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充溢 第一部 第三話

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第3話・3/4


 聞き逃した言葉を確認しておきたいという建前を自分に作って――それとても今の精神にとって重大なことだが――工房から逃れる。
 道順も覚えぬまま、プリージの屋敷の門前までやってきた。よく躓かずに歩けたものだ。

 門番に取り次いでもらった時、今朝のことが思い出された。
 朝は、主人が寝起きだったと言うのに、よくもすんなり通してくれたものだ。
 確かに、御世辞にも頭の良さそうな顔ではなかった。
 あの学園で教授をやっているぐらいなのだから、もう少し人を見る目があってもよいだろう。もっと、良い給料を払ってもいい人は、幾らでも見つかるものだ。
 プリージという一人の男を見て、それを侮る材料が見つかってしまうのは、惜しい話だ。

 つっけんどんで、愛想も良くない。腫れぼったい眼の小男だ。ポーシャの時だって、こちらの意図を了解したのかしないのか、返事もないまま姿を消した。
 何を考えて日々を過ごしているのだろう。
 思考の中に落ち込んでいると、不意に呼び止められる。プリージの声だ。

 話を聞きそびれたことを謝ると、プリージはポーシャの所へ顔を出しに行った事、戻ってくると鍵が閉まっていたので、こちらへ戻ってきたという経緯を聞かせてくれた。
「随分と、固まっていたからね」
 子供をからかうような口調に、精神の危機は霧散した。

「旦那様は、生憎出かけておりまして……」
 扉の隙間から小男が言葉を搾り出す。
「今帰ったところだよ」
 プリージが善意を含ませた目尻で笑った。
 スィーナーにとっては、お礼を口にする絶好のタイミングを奪われ、跳ね上げられた気分は、反落した。
 このタイミングを再び奪取するには、お茶にしようと誘われるまで待たなければならなかった。

 いささか出し抜けに――これは失礼に当たるのか? 不安になるところを、「機を逸したまま、遅れていってしまうのは、もっとよろしくない」と自らを叱咤する。
「こんな私に、ここまでして頂いて、何とお礼を言ったらよいか」
「その言葉は、ポーシャに言ってやるべきなんだ。
 細々した物は、全部彼女が用意してくれてね。
 ただ……ああ見えて、照れ屋だからなぁ」
 俺は何でも知っているのだと言う顔をしているが、その仮面では隠せないものは明らかにされている。そして、それに安心する。
「ふふふ、可愛いですね」
「ああ見えてな。
 後が怖いから、私がこんな事言っていたなんて言ってくれるなよ」
 どちらが照れ屋なのか。
「照れたところを見てみたいものですけどね」
「勘弁してくれ」
 かぶりを振るプリージ。こういう人の素顔は、他がどうであろうと、"愛すべき男達"なのだろう。

 差し迫った任務は片付けたはずだ。これで、もう一度、工房に戻れそうだ。
作品名:充溢 第一部 第三話 作家名: