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桃太郎

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 そう言う桃太郎に、猿と犬は慌てて拒否を示す。
 雉はそんな光景を、やはり機嫌の悪そうに眺めているだけだった。そんな雉に桃太郎は声をかける。
「昨日聞きそびれたが」
 雉は不思議に思った。桃太郎の方から話しかけられるのは初めてだった。
「どうして、雉は鬼退治に参加したのだ」
「そんなの決まってますよ」なぜか猿が答える。「こいつ、普段は皮肉屋してますが、なかなか正義漢でして。だから、話を聞いて黙っていられなかったのでしょう」
「そうなのか」
 桃太郎は確認するように訊いた。
 雉はただ鼻を鳴らすだけだった。
「素直じゃねえんです」
 猿が満足そうに代弁を務める。それきり、その短い会話は仕舞いになった。
 猿は勘違いしていた。雉は義心で付いてきたわけではない。言ってしまえば、ただの野次馬だった。この小さな討伐隊を傍観者として皮肉りたいだけなのだ。阿呆のように挑み、戦い敗れる様を文字通り高見の見物するつもりだった。
 その心境を改に持ち直しながら、雉は鋭く前を見据えた。
 鬼の顔を象ったような風景をした鬼ヶ島が禍々しくその口を開けていた。

 上陸ののち、探索の成果はすぐにあった。人が通るには巨大すぎる門を見つけた。重々しく、また黒々とした荘厳な作りは、常人ならば恐れを抱かずにはいられない。けろりとしているのは桃太郎のみで、犬と猿は武者震いに顔を強ばらせていた。他人事の姿勢を貫く雉にしても生唾を飲み込まずにはいられなかった。
「どうするか」桃太郎が言った。
 猿が機敏に返答を示す。
「はい」と、しかしそれだけ言うのみでなかなか継ぎを果たせない。
「ここはまず」犬がその言葉を拾った。「物見を飛ばすのがいいのでは」
「物見、とは」
「雉」犬が視線を向ける。「ちょっと飛んで中の様子を見てこい」
 命じられた雉はじととした目を犬に返したが、逆らうのも面倒で無言で空へと羽ばたいた。
 そして門の屋根に留まるとその内に広がる光景を目の当たりにした。顔は怖れの情に覆われた。贅沢、とおよその人がそう思う限りのものがそこにあった。血酒を浴び、肉をかっ喰らい、攫った女を抱き続け、酒池肉林と阿鼻叫喚が混在する、それは人間にとっての地獄であった。
 討たねばならぬ。雉は思った。このとき初めて、雉は思った。
 一行の許へ戻るとその言葉を口にした。猿と犬にしてみれば今更で、あっけにとられる様子だった。
「だが、このままでは敗れて終わるだろう」雉は付け足した。
 目的など果たせるはずもなく、阿鼻叫喚へと取り込まれてしまうというのが雉の意見だった。
 従者の二匹は真っ赤になって否定するが、雉は揺るがない。
「いや、負ける」もう一度言った。
「では、どうすればいい」
 訊いたのは桃太郎だった。
「鬼の数を減らせればいいかと」
「それはどういうことか」
「減らすことができるのは、一時的でよろしい。鬼をだますなりしてこの鬼ヶ島から遠ざければいい。そうすれば、あるいは」
「どう、だますのだ」
 従者は黙って聞いている。
 雉は逡巡の末、こう口にした。
「私が一芝居打ちましょう」そしてその目が据わる。「ただ、そのためには舟を海に流すことになりましょう」
 一行が自由にできる舟は今のところ一隻のみである。それを流すということはすなわち退路を断つことである。犬と猿は慌てて反対した。桃太郎は雉の思い描く策を訊いた。
 それを訊いた桃太郎は雉の言葉を信じ、その策に任せることを決めた。従者はしぶしぶながらもそれに従った。そうして舟は海に放たれ、一行は帰る術をなくした。
 もう充分舟が小さくなったところを見計らい、そして雉は空を飛んだ。再び屋根に留まった雉は、そこで甲高く一声鳴いた。
「なんだ」
 そして、いつ終わるとも知れない酒宴が中断された。その代わりに、そこにいた何十もの鬼が一斉にその方を向いた。雉はその目の凶悪さと数の多さに気圧されそうになりながらも、自己を鼓舞して嘘をつく。
「なんだ、てんで弱そうだ」
「おまえはだれだ」鬼が訝しんで訊く。
「俺ぁとある商人どもに飼われてるしがない鳥さ。たまたま舟でこの近く通ってみれば、ここは鬼どものすみかと聞いた。だったら殺して財宝奪えばひと儲け。どれ、鬼がどんなものか見てこいと飛ばされて来てみれば、なんとも貧弱な鬼ばかり。そのくせ金銀珊瑚は山ほどあるときたもんだ。これはひと儲けどころかボロ儲け。今から装具整えて来てやるから、首洗って待ってなよ」
 雉はそこまで言うと小さな翼を広げて飛び去った。
 鬼はもともと血の気が多い。待っていろと言われれば出向いていくのが、性癖を通り越した常套になっている。青肌をした鬼でさえ顔を真っ赤に紅潮させて、雉の方を追いかけた。巨大な門は荒々しく開く。
 雉は遠くに見える小舟を捕らえる。さらに小さく見え、点となってもはやどんな舟かもわからない。飛翔は不得意ながら、それでも懸命に羽ばたいた。

