表と裏の狭間には 最終話―戻れない日常(中編)―
これは、すぐに手を打たないと取り返しのつかない展開になる。
「よし、雫。まず俺の話を聞け。」
「うん、いいよ。」
「じゃあまず、その包丁を置け。」
「うん。」
雫は、不自然なほどあっさりと、包丁を置いた。
「よし、じゃあ、そこに座ろう。俺も座るから。な?」
「うん。」
待て。
従うのはいいが、表情が消えているのは何でだ。
「……………………。」
「……………どうしたの?話さないの?」
「いや、話すから。その文房具という名の凶器を置け。」
「………うん。」
あー……。どうすっかな……。
アークのことを喋るわけにもいかないしな……。
「えっとな、レンとは喧嘩したってわけじゃない。それに、浮気とかは論外だ。」
「そうだよねー。お兄ちゃんが浮気とか、有り得ないもんね。」
「なぁ?有り得ないだろ?」
「うん、そうだよね。」
「だから、何も心配する必要はない。俺は別に何も疚しい事はない。」
「じゃあ、どうしてレンと二人で会うのを避けてたの?」
「あー………それはだなぁ……。」
どう説明するかなぁ……。
「レンが怪我をしただろ?」
「うん、したね。」
だからどうして表情が微動だにしないんだ………。
その表情は、相変わらず、ヤンデレの象徴のような顔のまま、凍りついている。
あたかも能面のようだ。
ヤンデレの能面………やめてくれ。想像しただけで震えが走る。
「だけどそれがどうかしたの?お兄ちゃんには関係ないでしょ?」
「いや、それがな………。一部俺の責任みたいなところがあって……。それで、顔を合わせ辛かったというか……。」
「そう。」
そこで、雫は頷き、俺はほぅっと溜息を吐いた。
「うん、疑ってごめんね、お兄ちゃん。」
雫は、やっと表情を元に戻し、明るい笑みを見せた。
俺が何をしたのかは、スルーしてくれるらしい。
それに関しては、ほっとする。
やっぱりこいつは、気遣いができる。
俺が本当に話したくない事は、触れないでいてくれる。
とりあえず、俺は部屋に戻った。
そこで、俺は、ある作業をした。
後で思えば、魔が差したとしか思えない。
あたしが資料をまとめて、大会議室の前に行くと、そこには、もう全員が揃っていた。
紫苑以外。
「どう?」
「もう全員集まってる。」
「テレビ電話のほうも終わったの。」
「勿論、全ての施設に繋がってるっすよ。」
「……在庫チェックも終わった。」
「準備も終わってるよ。」
「そう。じゃ、会議を始めましょう。」
扉を開け、あたしを先頭に入場する。
あたしが入室すると同時に、大会議室の中にいる全員が一斉に立ち上がり、敬礼をする。
ビシッ、と揃ったこの行動は、軍隊をも凌駕するほどだ。
室内は既に暗くなっており、スクリーンだけが明るい。
それ以上に、室内には物凄い緊張感が漂っている。
あたしが直々に命令したのだから、当然だろう。
テレビ電話の関係で、他の施設にも全召集がかかっているのも知れているだろう。
前回の内乱のこともあるし。
あたしからいかなる話が出るのか、予想できてる人もいれば、予想できない人もいるはずだ。
スクリーンの前には、長机が置いてあり、そこには七脚の椅子が置いてある。
中央の椅子には、パソコンが置いてある。
中央にあたし、あたしの右隣に煌、その隣に輝、その更に隣に耀が立つ。
あたしの左には理子が立ち、その更に隣には礼慈が立つ。
一番左は空席だ。
あたしたちも一斉に敬礼し、手を下ろす。
部屋の中の全員は、それに合わせて手を下ろす。
「忙しいところ集まってくれてありがとう。時間がないからすぐに話を始めるわ。座って。」
