舞うが如く 第2章 10~12
(12)沖田の剣
沖田総司は1842年(天保13年)に
白河藩江戸藩邸にて、沖田勝次郎の嫡男として生まれました。
幼名は宗二朗と言い、上洛にさいして総司とあらためます。
一説には、近藤が宗二朗を略して「そうじ」と
呼びつづけたからだとも言われています。
9歳で天然理心流に入門し、試衛館の内弟子となりました
早くからその才能を開花させ、19歳を前に、
すでに免許皆伝となり、塾頭となりました。
天然理心流では免許皆伝までには、早くとも10年余りを要します。
当然、それ以上時間のかかるものたちも続出します
9歳で入門をしていますが、
総司は体力や体格にも、けして恵まれているとは言えず、
すぐに剣術を習えたとは到底思えません
また誌衛館にも、子供を養うほどの経済力はなく、下働き的な扱いや
奉公的な意味合いも強かったと思われます。
総司が何歳から正式に稽古を始めたかは、
ほとんど記録には、残されていません
おそらく子供の真似ごとの延長から、曖昧な形で始まったと思われます。
ともあれ、20歳を前に免許皆伝の腕前となり
誌衛館を代表して出稽古までこなしていたといいますので
いかに剣技においては、その才がいかに抜きんでいたかを示しています。
試衛館の食客のひとり、
永倉新八が、沖田の剣をこう語ります。
「沖田総司は、20歳そこそこの若輩だが、
剣法は天才的な名手であり実に、完璧で見事そのものである。
おそらく本気でたちあえば、
先生の近藤でも歯がたたぬであろう」
作品名:舞うが如く 第2章 10~12 作家名:落合順平