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私立小田原大学准教授 葉柳俊作

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驚いたことにふたの上にも赤い木炭が置いてある。
 ダッチオーブンと言う野外活動用の鍋である。
 絵里はそこから漂ってくる「すき焼きみたいな匂い」が、気になってしょうがない。
 それを察した俊作は、さっそく蓋をどけて、中身を皿によそってくれた。
 ゴロッとした肉の塊が、なにか金時豆のようなものと一緒に煮込まれている。
 少しフォークの先でつついたら、簡単に肉がほぐれてしまった。
 口に運ぶとびっくりするくらい熱く、そして辛かった。
 でも次の瞬間には口中に肉汁と、懐かしい醤油の風味が広がって、ほっぺたを内側からキューンと締め付けた。
 絵里はもう、夢中になって皿の中の肉と格闘を始めた。

「うまいだろ、5時間は煮込んだからな、フェジョアーダというブラジル料理だよ、でもしょうゆ味だから日本バージョンだけどな。」
静かに笑いかける俊作に安心したのか、絵里も笑顔でうなずいた
「しかし君、いったい何者?こんな熱帯雨林のど真ん中でなにしてたの?」

 夢中で肉の煮込みをほおばる絵里を、興味深そうに見ながら俊作は聞いた。
 絵里は口の中の肉をすばやく噛みながら。手元のコーヒーで大急ぎで流し込んだ。
 ごっくんと音を立てて肉を飲み込んでから、大きく息を吐き出し絵里は答えた。

「わ、私の名前は大和田絵里、あ、あの、助けてくださって本当にありがとうございました。」

 ぺこりと頭を下げる。

「ところで、あなたはいったい誰なのですか?日本人ですか?」

 と聞いてから、またすぐに肉に挑みかかる。
 よほど空腹だったようだ。
 まだ質問の返事を聞いてないよ、と思いながらも、俊作はシェラカップにコーヒーを継ぎ足してやる。

「あ、ど、どうもふみまへん、いただくぃまふでふ。」

 今度は口の中を、肉と豆でいっぱいにしながら返事をした。
 やれやれと首を振りながら、俊作も自分の分を皿によそって食べ始める。
 ジャングルの中のささやかな晩餐会を、揺らめく焚き火が照らしていた。


食事を終え、ようやく人心地ついた絵里は落ち着いて周りを見渡した。
 焼畑で少し切り開かれたのか、ジャングルの隙間のような空き地に、小さな簡易テントとその近くにハンモック、テントからは小さいながら振動音が聞こえてくる。
 おそらくバッテリーが稼動しているのだろう。
 テントから伸びた電線が、IHヒーターにつながっている。
 ヒーターの上にはコーヒーサーバーが湯気を立てている。
 薪がその近くに積み上げられている。
 広場の中央に簡単に石で囲んだかまどと、その横に、今絵里があたっている焚き火が、やはり石に囲まれて小さく燃えている。
 火をはさんで向こうに謎の男、左手にはロープが張ってあり、自分の着ていたワンピースや下着が干してある。
 改めて自分の身体を見ると、あきらかに男の着替えが着せられている。
 古い、よく着慣らしたものだが匂いはないし、肌触りはとてもいい。
 身体は多分、意識を失っていたときに綺麗にされたのだろう、さらさらしていて気持ちがいい。
 当然、いろんな危険があるジャングルでは、長ズボン長袖のシャツの方がぜんぜん安心なので、大慌てでワンピースを取りに行く気にはならなかったが、下着だけは身に着けたかったし、見知らぬ男の前に干しっぱなしになっていることがとても恥ずかしい。

 顔を赤くしていると

「どうした、熱でもあるのか、抗生物質でも飲んでおくか?」

と、気を使われてしまった。

「あ、い、いえ…」

 謎の男はぶっきらぼうだが、いろいろと気がつくようだ。
 キャンプの整理されている様子からするとA型だなと、絵里は分析してみた。
 ちなみに絵里は典型的なB型である。

「…で、君は日本大使館に勤務しているお父さんとともに、ゲリラに誘拐されて、このジャングルにヘリコプターごと墜落したと、そういうわけね。」

 薪をパキッと折り、火にくべながら俊作は訊く。
手振りを交えながら絵里が話す。

「は、はい、すごく低空を飛んでいたら、森からすごい数の鳥が一斉に飛び上がってきて、それで運転手がとっさに旋回しようとして、こんな風に、こう、森に突っ込んだようでした。」

チョップを斜めにして振り下ろしながら絵里が必死で話す。
たぶん軍のレーダーを避けるための低空飛行が災いしたな、しかし運転手って…、と思いながら俊作は呟く。

「なるほど…、昨日からラジオじゃ君たちの事ばかり放送しているよ。大使館に勤務していたコロンビア人のガードマンが二人殺されたそうだぜ。」

「……」

「たぶん、身代金目当てと、コロンビア政府の国際的支持を下げるために、追い詰められている反政府ゲリラが起死回生を狙って攻勢に出たんだろう。」

「は、い…」

少し会話が途切れ間があく。
パチパチと薪が火にはじける音がやけに大きい。

「あ、あのう…あなたはいったい何者なんですか、どうしてこんなジャングルに一人でいるんですか?おうちはどこですか?」

俊作の頬杖からアゴががくっとはずれる。

「ひとをホームレスか何かみたいに言わないでくれ、俺の名前は葉柳俊作、れっきとした日本人だ。大学で生物学の准教授をしている。ここには昆虫採集に来ているんだ。」

こんどは絵里が頬杖からアゴをはずす。

「昆虫採集!うそっ!小学生の夏休みみたいです。」

「あ、あのなあ、君なあ…」

 この手の反応を示す若造どもには、大学で腐るほどお目にかかっている。
 いまさらいろいろと教える気にはならなかった。
 腰を上げてテントに向かう俊作。

「抗生物質を飲んでおいたほうがいいだろう、この森にはいろいろ危険も多い。」

錠剤を手にした俊作が絵里に渡す。

「一応君の事は警察に報告しておくよ、お父さんが捕まっているのはムーソ鉱山だろ、あとは政府と軍がよろしくやってくれる、君はしばらくここでゆっくりしていたまえ、明日の夜にはヘリが迎えに来るよう手配するよ。」

 はいと、手にした錠剤を見つめる絵里、ふと何かを思い出して顔を上げる!

「た、たいへん…!」
絵里は昨日からのことを思い出していた。
大使館に父親の弁当を持っていったとき、偶然ゲリラの襲撃に出くわしてしまったこと、そ
の後の展開が急激過ぎて、自分の身を守ることで精一杯だったこと。
そもそも父親になんで自分が弁当を作らなくてはいけなかったかを。

「わ、わたし行かなくちゃ、おとうさんが、おとうさんが危ない……。」

ふらりと立ち上がった絵里は干してある自分のワンピースを取ると、ひとしきりごそごそそれを調べていたが、やがて鳴きそうな声でしゃべりだした。

「な……ない、ないよう、どうしよう、どこかで落としたんだわ、どうしよう、あれがないとお父さんが、お父さんが………。」

「君が探しているのはこれかい、さっきワンピースを洗ったときに、肩口の隠しポケットから出てきたんだが……。」

俊作はポケットからなにやらペンのような形の灰色の物体を取り出した。

「あ、それ、お父さんの……!」

「なるほど、やっぱりそうか、これ、インスリンだね。お父さんは糖尿病かい?」

「は、はい、わたしいかなきゃ、それをとどけないと!」