王の光
2.リア=ローラン
「君は、ソフィーなのか」
ジルヴェスター=クリューガーは、何度も同じ問いを目の前にいる人物に投げかけた。彼女が答えるまで、今いる小屋を出るつもりはなかった。
「……それを知ったところで、あなたにメリットはないわ」
「でも、知らないままじゃ進めない」
「……」言葉に詰まった彼女だが、やがて観念したようにため息をつくと、ヘルメットを脱いだ。「ええ、私はソフィーよ」
ヘルメットの下から現れた素顔は紛れもなくソフィー=エッフェルのもので、ジルとしては、仮説が当たったとはいっても驚かざるを得なかった。
何故彼女が軍に――その中でも、特にエリートが集まるとされるチェスに――所属しているのか、皆目見当がつかなかった。
しかし、今はそれを追及している余裕がない。彼女が正体を明かしてくれただけも十分だ。命を預けるだけの信頼はある。
「体調は大丈夫なんだね?」
「うん。そもそも、病弱ってのがウソだったから」
「それなら良かった。で、俺たちはどこに避難するんだ?」
「え? そ、そうね、近くに私のザクールを待機させているから、そこまで走るわ。二人くらいなら、コクピットに入っても大丈夫だろうから」
「そっか。よし、じゃあ早く行こうぜ」
追及してこないジルに対してソフィーは少し驚いた様子を見せたが、それでもさすがというべきか、すぐに表情を戻した彼女は、彼を先導して小屋を出た。
しかし、その足は小屋を出たところですぐに止まった。彼女についていこうとしたジルは避けきれずに、その背中に顔面をぶつけてしまう。だが彼女に抗議する前に、彼はその理由が分かった。
目の前に、およそ三メートルほどの高さをした人型兵器がいたのだ。それは銃のようなものを構えており、その銃口はジルたちに向いていた。民間人に銃を向けるという行為からして、EUFの機体でないのは明らかだった。
「ジル!」
ソフィーの叫びとともに大きな銃声が鳴り響く。しかしそのとき既に、ジルの身体はソフィーによって倒されていた。体を衝撃が襲うも、それは決して強いものではなく、むしろ何か柔らかいものに覆われたかのような感覚だった。
彼女が自分を庇ったのだということに気づくまで、時間はいらなかった。幸いに、撃たれたであろう弾丸は彼の体には当たっていない。思わず瞑ってしまった目を開けると、すぐ近くにソフィーの顔があった。思わず彼は顔を右にそむける。そのとき、彼女が来ているパイロットスーツの左腕部分が破れ、そこから出血しているのが見えた。もう一度彼女の顔に視線を戻すと、それは苦痛に歪んでいるように見えた。
「ソフィー! ケガしてる!」
「だ、大丈夫よこれくらい。それよりも、早く逃げないと……」
そう言うソフィーだが、彼女の表情からは「苦」という感情しか読み取れない。先ほどまで自分たちがいた小屋は完全に破壊されており、その残骸が飛び散り、彼女の左腕にケガを負わせたのだろう。もしソフィーが自分を押し倒さなければ、自分も木端微塵になっていたのかもしれないと思うと、背筋が凍った。
だが、まだ危機は続く。ここから逃げるためには、まずソフィーがジルの上からどかねばならない。それは彼女も分かっていて、なんとか上体を起こそうとしているが、力が入らないのか、それはなかなか持ち上がらない。よく見ると、彼女の左腕は地面を押すことなく、ただダランと垂れ下がっていた。
――大丈夫じゃないだろ……
女子の身体を触るということには多少の抵抗があったが、こういう状況でそのようなことは言っていられない。怒られたら後で謝ればよいと、ジルは思い切ってソフィーの両肩を下から押し上げた。今のままでは、怒られる機会すら与えられずにあの世行きだ。
彼女の下から這い出て、すぐに人型兵器に顔を向ける。これが世界でザクールと呼ばれる機体なのだろうということは、容易に分かった。だが、コロンブス大公国が開発した初期のそれを見た以外は、どのザクールも見たことがない。すべての国が、軍事利用のためにその開発をひた隠しにしてきたのだ。一般人であるジルが目にする機会など、あるはずがなかった。
そのザクールが、再び自分たちの方へ銃口を向けていた。ソフィーは、まだ起き上がれずにいる。次の銃撃を二人で避けることなど、不可能だ。
ジルは低い体勢のまま素早く動き、ソフィーとザクールとの間にポジションを取った。避けるのが無理なら、せめて銃撃を受けるのは自分だけにすればいいという、彼にとっては単純な発想だった。
「何をしているの。ジルは私の後ろに隠れて!」
「逆だよ。ソフィーが俺の後ろに隠れるんだ」
「私は軍人で、ジルは民間人なの。あなたを守るのが私の義務なのよ」
「俺は男で、ソフィーは女の子だ。ましてやケガをしていて動けない。君を守るのが、俺の義務だ」
恥ずかしいという感情はなかった。だが、死を間近に控えたこの状況で、スラスラと言葉が出てきた。だが、さすがに恐怖は感じる。彼はついに目を閉じた。
後ろからソフィーの抗議が聞こえる。その直後、それをかき消すかのように銃声が響いた。
気を失ってしまうのではないかというほど、心臓が跳ね上がるのを感じた。だが、それだけだった。体に衝撃は何もない。もしかして全ての弾が後ろに逸れたのではと慌てて振り返ったが、ソフィーにも今回の銃撃が命中した様子はなかった。
それよりも気になったのが、彼女の嬉しそうな顔だった。まだ危機的状況を回避したわけではないというのに、それはもう、助かったかのような笑顔だった。
自分はしっかりしなければと、顔を再び前に戻す。しかしそこには、先ほどまでいたザクールはおらず、代わりに、別の真っ白なザクールが立っていた。
「レアル大尉!」
ソフィーが嬉しそうに叫ぶ。その名前には聞き覚えがあった。「チェス」の中でも最も優れた腕前を持つパイロットで、飛行能力がないはずのザクールで空中戦を繰り広げるといった伝説を持つ、あのアントニオ=レアルのことが、真っ先に頭をよぎった。
よく見れば、先ほどまで彼らを狙っていたザクールと思われる残骸が、白いザクールの下にある。先ほどの銃声は、この白い方から発せられたものだったのだろうか。
とにかく、ソフィーの様子から察するに、味方が来たのだと考えて良さそうだ。ジルは立ち上がると彼女に手を差し出し、ゆっくりと立ち上がらせる。そのときにも、彼女は顔を歪ませた。その左腕は、まだ力なく垂れている。
「ソフィー、今のうちに行こう!」
「ええ」
「にゃー」
いつの間にかジルが着ている制服の中に入り込んでいたナポレオンの鳴き声に、少しだけ場が和む。しかし、それからすぐにジルはソフィーのヘルメットを拾い上げ、彼女を見た。彼女は頷くと、一度だけ白いザクールを見た後、走り出した。ジルもその後を追う。
「ソフィー、あの機体って……」
「知らない方がいいわ。一々軍部の情報を掴んでいたら、いつか危険な目に遭うわよ」
「もう十分遭ったよ。俺には知る権利があるはずだ」
「……」少しの躊躇い。だが彼女は観念して走りながら続けた。「あれは『チェス』に所属するザクールよ。パイロットはアントニオ=レアル。白騎士、ね」
「やっぱり」