ヴァーミリオン-朱-
息が上がり、躰が鉛のように重い。
内臓を抉られる痛みに耐えながら呪架は歯を食いしばった。
「クソッ」
眼を細めた呪架の瞳に映る白い戦乙女。
「ええっと、ご無沙汰しておりますです」
ホーリースピアを構えたフュンフはにこやかに微笑んだ。
「俺が首を刎ねて殺したはずだ」
幽鬼にしては生気を感じた。呪架はフュンフが再生装置で復活したことを知らなかったのだ。
「死の淵から蘇ったです」
「なら何度でも殺してやる」
呪架の躰から漲る殺気をフュンフは柔和に受け流していた。
しかし、呪架の技は受け流せるか!
神速の妖糸がフュンフを狙う。
スピアの先で妖糸を軽くあしらい、フュンフが姿を消した。亜音速に突入したのだ。
呪架の視界から消えたフュンフ。
目で追わなくとも呪架は感じるままに妖糸を振るった。
背後に向けて放った妖糸がフュンフの兜をなぞる。
呪架の攻撃に驚いた顔をしてフュンフは飛び退いた。
「まぐれではなさそうですね」
「殺気を感じた」
亜音速から攻撃に移る一刹那、フュンフは通常のスピードに戻る。呪架は勘でそこを捉えたのだ。
フュンフはホーリースピアを構え直して体勢を整えた。
「亜音速モードはこけおどしです。本当の戦いには向きませんです」
亜音速での戦いは失敗したときのデメリットが大きい。奇襲や不意打ち、各下の敵には有効だが、今の呪架には得策ではない。
通常のスピードでフュンフが呪架に速攻を決める。
自ら近づいて来る的へ呪架は妖糸を放った。
煌く妖糸がフュンフの胴体を薙いで真っ二つに割った。だが、血も出ずに霞み消えたかと思うと、そこから白い影が天に昇った。
「残像かッ!?」
声をあげた呪架は頭上に気配を感じた。
地にスピアの刃先を向けて飛来してくるフュンフの姿。
すかさず呪架は妖糸を放った。
再び斬られ霞み消えるフュンフ。その霞んだ残像から、新たなフュンフが飛び出すのを呪架は目撃した。
慌てて飛び退いた呪架の目の前で、フュンフはスピアを地面に突き刺した。躱すのが遅ければ、槍で串刺しにされているところだった。
地面を砕いたフュンフが次の攻撃に移る前に、呪架は妖糸でフュンフの躰を確実に八つ裂きにした。
しかし、八つ裂きにされたフュンフは霞み消えたのだ。
霞の中から再び飛び出す実体を持ったフュンフ。
あまりの近距離に呪架は成す術もなかった。
歪む呪架の口元。
スピアの刃先が呪架の左肩を貫通していた。
貫かれた刃先から滴り堕ちる血の雫。
痛みなどかまわず呪架は残る右手から妖糸を繰り出した。
この距離で妖糸を外すわけもなく、煌きはフュンフの首を刎ねた。
だが、やはり霞み消えた。
次の瞬間、呪架は残る右肩もスピアで貫かれていた。
無残なまでに無表情のフュンフは容赦なかった。
スピアを肩から抜き、すぐさま柄で呪架の側頭部を殴りつけた。
フュンフは横転する呪架の足を払い転倒を促進させ、地面に仰向けで倒れた呪架の腹に足の裏を押し付けた。
止めは呪架の咽元に突きつけられたホーリースピアの切っ先。
「チェックメイトです」
「……クッ」
腕は思うように動かず、動けたとしても咽喉を掻っ捌かれるの先だろう。
敗者を見下しながらフュンフはにこやかに微笑んだ。
「わたくしが五人いることをお忘れでしたですか?」
前回の戦いのときも、フュンフは五人となって呪架とエリスを苦しめた。だが、呪架は前の戦いとは違うものを感じていた。
「おまえ、前に戦ったときよりも強くなってるな。前の戦いはお遊びだったのか?」
