認定猶予 -Moratoriums-
「――猫だよなぁ」
「なにが?」
珈琲をずずと啜ってから、灯が不思議そうに尋ねた。白城は誰とは口にしなかったが、その視線は端末に奮闘する少女の後姿に注がれていた。
「捨て猫を拾った感じに似てるんだよ。人になついてんのか、家についてんのか。空腹を満たしてくれた恩義を感じてるだけなのかもしれない」
灯は黙ったまま、いつになく感慨深げな白城の言葉に耳を傾けた。がさり、折り返した新聞紙が渇いた音を立てる。
「いつかきっと、来た時みたいに、ふらっと出ていくんだろうな」
「たしかに、シロには勿体無いくらいの美人猫だものね」
すっかり読み尽くしてしまった雑誌を、丸めて屑篭に棄てる。チャコールグレーのパンツスーツで器用に足を組み替えながら。
「本当はどこかで飼われていた血統付きなのかもね。本物の飼い主が見つかったら、もう戻ってこないかもしれない」
セルフレームの内側から、問いかける眼差し。白城がそれを目の端で迎えて、数秒間の無言の中でお互いの主張を探る。
けれど、白城の目には普段と同等の倦怠さしか無くて。僅かに滲んだ寂しげな色が、どの虚しさを受けて作られたものなのかは、仕事仲間である灯にすら読み取ることは出来ない。
猫を、養う気はあるのか。
それともいつか逃げられてしまうのか。
華奢な首筋、澄ました無表情。
自分だけのお気に入りの日溜まりを見つけた猫は、きっと振り向くことはない。
けれど。
「それが本物の幸福なら、それに越したことはないさ」
しかし、長い間一人だった『人間』には知る術がない。猫のお気に入りの日溜まりが一体何処に在るのかなどは。
だから拾い主の男は、物分りの良い人間の顔をしたまま、独り煙草を燻らせる。今はまだ足元で丸くなる、毛並みの良い猫の背を撫でながら。
さすがに重くなった体を引き摺って、漸く住処にしているビルまで辿り着いた。正面入り口の自動ドアは立てつけが悪く、最初から非常口の柵を越える。
剥がれの目立つモルタルの壁に沿って上階を目指す道すがら、階段の中央に陣取る毛玉の塊に遭遇した。つやつやの毛並の中に四肢を折り込んで、急にやってきた客人のことなど微塵も気に留めず、悠々と寝息を拵えていた。ロシアンブルーの首元には、きちんと山吹色の首輪が隠れている。
あと一段まで近づいても髭ひとつ揺らさないその住人に根負けするのは白城のほうだ。踏みつけてしまわぬように、起こしてしまわぬように、ゆっくりと足の置き場を選んだ。
ぐるぐる、喉の音が聞こえる。どうやら良い夢を見ているらしい。
その様子には、つい手を伸ばしてしまいたくなって。
「やっぱり、猫だよなぁ」
思わず、事務所で留守番をしているはずの少女を思い出した。
指先は、ひやりと冷たい。
作品名:認定猶予 -Moratoriums- 作家名:篠宮あさと