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舞うが如く 第3章 4~6

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 嘉永6年(1853)6月のことです。
真っ黒なアメリカ艦船4隻が浦賀に現れ、日本に開国を迫りました。
翌年の安政元年(1854)の正月、再度来航のアメリカに
天皇の「勅許」がないままに、幕府は
「日米和親条約」を締結しました。
200余年の鎖国政策を破綻させた幕府には、
時代の逆風が吹き始めます。


 当然のごとく、
各地で尊皇・攘夷派の志士や、公卿の反発が起こります。
さらに将軍継嗣(けいし:世継ぎのこと)の問題が絡み、
幕内では、一橋派(保守)と紀州派(革新)との
政権争いが活発化しました。



 この政権争いに勝利したのが、紀州派の井伊直弼(いいなおすけ)で、
安政5年(1858)に、将軍から大老に任命されました。
ここから大老の井伊直弼が強権政治を執りつづけ、
またまた天皇の勅許なしに「日米修好通商条約」を
締結してしまいます。


 さらに違勅を唱えていた一橋派の藩主や志士を、
隠居や謹慎処分 とし、歴史に例を見ない、粛清が多発する
「安政の大獄」へと突入してしまいました。
収まらないのが、幕閣政治に疑問をもつ勤王派の志士達です。


 これを抑えこもうとする幕閣推進の佐幕派との間で、
険悪となり、万延元年(1860)3月、江戸桜田門外で
勤王派の水戸浪士による大老井伊直弼の暗殺が勃発します。



 さらに、京を中心に
「天誅(てんちゅう)」と称するテロが横行し、
勤王派が佐幕派を血祭りに挙げる事件も続出します。
この頃になると幕始以来、
絶大な権力を誇ってきた京都所司代の権威も失墜していました。
任務につけない者まででいるほど
その無力さが如実に暴露しました。


 公武合体を唱える幕府にしても、
京都の治安維持は、実に頭の痛い問題でした。
十四代将軍・家茂(いえもち)は、
京都所司代の上位に内裏(ないり)を守護するための
京都守護職の設置を新たに決定しました。