「いいえ、わたくしたち戦乙女は死の淵から蘇ることにより、飛躍的に戦闘力を上げられるのです。それに……前回の戦いでは何者かの妨害が入りましたです」
「なにッ?」
「あの、そのですね、簡単に言いますと、貴方がわたくしに勝てたのは何者かの助けがあったからです」
「クソッ!」
実力で勝ったのだとばかり思っていた。けれど、今ならばフュンフの言葉が事実であると理解できる。
呪架の脳裏に浮かぶ鮮やかに美しい紅。
「あいつか……」
呟いた呪架。
いつまでも人の手の上で躍らせれているわけにいかなかった。
なのに躰が動かない。
フュンフに動きを封じられているのに加え、内蔵を蟲に喰われているような激しい痛み。
呪架の口から黒血が吐き出された。
それを見てフュンフは瞬時に悟った。
「〈闇〉に蝕まれているのですか?」
「…………」
呪架は沈黙した。弱みを見せたくなかった。
「わたくしたちの仲間になりなさいです」
「クソッくらいだ!」
「躰を光に変えて生きながらえることができるです」
それは慧夢が辿った道。
「クソッくらいだって言ってんだろッ!」
唾を飛ばしながら呪架は拒否した。
女帝の犬の成り下がるつもりも、慧夢と同じ躰になるつもりはない。
フュンフは少し困った顔をした。
「貴方が拒否しても結局――ッ!?」
呪架の顔からフュンフの目が放された。
その視線の先に見えるモノ。
大地を割って甲冑を纏った蛇のような頭が突き出した――リトルリヴァイアサンだ。
「リヴァイアサンの幼生がこんなところまで!」
叫ぶフュンフにリトルリヴァイアサンが頭を槍のようにして襲い掛かる。
フュンフは呪架に向けていた切っ先を放さなければならなかった。
力を込めて突いたスピアがリトルリヴァイアサンの眉間に突き刺さる。
激痛にリトルリヴァイアサンは暴れ、眉間に刺さったままのスピアを握っていたフュンフが躰を右往左往に振られた。
その間に逃走しようとしていた呪架にフュンフが叫ぼうとしたが、その口は不意に噤まれた。
なんと呪架はリトルリヴァイアサンに向かって走っていたのだ。
今の呪架は両肩を負傷し、妖糸を自由に振るえないはず。気でも狂ったのか?
否――呪架の瞳は冷静だった。
大地を割って地の底から這い出て来たリトルリヴァイアサン。呪架はその亀裂へ身を投じた。
蠢くリトルリヴァイアサンの腹の横を擦り抜け、呪架は亀裂の奥深くで水の流れを見た。リトルリヴァイアサンが通って来た地下水脈だ。
水の流れに身を任せ、呪架は逃げた。
まだ死ねない。
死ぬくらいならば、屈辱を背負っても生き延びなければならなかった。
復讐は終わっていない。
《3》
特設テントの中で女帝は呑気にクッキーを摘んでいた。そのボディーはすでに戦闘用に乗り換えられているが、前との変化はあまり見受けられない。絢爛で重そうな魔導衣から、柔軟さと強度を兼ね備えた白いボディースーツに着替えてくらいだろう。
クッキーを口いっぱいに頬張る女帝の傍らにいるズィーベンの表情は険しい。
「わたくしの力を持ってしても、あの結界を破るのには数日を要するかもしれません」
ズィーベンの言う結界とは〈箒星〉を覆う防護フィールドのことだ。
女帝はクッキーを咽喉に詰まらせ、近くにあったペットボトルを逆さにして、ジュースを口と咽喉に流し込んだ。
「ウゲェ……死ぬかと思ったー」
喜劇を演じる女帝を見るズィーベンの目つきは冷たい。
「わたくしの話を聞いておりましたか?」
作品名:ヴァーミリオン-朱- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)