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舞うが如く 第3章 4~6

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 幕末、文久2年(1862)閏8月1日、
守護職に任命されて、会津23万石藩主・松平容保(まつだいらたかもり)が入洛しました。
そしてここ、黒谷に会津の本陣(守護職の宿舎)を置きました。
松平容保が28歳の時のことで、のちに京都の政財界に大きな足跡を残した
山本覚馬も同行しました。


 そしてこれ以降容保は、壬生の浪士たちも取り込んで、
騒然とする京の治安と佐幕のために、奮然として差配を続けます。
以降、慶応3年(1867)までの幕末の動乱を通じて、
鳥羽伏見の戦いに至るまでに命を亡くした藩士352名が、
ここ黒谷に眠っているのです。 



 一方、壬生・八木邸に屯所をおいた浪士たちは、
筆頭局長に芹沢鴨をおき、 局長に近藤勇 副長 山南敬助(近藤派) 土方歳三(近藤派)
の体制のもと、二条城に入っていた将軍家茂の警護にあたることになりました。
この浪士隊の最初の任務が、摂海(大阪湾)の海防状況を巡視するため
大坂に下ることになった家茂の身辺警護でした。


 のちに新撰組の象徴となる
「だんだら羽織」は、
この時の新規隊士募集のために登場したものです。

 京都や大阪で隊士の募集を開始した壬生浪士たちが
「目を引く格好」ということで着用したといわれています。
一説では、赤穂浪士に心酔する近藤勇が、
討ち入りの恰好から流用したとありますが、
真偽のほどは定かではありません。