全員が席に着く。
「では、会議を始めます。」
「そうだ、これを買ってきたんだ。」
俺は、持ってきた荷物を出す。
持ってきたのは、ケーキだ。
レンが好きな、ショートケーキだ。
果物の詰め合わせと迷ったのだが、こっちにした。
レンは、ケーキが好きだからね。
「うわぁあああ………!」
事実、レンは目を輝かせている。
「え?これ全部食べていいの?ホントに?」
「ああ。お前に買ってきたんだ。食べるか?」
「うん!食べる食べる!!病院食がまずくてねぇ。雫ちゃんの料理が恋しいよ。」
これが犬だったら絶対に尻尾振ってるよなぁ、というようなレベルの喜びっぷりである。
俺は、皿とナイフ、フォークを出して、ケーキを切る。ついでに紅茶も淹れる。
ケーキは大きめ、紅茶は砂糖を多めに入れて甘め。これがレンの好みだったはずだ。
「わあ、ありがとう!!」
それは記憶違いではなかったらしく、レンはもうこれ以上ないほどに目を輝かせている。
「ほら、君の分も切りなよ。」
「ん?いいのか?これはお前に買ってきたもんだぞ?」
「いや、切れよ。ボクにこんなおいしそうなケーキを一人で食べろって言うのかい?一緒に食べようよ。」
「そうか。じゃあ、遠慮なく。」
レンに促されて、俺もケーキを切る。
ついでに、紅茶を淹れる。
パイプ椅子を出して、レンの傍らに座る。
こうして改めて間近で見詰め合うと、こう、気恥ずかしいものがある。
「ふふ。」
「ははっ。」
意味も無く笑いがこみ上げてくる。
こういう微笑ましい感じは、実にいい。
俺たちの雰囲気に、よく合っている。
「ん、おいしい。」
「だろ?駅前に新しいお店ができてな。学校でも女子の間で評判なんだぜ?」
「女子の間でって……。紫苑、君、よく女子に聞けたよね。」
「ま、お前に食わせたかったからな。」
「クスッ。やっぱり、ボクとの会話だと遠慮というか、なんというか、そこらへんがないよね。」
「まあ、今更だしな。」
ケーキを食べながら、笑い合う。
「いや、この店のケーキが結構うまくてな。店のほうでケーキバイキングもやってるから、退院したら行ってみようぜ。」
「うん、そうだね。この味でバイキングなら、かなり楽しめそうだ。」
「だろ?飲み物も結構充実してるんだぜ。温かい紅茶とか、結構いいんじゃないか?」
「それはいいね!ケーキは何があるんだい?」
「パッと見た感じだと、結構一通りあるんじゃないか?ショートケーキ、チョコレート、チーズケーキもあったし、モンブランなんかもあったはずだぞ。後は、『季節のケーキ』なんてのもあったな。」
「へぇ?季節のケーキ?」
「そうだな、この時期だと………なんだったかなぁ。ごめん、今のはちょっと忘れちゃったけど、マンゴーとか、そんなのもあるらしいぞ?」
「へぇ、マンゴーか。食べてみたいなぁ……。」
レンが目を輝かせている。
マンゴーのケーキでも想像しているのだろう。
そんな会話をしている間に、ケーキも食べ終わった。
「なあ、レン。」
「ん?なんだい?」
「実は………お前に謝らなくちゃならないことがあるんだ。」
「今日は、柊紫苑は所用があるため欠席です。よって、今回の会議は、この六名が出席します。」
議場は、しんと静まり返っている。
張り詰めた糸のような緊張感だ。
設置されたカメラの向こうで、別の施設の人たちも、同じように話を聞いているだろう。
「今回私が召集をかけた理由は次のものです。」
手元のパソコンを操作し、あたしの後ろにあるスクリーンに、事前に用意した資料を映し出す。
作品名:表と裏の狭間には 最終話―戻れない日常(中編)― 作家名:零崎