王の光
「今日の放課後、空いてる?」次にソフィーが口を開いたときには、もうその表情から憂いは消えていた。「ちょっと、つきあってほしいんだけど」
「別に用事はないけど……一体どうして」
ジルがソフィーに尋ねようとしたとき、ちょうど教室に他の生徒がゾロゾロと入ってきた。彼は何故か気恥ずかしくなり、それ以上彼女と会話を続ける気になれなかった。
結局放課後まで、彼女とは会話をしなかった。あまり意識したこともなく、顔も注視したことがなかったため気がつかなかったが、ソフィーの顔立ちはとても整っているように感じられた。病弱とのことだが、顔色は非常に良く見える。むしろ、かなりの健康体なのではないかと思えるほどだった。
しかし、放課後になっても彼女は話しかけてこなかった。もしかしたらジルが話しかけるのを待っているのではと思ったが、何をするかも聞かされていない状況で、自分からその話題に持っていくのも難しいと彼は感じていた。
帰る支度をしながら、話しかけるべきかどうか迷っていると、ジルの横を人が通った。まさかと思って確認すると、それはソフィーに違いなかった。彼は慌ててその後を追った。
一度こちらをチラリと振り返った彼女だが、そのまま再び前を向いて歩き続ける。ジルの存在には気づいていながら何も言ってこないことに、彼は少し戸惑った。
学校を出て、右に曲がる。これはジルの家とは逆方向だった。一瞬だけ躊躇した彼だが、意を決して彼女についていくことにした。今まで全然関わってこなかったソフィーという女子生徒が自分に何を求めているのかが気になったし、そもそも彼女は今日のラッキーパーソンだ。占いを信じるとすれば、ついていって損はないだろう。
その後、二人は一言も話さないまま歩き続けた。途中でジルが自身の携帯端末で確認したところ、学校を出てから三〇分が経っていた。さすがに限界が近づいてきたジルは、ついに自分から口を開いた。
「あのさ!」自分の声に反応したソフィーが振り向いたのを確認し、彼は続けた。「どこに行くつもりなの」
「もうすぐ着く……。あと、五分くらい」
そう言われて、彼は何も反論できなかった。彼女は質問に答えていない。それでも、ここまで来て今さら引き返すという選択肢は彼の中になかった。
五分間、再び歩いていく。海から続く長い川に沿って歩いていると、彼女がついに足を止めた。その先には小屋があり、少しの間を取った後、彼女はその中に入っていった。
「ここは……誰も住んでいないの?」
「誰かが住んでいるように見えるの?」
彼女の問いに、ジルは首を振った。光は、窓から入ってくるわずかなものだけ。埃さえあまりないようだったが、家具なども何もないこの場所に、誰かが住んでいるとは思えなかった。
では、何故彼女はこの場所にジルを連れてきたのだろうか。まともな会話をしたのは、今日が初めてだ。それとも、彼女はずっとジルのことを気にしていたのだろうか。そして会話をした今日、ついにその思いを……。
「あのさ、結局俺はどうしたらいいんだ?」
「そうだったね。クリューガー君に、お願いがあるの」
暗がりの中、少し照れくさそうに彼女は話し始めた。これは間違いない。これまでにも何度か経験したことがある、あの「告白」という行為だ。いきなり告白とは、病弱ということだが、なかなかアグレッシブなタイプだ。それでも学校からこれだけ離れた場所で告白するというのは、気持ちの整理をつけるためなのだろう。そう考えると、やはり可愛げがある。
どうするべきだろうか。まだ親しくないとはいえ、ソフィーの顔立ちは美しく、このチャンスを逃すのは惜しいように思われる。ジル自身も、彼女と親しくなりたいと思い始めていたところだ。そしてここでそのまま……。思わずにやけそうになる顔を必死に抑えて平静を装い、ジルは次の言葉を待った。
しかし先に聞こえたのは彼女の言葉ではなく、カサカサと床を何かが這うような音だった。
ジルは思わず後ずさりする。その音はだんだん大きくなっていき、二人に近づいてくるようだった。そして、彼の横を何かが飛ぶのが感覚で分かった。
「うわっ」
自分でもビックリするほど情けない声が出た。しかし、暗い中で何がいるのかも分からない状況では仕方ないだろうと、彼は自分を正当化させた。
しかし、続いて聞こえるはずであるソフィーの悲鳴が聞こえない。代わりに聞こえたのは、異常なまでに冷静な彼女の声だった。
「大丈夫だよ」
「え?」
「この子は大丈夫」そう言って彼女は、ジルの前に両手を差し出した。その中心に、何かがいる。「お願いって、このことなの」
ジルは必死に目を凝らす。薄い明りの中でようやく目が慣れてくると、その正体がようやく分かった。「……猫?」
「うん! ナポレオンっていうの!」
「は?」
突然、彼女が饒舌になった。ジルが聞くまでもなく、彼女はこの(元)野良猫について語りだしたのだ。
その話によると、彼女はこのナポレオンと名付けられた猫を、三日前にこの付近で偶然見つけたそうだ。あまりの可愛さに一目ぼれした彼女はそれを飼うことにし、運よくこの場所を見つけたために、ここで面倒を見ているらしい。家で飼わないのかと尋ねると、少し歯切れ悪く、家では飼えない決まりなのだと言われた。家族の誰かが猫アレルギーなのだろうか。だが、それ以上はジルも尋ねなかった。
「で、お願いっていうのは……」
「それなんだけど。私、この子の面倒を見きれないのよね。今日はこうして餌を持ってきてあげられるけど、ほら、私、その……病弱だから……」
後半になって、彼女はだんだんと苦しそうになった。テンションの高いナポレオントークからの流れを引き継いだ前半は元気だったのだが。まるでわざと病弱体質を演じているかのようで、ジルは変に思った。もっとも、彼女が病弱を装う理由などどこにもない。考えすぎだろうと彼は自分を納得させた。
「だから、俺に手伝えと?」
「……ダメ?」
ナポレオンを両手で胸に抱きしめながら、彼女が言う。顔の位置はジルの方が上にあるため、それは必然的に上目遣いとなり、彼は思わず目を逸らした。
拒否できるわけがない。彼が予想していたお願いではなかったものの、その前に彼は彼女の魅力について考察していたのだ。その彼女にこういったお願いをされて、断れるわけがなかった。
「いいよ」視線をソフィーに戻し、彼は続ける。「でも、こっちからも一つだけお願いがある」
「なに?」
「病気なのは仕方ないかもしれないけど、これからはもっと学校に来てよ。体調管理をしっかりしてさ」
「えっと、その保証は……」
「じゃあ、ナポレオンは飢え死にするしかないね」
「頑張ります」
よほどこの猫が大事なのだろう。彼女は即答で前言を撤回した。ジルは思わず吹き出しそうになりながら、続けた。
「それから……」
「お願いは一つって言ったじゃない」
「そうだっけ? じゃあ二つで」抗議するソフィーを軽く流し、彼は口を開く。「俺のこと、ファーストネームで呼んでよ」
「え?」わけが分からないといった様子で、ソフィーが聞き返してきた。