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スリーアローズ
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津黄 〈 Tsu-o 〉

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 しかし一方で彼は心の中心にあるものを他人に話すような人間では決してなかったというのもまた事実です。彼が死ななければならなかった本当の理由は、ひょっとして私の想像を超えた他のところにあったかも知れません。遺書も残されていなかったので、事実は藪の中です。
 ただ考えれば考えるほど、クラスの中での極めて無神経な彼へのからかいが死に影響しているような気がしてならないのです。彼は1年生を2回もやった。にもかかわらず登校していたわけですから、そこには少なからず勇気が必要だったはずです。彼にしてみれば最後のチャレンジだったとも言えるかもしれません。その芽を、僕たちのクラスが根こそぎ摘み取ったのです。
 地元の農民によって発見された時、彼はまだ温かかったということです。死の3日前から行方不明になっていたということですから、この辺りをさまよい歩いたのでしょう。彼が選んだ木の下にはウイスキーの空き瓶か転がっていたようです。彼がさまよっていたと思われる3日間、彼を目撃した人間は誰一人としておりませんでした。この狭い集落でです。彼はさまよいながらも死を決心していたのです。彼の死は誰にも止められなかったのではないかと思っています。ですから私が許せなかったのは彼の死ではありませんでした」
 ナカイさんはそう言ってまだ火のついたタバコを海に放り投げた。タバコは海面に落ちた瞬間に、海の紺色に染められた。それから彼は細長い息を吐いて話を続けた。
「彼の死はどこからともなく、あっという間に広がっていきました。たぶん幼なじみのFあたりが広めたのでしょう。その日担任の教師が朝礼で彼のことを話した時には、クラスのみんなはすでに知っていました。葬儀の時間と場所も知っていました。
 葬儀は翌日に行われました。その日はたしか終業式で、学校は午前中までだったと記憶しています。私は学校が終わってから父の運転する車で葬儀の会場に行きました。津黄の隣の集落にある古い禅寺で葬儀は行われました。その寺で私は目を疑うような光景を目の当たりにしたのです。
 Bたちが葬儀に来ていたのです。はじめ私は彼らに激しい憤りを感じました。彼の自殺の原因は彼らのからかいにあるのかもしれないのに、よくここに来れたものだと思いました。もしそのお寺に多くの参列者がいなければ、私は間違いなく彼らに突っかかっていったはずです。しかし住職による読経はすでに始まっていました。葬儀に水を差すようなことをしても、彼が浮かばれるはずはないと思いとどまりました。ただ、私は心の底からBたちに対する怒りを覚えました。
 さらに目を疑う光景が飛び込んできました。
 Bたちは泣いているのです。しかも肩をがっくりと落として。私にはそれが何を意味するのか全く分かりませんでした。Bたちはそんな私を気にかけることもなく号泣していました。何も知らない一般参列者は、そこに友情さえ感じたことでしょう。
 私は彼らを自分と同じ人間であると認めたくはない。彼らが何を思って泣いたのか分からないが、彼らが故人に与えたダメージは計り知れない。漫画を冒涜し、人格を全否定するようなあだ名を付け、おもしろがっていた奴らが、葬式で泣いている。
 なぜ彼は遺書を残さなかったのでしょう。私は歯がすり減るくらいに奥歯を強くかみしめました。はらわたが煮えくりかえるとはまさにその時の状態でした。
 しかし残念ながら、その時の私にも、自分の思いを打ち明けるべき相手はおりませんでした。いつか父にだけ話しましたが、父は『もうどうすることもできない』と言ってまともに取り合いませんでした。父の言うとおりです。もはや、私たちにはどうすることもできないのです。ですからこのことは長いこと私の心の内に封印しておったわけです。ということで、この話を誰かに打ち明けるのは今回が2度目のことというわけです」
 ナカイさんはそう言って、僕の方を見た。僕はどきっとして一瞬身動きがとれなくなった。
「彼の死はもちろん忘れられません。彼の言葉にもっと真剣に耳を傾けていれば少しは事態は変わったかもしれない。私は今でも後悔しています。彼に対するせめてもの償いとして、彼をいつも心の中に思い浮かべて生きるようにしています。お寺の境内にある彼のお墓にも年に2回は参っております。それでも私の心は未だに落ち着いてはくれません」
 ナカイさんは顔を紅潮させ、鋭い眼光を海に向けた。会社で話をする時とは全く別人だ。
 僕は空に目をやった。空は相変わらず乾いている。日が傾きはじめたのがはっきりとわかる。朝は見えなかったカモメたちが古い防波堤の先にある赤い灯台の周りを円でも描くかのように飛んでいる。
 ナカイさんは大きなため息をつき、それから話を続けた。
「それにしても、もっと恐ろしいのは、Bたちと同じような人間はこの社会にごろごろ転がっているということではないでしょうか。高校、大学を卒業して、こうやって企業で働いていると、Bのような人間に出会うことは年々多くなるような気がしてなりません。悪気はない、しかし、確実に誰かを傷つけている。それでいて誰かの不幸に同情しようとする。そんな手のつけようのない奴らを私はしばしば見かけるのです。そのたびに、何ともいいようのない寂しさに襲われるのです」
 ナカイさんはそう言って再びセブンスターに火をつけた。
 相変わらず魚の釣れる気配はない。僕は新しいエサをつけることもせずに、背後に広がっている津黄の集落に静かに目をやった。峠を越えてたどり着いた場所なだけに、集落の周りには木立が連なっている。ナカイさんの友達が首を吊ったのはその木立の中のどこかだと思うと、ある名状しがたい薄暗いものが胸のあたりにまとわりついてくる。
「それにしても、こうも釣れないとなると、ビールでも飲みたい気分ですね」とナカイさんは言った。僕はふと、リュックサックのサイドポケットにウイスキーのミニボトルが入っていることに気づいた。
「こいつでよければありますが、一杯やりますか?」
 ナカイさんは僕の顔と、それから僕が手に持ったサントリー・レッドに目をやって、「ぜひ、と言いたいところですが、そろそろここを引き上げないといけないので、遠慮しときましょう。飲酒運転でつかまったりしたら、まさに泣きっ面に蜂ですからね」と言った。
 僕はというと、どうしてもウイスキーが飲みたい気分だった。それでナカイさんに一言断って、ミニボトルに口を付けた。ところがほんの一口のつもりが、いつのまにかボトルは空になってしまった。
 海はどこまでも青く、傾きかけた太陽は津黄の集落をやわらかに照らし出していた。
 結局その日はナカイさんが雑魚を5、6匹釣っただけで、どれもリリースすることになった。僕は1匹も釣れなかった。我々は4時過ぎには津黄を後にした。
 ウイスキーが全身に行き渡ったために、帰りの車中で僕はずっと眠ってしまった。ナカイさんには申し訳ないと思ったものの、こればかりはどうすることもできなかった。