇もいらなくなったチャイナは、その本性をむき出しにして、天井を仰ぎ見るように下品極まりない笑い方をした。
「のーびーろーーーーーーーーー、アーーーーン!!!!!」
毛布の下から絵里の気合の入った叫び声が部屋に響き渡るや否や、猛烈なスピードで八メートルまで伸びたチタンカーボノイド合金製の繰り出し竿は、ものの見事に上を向いていたチビスケ中国人のアゴを捕らえた!
「ギャッ!」
一声叫んで仰向けにぶっ倒れた中国人は、派手にキラービーを刺激した。
一斉に襲い掛かるキラービー!
たちまち真っ黒にハチに覆われてゆくチャイナ・エルドラド。
その足元に転がった鍵の束を、アンで起用に引き寄せる絵里!
「行くよおとうさん、歩ける!」
「大丈夫だ!」
二人は毛布をかぶったまま部屋から外に飛び出してゆく。
砦の広場では阿鼻叫喚の地獄絵が展開していた。
そこかしこでゲリラと思われる兵士が、あるものは泣き喚きながら走ってゆき、あるものは地面を転がりながら狂ったように助けを求め、そしてあるものはすでに全身をハチに刺され断末魔の痙攣に身をゆだねていた。
どんなに近代的武器で身を守ろうとも、どんなにイデオロギーで凝り固まった精神で人々を操ろうとも、人間の浅はかな行為では大自然の猛威たるジャングルの怒りを抑えることなど出来はしない。
ひときわ黒々とキラービーが舞い踊る場所があった。
その様子はまるで怒りのトルネードと言うべきもので、何本もの真っ黒い、うなる渦巻きが幾重にも重なり、回転し、融合しては分離し、数十メートルにも及ぶ半径を持つ巨大なハリケーンを形成していた。
作品名:私立小田原大学准教授 葉柳俊作 作家名:おっとっと