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短編・『湯西川(ゆにしがわ)』にて 1~5

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湯西川にて(4)「伴久ホテル」



栃木県日光市・湯西川温泉の老舗の一つ、
伴久ホテル(同市湯西川、伴久盛社長、資本金9千万円)が25日、
宇都宮地裁から破産手続き開始決定を受けていたことがわかりました。
東日本大震災の影響で客足が途絶えたことが、
破綻(はたん)の引き金になったとみられています。
東京商工リサーチ宇都宮支店によると、
負債総額は約30億円です。



同ホテルは全109室、550人収容。
従業員はパートを含め約70人。
江戸時代の1718年創業とされ、1934年に
現在のような温泉旅館の形になりました。
平家落人の里として知られる湯西川温泉でも高級ホテルとして人気があり、
96年2月期には20億円台を売り上げました。


しかし、不況の長期化と
リーマン・ショック以降の経済低迷で売り上げは減少。
同支店によると、14億円前後で推移してきた年商は
2009年2月期に11億円台に落ち込みました。
10年2月期も9億8千万円まで減り、
7億円を超える赤字を計上しました。
過去の設備投資のための借り入れが,経営を
圧迫していたといいます。



さらに、3月11日に発生した
東日本大震災で予約のキャンセルが相次ぎ、
計画停電の影響もあって従業員によると同月13日以降は
営業を休止していたといいます。

 同ホテルの伴久一会長は、地域の旅館やホテル17軒でつくる
湯西川温泉旅館組合の組合長を務めています。
震災を受けて風評被害を防ぐPR活動に参加し、
福島県からの避難者らを招いて
宇都宮市内で開かれた花見の会に温泉の湯を
贈るなどしてきました。

 同組合の伴弘美副組合長は
「連休に向けて予約状況は改善してきたところなのに、
突然でびっくりした」と話しています。 


【朝日新聞 - ?2011年4月27日】より、抜粋





震災後に発覚した、たいへん衝撃的なニュースでした。
高度経済成長と観光ブームに乗って躍進を遂げた、
この伴久ホテルの板場(厨房)に
就職したのは、昭和46年の初夏のことで清ちゃんと再会した成人式からは
わずかに半年後のことでした。

 当時の板場では、1
0人以上の板前たちが板長のお品書きと指示のもとに、
毎日その腕をふるっていました。



 調理師学校を卒業したとはいえ、
観光ホテルの板場では、問答無用とばかり、
新米の板前見習いとして扱われます。
朝は3時ごろから起こされて、前日からの仕込み作業を整えてから、
その日に使う野菜や、魚の下ごしらえがはじまります。



 「本当に来たんですねぇ~、
 そこの(板前の)新米さ~ん。」
 



 ホテルの裏手にある通用門のところで、日傘をさした
浴衣姿の清ちゃんに、やんわりと呼び止められました。
いつもの切れ長の目に、大きな黒い瞳が
とりわけ悪戯っぽく笑っていたようにも見えました。



 「お前が、成人式の時に、
 卒業したら、伴久へ来いって誘っただろう。
 真に受けてわざわざこんな辺鄙なところまでやってきたんだ。
 それでも、迷惑かい?」



 「あら、言ってくださるわねぇ。
 でも、言ったのかしら、そんなこと?
 (わたしの口が、軽すぎたかしら・・・)
 でもさ、観光ホテルなら、板前修業の華道だもの。
 早く登竜門を駆け上がって、
 一人前の華板さんに仕上がってくださいね。」



 それだけ言うと清ちゃんは、浴衣の裾を翻し、
黒髪から香る石鹸の匂いだけを残して、くるりと背中をみせました。
しゃなりと歩いて、本家・伴久のある「かずら橋」のほうへ
消えてしまいました。
その後に、清ちゃんと再び行き会ったのは、
仕事を終えて、寮へと戻りかけた時の「かずら橋」でした。



 ライトアップされた川辺を見回した後、
なにげに覗きこんだ橋のたもとで、
少し千鳥足で歩く芸妓姿の清ちゃんを見つけました。

 川面の暗がりの中で、白い顔だけが浮かび上がっていました。
声をかけてみると、降りて来いと手招きをします。
呑みすぎてちょっと苦しいから、帯を緩めたいと言い出しました。
袖脇から手を突っこむと、折りたたんだタオルを2枚、
ひょいと取り出してみせました。


 
 「わたしったら、見かけ以上にスレンダーなのよ。
 すこし寸胴(ずんどう)にしてあげないと、着物がおさまらないの。
 別に酔っ払いの介抱をお願いしたいわけではありません。
 呼んだのは、別の用事です。
 はい、これ、
 休みの時に来て頂戴。」



 
 薄い封筒を渡されました。


 「お春お母さんところのお礼奉公も、ようやく無事に終えました。
 本日よりは、晴れて、通いの芸者になりました。
 今市(いまいち)に、アパートを借りましたので、
 それには住所も地図も、鍵もいれておきました。
 暇な時にだけ来て頂戴。
 用事はそれだけです、じゃあ、またね。」



 「おい・・・」


 と、呼び止めると、

 「売れっ子芸者は、仕事場のお膝元などには住みません。
 嫌ならいいのよ、 来なくても! 」