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認定猶予 -Moratoriums-

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紫煙のみる夢


 一人きりのフロアに、おもむろに電子音が鳴り響く。
 それが白城のデスクの上の黒電話だと気が付いて、悠花は慌てて彼の机に駆け寄った。間延びしたコール音が五回目を終える前に受話器を上げれば、聞きなれた声が少女の脳へと届いた。
「はい。第七テナントビル、事務所です」
『こんにちは、悠花ちゃん』
「高座さん?」
 ひとり?という声に受話器越しに頷き返しかけて、はい、と答え直す。
「留守番なんです」
『ああ、そっか。あいつ副業に出てるのね』
 それから、他愛もない話題に花を咲かせること数分。と言っても悠花は相槌を打つのが殆どで、時折灯の投げかけてくる質問に端的な答えを返すのが精一杯だった。
 淋しくない?と灯は尋ねる。悠花は、平気ですと首を振った。
『あたしも仕事がひと段落ついたら遊びに行くね』
「ありがとうございます」
 また癖で丁寧に頭を下げる。肩まで届いた、髪質の柔らかな悠花の髪がさらさらと揺れる。
 事務所の中には彼女の声と、遥か遠くを駆けていく列車の音。ブラインド越しの空は相変わらずどんよりしていて、鳥の一羽も飛んでいない空は灰色に凝固してしまっているように見えた。
 あまりに静かな空白に、思わず窓の外を眺めていた。ふいに吹き付けた風が換気扇を回して過ぎていく。
 ゆっくりとした瞬きのあと、灯の声が悠花の意識を事務所の中へと呼び戻した。
『それでね、あなたの所にお願いしたいことがあるんだけれど、いい?』


 灯から提示されたのは翌日の正午前で、厳密な時間の指定がなかったために悠花の行動は普段通りあまり左右されなかった。今日も朝から今まで、分厚いファイルと睨み合いながら入力作業を続けている。本当は悠花の仕事ではないし、第一急ぎの内容でもないのだから、こうしてせっせと作業することはないのだけれど。
 それでも何かに打ち込んでいなければ、この空白はあまりにも長い。
 分厚い綴りの漸く半分を過ぎた頃、事務所の入り口の磨硝子に人の影が映った。呼び鈴もインターホンもない代わりに響くノックの音。悠花が返答すれば、恐る恐るといった風にドアが開き、初老の男性が顔を見せた。知らない人間だった。

「こちらで、新聞を見られると聞いてきたのですが」
 その言葉に、彼が灯の言っていた客なのだと気づく。フェルトの帽子に同じ色の背広姿で、身嗜みに気を使っているのだと知れた。帽子を取って会釈をするので、悠花は立ち上がり、男性を迎え入れた。
「日本のものに限られますが……日付はいつですか」
「2011年の、3月15日です」
「新聞社の指定はありますか」
 簡単に二、三要望を聞き、男が必要とする新聞を棚の中から探し出す。2011年のものであれば先日整理したばかりなので留守番役の少女でも代替が可能だった。
 硝子戸の鍵を開けて、三月の棚から一部を引き抜く。念のため、前後1日分ずつの新聞も一緒に取り出した。
 来客ソファに腰掛ける男に手渡せば、彼はすぐそれを読み始めた。熱心に食い入るように一枚一枚と捲っていく。その様子を少女は、自分の席から見ていた。

「――ああ」
 液晶画面に没頭していた少女の耳に、刹那、男性の嘆息が届いた。
 顔を上げる。残念ながら悠花の席からは背中しか見えなかったけれど、彼が此処に入ってきた瞬間の緊張感が解け、今は安堵の色に変わっているのが分かった。
「あった。そうか。じゃあ、すれ違ったのはやっぱり彼女だったんだ」
 それは独り言だと知っていたので、黙ったまま彼の背中を見詰めた。そうか、と、何度か頷き重ねる客人。他の月のものより大分薄い新聞。反して大きく見開きの見出し。彼は愛おしそうに紙面を指でなぞった。
「これ、借りることはできますか」
 穏やかな表情が振り返ったので、促されるように席を立った。そうして部屋の隅の大柄な機械を指差した。
「コピーなら取ることが出来ます。1枚10円かかります。どうしますか?」
「お願いします」
 悠花が予想した通り、彼の返答は明快だった。
作品名:認定猶予 -Moratoriums- 作家名:篠宮あさと