短編・『湯西川(ゆにしがわ)』にて 6~9
10畳2間の特別室、『うれし野』には、
カギはかかっていませんでした。
2部屋とも慨に照明は落とされていて、
内風呂を取り囲んでいるテラスの部分にだけ、
明るい薄黄色の光が満ちていました。
伴久の浴衣に半纏を羽織った清ちゃんが、
手持ち無沙汰風に
椅子の背もたれに首を乗せて、
ぼんやりと集落を見おろしています。
「だいじょうぶかい?
呑みすぎたって聞いたけど・・・
女将に呼ばれてきたんだけど、
一人でも
帰れそうな様子だね。」
振りかえった清ちゃんの顔が
半分だけ月明かりを受けて、それが妙に青白く見えました。
黙りこくったまま「座って」というように
手招きをしました。
背後で、カチリとドアが開きました。
若女将が、日本酒の支度を整のえたワゴンを
届けにやってきました。
お邪魔しても無粋ですからと、
静かに頭を下げると後ろ手にドアを閉め、
カチリと小さな音が響いて、カギがかかったようでした。
地元の吟醸酒をグラスに注いで、乾杯をしても
今夜の清ちゃんは、ずっと無口のままでした。
虚ろに窓の星空ばかりを眺めていた目が、
やっと振り向いてくれたのは、
1本目の吟醸酒が空になってからでした。
「いざとなったら、私の意気地がなくなりました。
でも、いつまでも楼閣のままにも、置いておけません。
覚悟は決めましたので、
私の我がままなお願いを
きいてもらってもいいですか?」
やっといつもの、
切れ長の清ちゃんの瞳が戻ってきました。
そんな流れも予感していましたので、
正面の椅子に背筋を伸ばして向き合うと、
2本目の吟醸酒を
清ちゃんのグラスに注ぎました。
「芸者さんの世界のしきたりで、水揚げって、
知ってるわよね。」
覚悟を決めたときの清ちゃんの言動は、
何時でも直球勝負です。
今夜もいきなり正面からの、
問答無用のパンチが飛んできました。
作品名:短編・『湯西川(ゆにしがわ)』にて 6~9 作家名:落合順平