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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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 二人が再会を喜ぶのを尻目にがちゃりと牢に鍵をかけ、残りのゲリラたちも部屋から出て行った。

「絵里、ひどいことされなかったか」

「大丈夫、私は平気、それよりおとうさん、インスリン!」

 絵里は肩の隠しポケットからインスリンの注射器を取り出した。

「私、身体を触らないでってぎゃーぎゃー騒いだから、やつら、身体検査もろくにしなかったの。」

「そ、そうか、助かった。」

 絵里はにっこり微笑んだ。

「おとうさん、実は注射はもう一本あるの。」

 インスリンを射ったばかりの父親に絵里はそう話しかけた。
 右の袖口の隠しポケットから細い注射器と、小さな平べったい缶を取り出す。

「これを注射しろって、葉柳さんが……」

「はやなぎ…さ…ん?」

「うん、私ももう射ったよ、それでその後この軟膏も身体に塗っておくようにって。」

「いったいなんのことだねこれは、その葉柳と言う人は誰なんだい?」

「これの持ち主なの、私を助けてくれた命の恩人……」

 絵里はそうっと胸元に手を伸ばす。
 ワンピースの下に身体にくくりつけて隠し持っていた細長い棒、それは俊作の愛用の「アン」であった。



 カレン・シゥは毎朝四時には目を覚ます。
 昨日は夜中の十二時ごろ、なにやら騒がしかったが、後で聞くと例の日本人の娘がゲリラに捕まって父親の牢に入れられたらしい。
 無理もない、このジャングルでは都会人は生きていくことは出来ないだろう、いずれこの基地に戻って来ざるを得ない。
 カレン・シゥは心から日本人の親子を気の毒に思っていた。

 ゲリラがこのムーソ・エメラルド鉱山を襲撃し、政府直営の採掘会社の幹部たちを追放してからすでに三十年以上が経っている。
 ゲリラたちはここで働く人間、すなわちムーソの小さな鉱山町の人たちを、ただ同然の安い賃金で働かせ、鉱山から上がる膨大な利益を独占した。
 アメリカの宝石シンジケートとの闇取引で、コロンビアが誇るこのムーソ・エメラルドはゲリラ達に莫大な活動資金を提供してきたのである。

 そもそもムーソの村にとっては、エメラルドは神が授けてくれた大切な宝物であった。
 代々受け継がれてきた秘密の山を、村の発展のために泣く泣く政府に売り渡したのは、あまりにも貧しかったこの村の人々の苦肉の策だった。
 それでも政府は、鉱夫として働く村人たちにちゃんと鉱山から上がる利益を還元してきた。
 電線を引き、電話も通じ、ジャングルを通過する道路を整備し、さまざまなインフラを、約束通りに政府は村に与えてくれたのである。
 村は近代化し、鉱夫の数が増えるに従い、学校や医療施設なども整っていった。
 そして、それらのことを中心になって指揮してきたのがカレンの夫であるオールド・シゥであった。

 カレン・シゥはベッドの下の床にそっと手をやる。
 三十センチ四方の床板がくるっと回り、その下には小さくくぼみがつけられている。
 カレンはそこから一握りほどの皮の袋を取り出す。
 ベッドの上に座り、膝の上で袋から中身を出す。
 それは驚くべきことに、こぶし程もある、すばらしい緑の光をたたえたエメラルドであった。
カレンは毎朝、このエメラルドを取り出し、二十年ほど前に落盤事故で亡くなった夫に祈りを捧げる。
 かつて若かりし日、夫が自分に求婚したときに、そっと手に握らせたこのエメラルドは、夫の分身でもあった。
 カレンは夫の名を取ってこの石に「オールド・フォレスト(オールドの森)」と名を付けた。
 このムーソの森を愛し、死んでいった夫をいつまでも忘れないように、カレン・シゥは毎朝、この石に話しかけるのだった。

「あなた、あの日本人を何とか助けてあげられないものかね。
 まったくゲリラどものやることといったら、森の神の怒りを買うようなことばかりだ、罰当たりな!」

 石を皮袋に入れて床に戻しかけたとき、ふとカレンは思いついた。

「ねえあんた、これをOZのやつに渡して、その代わりにあの日本人の親子を開放してもらうというのは、どうかねえ……。」

 自分で思いついたことだが、そんなことをしてもあの強欲なゲリラの首領は、笑いながら石を取り上げ、平気で政府に身代金も要求し続けるだろう。
 ため息をつきながら、エメラルドを皮袋ごと腰のポケットに入れて、カレン・シゥは、かわいそうな親子のために、せめて精のつく食事をと、調理場へと足を向けた。
朝はもうすぐそこに迫っている。



「ナナ…?」

 娘の絵里が話す、ジャングルに一人で蝶を追っているという不思議な大学教授が、私たちを助けに来るときに連れて来るものの名前だという。

「そう、地元の人はそう呼ぶんだって、森の精霊が人間の仕業に怒ったときに、罰を与えるために呼び出す悪魔の名前だって。」

「しかし、そんなことが可能なのか、とても信じられん…。」

「葉柳さんならやるよ、あの人はまるで森の精霊みたいな人だもの。」

 その時、部屋のドアがノックされ入ってきたのは、二人分の食事をワゴンにのせたカレン・シゥだった。
 里志は絵里の話を聞いて、非常に混乱していた。
 確かに葉柳と言う青年が計画していることが起これば、ここは大変なことになる。
 そしてそれはこの親切な老婆の上にも降りかかることになるのである。
 里志は考えた、この老婆を助けるべきか、しかし老婆に事情を打ち明けた場合、この老婆がゲリラに青年の計画を話してしまう危険がある。
 いったいどうすればいいのか!
「さあ、少し早いが朝食だよ、そちらのお嬢さんも森をさまよっておなかがすいただろう、私の菜園で取れた野菜と肉の煮物だよ。三日も煮込んだから肉もとろとろですぐ力になるよ。さ、お食べ。食べて元気をお出し。」

 にこやかに話しかけてくるカレン・シゥを絵里は最初警戒していた。
 が出された食事におそるおそる口をつけたとき、表情が一変した!

「おいしい、これすごくおいしい!そうか、このお肉、葉柳さんにご馳走になったあの肉と同じだ。ううん、もっとやわらかくておいしい!」

「ほう、これは何の肉ですかカレンさん。娘がこれを食べたことがあると言っています。」

 カレン・シウは里志の言葉に少し驚いた。
 この肉は南米だけに生息する動物オオアリクイのモモ肉だったからである。
 オオアリクイは単独でいる動物で、そう簡単に見つかるものではない。
 アリ塚を壊すために、前足には三十センチにもなろうかという巨大なつめが生えていて、下手に近づくと襲い掛かってくるので危険な動物でもある。

「この動物は狩るのが難しいんだよ、わたしらは独自の方法でこれを狩るんだ。」

 絵里は俊作が話していたことを思い出した。

「確かこれで狩ったと見せてくれたのは、これくらいの小さな弓矢でしたよ。」

 絵里は手を三十センチくらいに広げた。
「ほう、そんな小さい弓矢では普通はこの動物は倒せないねえ。大きな動物だからね。でも、それは間違いなく地元の人間のやり方だよ、それはだれだい?」

 急に聞かれて絵里は言葉に詰まった。
 絵里が話したくなさそうな様子を感じ取ったカレンは話を進めた。