舞うが如く 第2章 1~3
形式上は第13代将軍・徳川家定が台命(将軍の命令)を発して
全ての処罰を行なったことになっていましたが、
実際には、大老・井伊直弼が全ての命令を発していました。
この圧制がやがて「桜田門外の変」を生みだしてしまいます
万延元年3月3日、
江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士たちが
大老井伊直弼(いい・なおすけ)を殺害します。
(※事件当日は安政7年ですが、
3月18日に万延と改元されたため、万延元年と表記しました)
井伊直弼は安政の大獄で反対派を弾圧し、
また水戸に下された勅諚(※)(ちょくじょう)の返納を迫るなど、
水戸藩に対する弾圧を強化したのです。
このために、水戸の尊攘派の志士、
高橋多一郎や金子孫二郎、関鉄之介らは脱藩をして、
薩摩の同志と連絡をとりながら、
井伊大老襲撃の暴挙を実行したのです。
※勅諚 ・・・・安政5年(1858)8月8日、朝廷が
「条約締結断行など、幕政に対して天皇が不満に思っている」
という勅諚を水戸藩に下しました※
こうした経過のなか、
文久3年(1863年)に清河八郎が中心となって
京都に上洛する将軍の護衛を目的とする組織、
浪士組の募集をはじめます。
のちに新撰組をつくるあげた近藤勇たちの
試衛館の門弟たちととともに、良之助も
いち早く参加を決めました。
万いちのことを考えた良之助が、
道場は師範代たちにまかせて、郷里の穴原村へと、
妻子を連れて戻ります。
作品名:舞うが如く 第2章 1~3 作家名:落合順平