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アイラブ桐生 序章・はじめに

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 「カニ川通り」と呼ばれていました。
もともとは、織物工場の動力として水車を回すために、
渡良瀬川から市内に引き込まれてきた
用水濠のひとつでした。

 呑んで遊べる、準・赤線地帯とも言える
庶民相手の気安い、飲み屋街通りだったようです。
両毛線・桐生駅のすぐ東で、交番のすぐ裏手から始まって、
用水濠の河川の上に、桟敷を敷いただけの簡易な作りのお店が
肩を寄せ合うようにして、たくさん並んでいたのを
今でも覚えています。


 小学生の頃に、
よくオヤジを迎えに行かされました。
お店の(若い)お姐さんから,飴やお菓子、
お土産などを貰った覚えがありますので、
父子ともに、よく顔を出した常連だったと思います。



 「坊やも早く、遊びにおいでね。」

 あのときの、あの言葉・・・
しかし当時、小学生だった私には、お姐さんのその真意は
まったく、理解することができませんでした。

 「あと、もう少し
 早く生まれていれば・・・」


 娼婦の廃止を求める運動は、
日本では明治初期から、自由民権関係者やキリスト教団体によってすすめられ、
1956年(昭和31)の「売春防止法」の制定により
ようやく実現したという歴史をもっています。

 女性の地位向上と確立のために、その第一目標とされた
この「娼婦廃絶」の運動は、実は群馬県から発生をして、
やがて「赤線地帯の廃止」と、「売春防止法」を生み出しました。
本当に、もう少し早く生まれていたら・・

 さて、私が生まれて育った
桐生市の概略の紹介も、このへんでで終わりたいと思います。

 桐生では、山が近くなった北部一帯を、昔から
下町界隈とは一線を画して、「山手」や「山の手」と呼んでいました。
比較的ゆったりと家を構えた、閑静な住宅街の雰囲気があることから、
下町からは畏敬の念も込めてそう呼んでいたようです。

 レイコは山の手の出身ですが、
既にお分かりのように、私は完璧に下町の生まれです。