王の光
ロストクへ近づくにつれ、街から上がる黒い煙が目立つようになってきた。しかし、自分が――この白い機体が戦場へ姿を現すことにより、その状況も変わるのではないかとジルには思われた。後ろにソフィーの姿は見えないが、彼女が自分を追ってきているのは間違いないだろう。
そして、ジルはようやくロストクの街へ辿り着いた。
住民はほとんど避難を終えているのか、道路にその姿は見えない。車ももちろんない。戦場となったとき、その街の道路はザクールが通ることが優先されるのだ。それまでのように速く動くのではなく、ジルは逸る気持ちを抑えながら、慎重に機体を進ませた。
家族は無事だろうか。友人らは無事だろうか。早く自分も避難所へ向かいたい。そう思いながら、ジルはふとレーダーを見た。その瞬間、通常ではありえない現象を目の当たりにした。
中心にある白い三角のマークが自機を表しているのはジルでも分かった。そしてそこから考えると、自機以外の三角マークが他機を表していると考えられる。色は一色ではなく、黒や赤などがある。それが敵のものなのか味方のものなのか、ジルにそこまでの判断はできなかったが、それでもこれがおかしいことくらい分かる。何機もの機体が、自機に向かってくるのだ。
「味方なんていないか……」
それがEUFの機体だったとしても、脱走したジルが彼らに優しく保護されるはずがない。ならば今ジルが行うことは、この機体からひたすらに逃げることだけだった。 しかし、三六〇度から機体が迫ってくる状況ではどこに逃げればいいか分からなかったのだ。迷ったのはほんの数秒だったが、その間にも他機との距離はどんどん近づいてくる。
一番近いのは右前方から近づいてくる機体だった。レーダーによると、マーカーの色は赤色だった。今更逃げることはできない。機体が来る方向を睨みつつ、ジルは操縦桿を握る手に力を込める。武器の使い方は分からない。敵が現れたら、その瞬間に逃げるしかない。どこへ。敵機が来た方へ。敵機の横を通り過ぎ、この機体のスピードを活かして逃げるのだ。ある程度逃げたら、機体を放棄すればいい。
そして目の前に機体が現れる。それは以前ロストクで見た機体――ロイナ連邦の量産型ザクールだった。
――動け!
そう思ってはいるものの、身体が動かない。いざ敵機を目の前にして、機体を動かすことができなかった。
敵機がマシンガンを構えたのが見えた。身体はまだ動かない。まるで金縛りにでもあったかのように、動かそうという意志が身体に伝わらない。レーダーを見ると、背後からは黒のマーカーが迫っていた。これで逃げ道は完全に断たれたことになった。
こういうときに人間はどういう行動をとるのか、ジルはこれまで少し興味があった。今ようやく、それを自らの身で経験することができたのだが、それは思っていたよりもあっけないものだった。諦め――ジルは静かに目を閉じた。
マシンガンの、低い連続した音が聞こえた。思わず身体が強張る。だが、それだけだった。何故身体が強張ったのか。それは自分が撃たれていないからだ。
ゆっくりと目を開ける。そこには、原形をとどめないロイナのザクールがあった。
何が起きたのか。それはすぐに知らされることとなった。
「聞こえるかしら。聞こえたら返事をしてちょうだい」不意に通信が入り、コクピット内に声が響いた。
「あの……」
「聞こえるみたいね。君は私が守ってあげるから、とりあえずそこにいなさい。そうすれば敵の方からどんどん来てくれるはずだから」
「あなたは……?」
「マリベル=セラ中尉よ。ザクール一番隊隊長代理を務めているわ。通常の戦闘技能ならあのお嬢様よりも上だから、安心していいわよ。……大尉よりは劣るけどね」
最後の方を呟くようにして言うと、マリベルと名乗った女性はジルが乗るキングの前に出た。リアが乗るクイーンのように黒いザクール。先ほどレーダーに映った黒いマーカーはこの機体のことだったのだろうか。
続いて、またもや前方から敵機が現れた。マリベルはその機体が現れる少し前に、マシンガンを連射する。もの凄いスピードで姿を見せた敵機は、たちまち蜂の巣となった。しかしその前にマリベルが放った銃弾は、ロストクの街を少し破壊することとなった。ロイナのザクールと同じように大きな穴の開いた建物を見て、ジルは抗議の声を上げた。
「ロストクを壊さないでください!」
「市街戦だもの、仕方ないわよ。キングを壊すわけにはいかないの」
悪びれた様子もなく言うマリベル。ジルはその瞬間、EUFも敵であることを再認識した。
だが、問題はやはり逃げ道がないことだった。こうもあっさりと敵機を撃墜していくマリベルから逃げることは不可能に近いだろう。さらに背後から近づいてくる機体が、ジルに焦りを生み出させる。
次は誰だ。そう思ったとき、コクピット内に声が響いた。通信が入った合図だ。マリベルの声ではない。しかし、聞き覚えのある、先ほど聞いたばかりの声だった。
「ジル! 無事?」
「ソフィー?」
背後から迫ってきていたのはソフィーの機体だった。よくよく考えれば、街に入ってすぐのジルに対して、敵機が背後から現れるわけがない。考えられるのは、先ほど抜いて置き去りにしたソフィーだけだった。
「無事みたいね。良かったわ」
「良くないよ! この人を止めてくれ。ロストクが壊されてしまう!」
「まさか、セラ中尉が?」
「敵機を撃墜するためなら、多少の破壊は仕方ないって……」
「させない!」
ソフィーからの通信が切れた。直後、「キング」のすぐ横を黒い機体が通り過ぎる。マリベルが乗る機体の横に立った「クイーン」は、彼女が構えるマシンガンの銃口を下に向けさせる。一時期とはいえ彼女もこのロストクで暮らしたのだ。この街が壊されるのを許せるはずがない。ジルには分からないが、おそらく今頃は彼女たちの機体同士で通信による会話が行われているのだろう。
状況的には、敵機を攻撃する役目がマリベルからソフィーに代わっただけだといえた。だが、ソフィーによるマシンガンの射撃は確実に敵機を捉え、街への影響を最小限に抑えようとするものだった。
しかし、マリベルもわざと街を破壊しようとしていたわけではない。“破壊せざるを得なかった”から破壊していたのだ。それを避けるソフィーの攻撃には無理があった。敵機が現れてから撃墜するまでの時間が長くなり、次の敵機が現れるまでの時間が短くなってゆく。そしてついに、二か所から敵機が現れる事態となった。
それまで彼女に任せる格好となっていたマリベルの機体がついに動き出す。敵機がマシンガンを構えている間に、ソフィーが現れるまでに見せていた早撃ちを披露した。敵機はまたもや撃墜される。しかし再び、ロストクの街に流れ弾が突き刺さることとなった。
「中尉! 街を傷つけないでください!」
ソフィーの声だった。焦って通信の回線を間違えてしまったのだろうか。マリベルに向けたと思われる通信が何故かジルに届いた。しかしマリベルにも伝わっていたようで、直後に彼女からも興奮したような声が発せられた。
「またそんな甘いこと言って、キングを敵にやらせる気?」
「そ、そんなつもりは……」