 その行軍を物陰から見ていた桃太郎の本隊、ともいうべき面々は戦々恐々という面もちだった。鬼どもとは逆に、顔の赤い猿でさえ血の気が失せていた。
 それでもやはり桃太郎は別であった。ちゃきりと鎧を鳴らせて立ち上がると、帯びた太刀に手をつける。目の先はすでに門の奥を据えている。瞳に恐怖は窺えない。
「本当に行くんで?」震える猿が訊いた。
「怖いなら、ここで隠れていればいい」
 桃太郎にしてみれば気を利かせたつもりだったのだろうが、発破になったらしい。猿、そして犬は桃太郎に続いて立ち上がった。その姿は颯爽としたものだった。

 雉は顔色悪く鬼ヶ島を振り返った。酸欠のようであった。ひやりとした汗が厭に滴っている。無事、小舟までたどり着いたはいいが、また同じ距離を引き返さなければならない。鬼の大群をふたつに割いて、時間差で叩くというのが雉の立てた策である。このままじっとしていても鬼どもは帰るだろうが、戻らなければ雉の命はない。
 そして戻ったとしても、桃太郎たちが敗していれば、そのときもまた命はない。
 どうなっているだろうか、と雉は思う。
 すぐに目線を下げた。まさに鬼の形相が目前まで迫っている。付いた嘘はすでにばれているだろう。しかし鬼たちは向かってくる。どうでもいいのかもしれない。てっきり船を使うのだろうと思っていたが、泳いで来ていた。海を飲み干すかのように大口を開けている。これ以上の引きつけは無理だと判断した雉は、疲弊のまま、また飛んだ。
 力つきて海に落ちれば、待っているのはまた死である。

 多数の鬼は雉に釣られて出て行ったが、それでも大勢の鬼がその場に残っていた。おそらく激するにそびれたものたちだろう。その分冷静であるといえるのかもしれない。
 その大勢へと、一人と二匹は走っていた。桃太郎はすでに抜刀し、天高くそれを掲げている。問答は無用である。
 というより、犬はなんとも言えず窮していた。桃太郎がいつまでたっても名乗りを揚げないからだ。代わって鬼どもに声高く告げようとするのだが、桃太郎には朝廷から授かった官職もなく、どころか名字も本姓もない。名乗りを揚げるためのその名前がないのである。しかたなく、「桃太郎とその従者、鬼退治に参った」とだけ吠えた。なんとも格好がつかなかった。
作品名:桃太郎 作家名:山嵜