小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
スリーアローズ
スリーアローズ
novelistID. 24135
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

津黄 〈 Tsu-o 〉

INDEX|3ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

 彼をからかっていたのはBという男を中心とした4人グループでした。グループは彼にやたらと挨拶するのです。しかも敬語で。そして同じクラスにいる彼を「先輩」と呼んでいました。
 授業中、彼が発表する段になると、Bは周りの者に目配せして彼に注目させました。彼は指名されてもほとんど答えることができませんでした。ずっと沈黙しているのです。ですから教師の方も彼を避けているのは僕にも分かったのですが、たまにクラスの実情を知らない教師は沈黙している彼を容赦なく叱責したりしました。それでも彼はうつむいています。そういう時、Bたちは後ろでひそひそと笑うのです。もちろん彼にも聞こえるくらいの声でです。
 冬が近づいた頃、Bたちは彼に対して妙になれなれしくなっていきました。休み時間などは本を読んでいる彼の周りを取り囲み、遠慮なく話しかけるのです。
『先輩、何読んでるんっすか? あ、漫画ですね、手塚治虫っすか?』
『先輩、漫画とか好きなんですか? ひょっとして、あっちの方面の漫画とか好きなんじゃないっすか?』
『今度家に行ってもいいですか? おすすめのエロ漫画教えてくださいよ』
 彼の偉大なところは、そういう話をふられてもいっさい表情を変えないところでした。一途に漫画家になりたいと思っていた彼ですから、そうやって小馬鹿にされて、そりゃくやしかったでしょう。しかしそれをいっさい外に出さないのです。むしろ恥ずかしそうな笑みさえ浮かべるほどでした。後になって分かりました。彼は悔しい時こそ笑う人間だったのだと。
 Bたちのからかいはますますエスカレートしていきます。留年を経験している彼ですから、体操服や体育館シューズなどの持ち物がすべて去年のものだったのは言うまでもありません。Bたちはそれを見て、
『だめじゃないっすか、先輩。先輩は一応まだ1年なんですから、僕たちと同じ物を買わなきゃ』と言い続けました。
 ある時彼はやはり笑いながら言いました。
『お金がないから』
 するとBの腰巾着のようなFという男が言うのです。
『何言ってるんですか、先輩ん家、金持ちじゃないっすか。体操服の1枚や2枚、楽勝でしょう』
 Fも津黄の人間で、彼とは幼なじみでした。だから知らなくてもいい彼の家のことをよく知っていました。
 私の感覚からすると、幼なじみなのにどうしてそんな無神経な言動ができるのかわからないのです。人間は集団の中に入り込むと、普段表には出ない恐ろしい性格が出てくるのだと思います。その証拠にFは、一人の時にはいかにもばつが悪そうに彼を避けていました。それがグループに入ると気が大きくなるのか、発言が急に大胆になるのです。
 そのうち彼は「ダブリン先輩」と呼ばれるようになりました。しかもクラスのほとんどの生徒にです。さっきも言いましたが彼らには悪気などないのです。彼がそこまで深く傷ついていることに気づかないだけなのです。
 私はというと、恥ずかしながら、どうすることもできませんでした。ひどい呼び方だとは思いました。ただそんな呼ばれ方をしても彼は自然に受け答えしているわけですし、まさか彼がそこまで深く傷ついているなどとは思っていませんでした。
 ある時彼は私につぶやきました。
『僕にはとりえがないね』
 私は彼の知性が非常に高いことを知っていましたし、心底思いやりのある人間だということも実感していました。しかしどんなに私が彼を励ましたとしても、彼の頬はピクリとも緩まなかったのです。
『僕に思いやりがあるというのは、それは大きな見当違いだよ。現に僕は両親をこんなにも軽蔑している。そしてそれ以上に軽蔑しているのは自分自身だ。そんな人間が他の人間を思いやることができるはずがない、そうだよね?』と彼は言って僕を見ました。生気のない、まるでガラス玉のような目でした。僕には返す言葉など見あたりませんでした。
『一年生の頃は学校がおそろしくってね』と彼は言いました。『もともと人付き合いというものが得意じゃないから』
 彼は相変わらず生気のない瞳で言いました。私はそのときなにかヒヤリとするものを胸の奥で感じました。
『どこかで人生を変えたかったけど、やっぱり何度やっても同じだね。僕はあくまで僕でしかない』と彼はこぼしました。その静かなる迫力に私は圧倒されてさえいました。
 次の日から彼は再び学校に来なくなりました。クラスメイトははじめこそ彼の話題を口にしていましたが、2週間も経つと忘れてしまったようでした。Bは別のターゲットをからかいはじめました。名前は忘れてしまいましたが、巻き毛のおとなしい女の子でした。やはりあだ名を付けておもしろがっていました。
 僕は彼に連絡を取りたいと思いました。しかし今のように携帯電話があるわけでもないし、自転車しかもっていない私がこの津黄にまで来るということは考えにくかったのです。どうせ、そのうち彼は学校に現れる、その時にきちんと話ができるだろうとどこかでたかをくくっていました。
 しかし彼は学年末になっても学校に来ませんでした。何度か席替えが行われたのですが、彼の席はいつの間にか一番後ろの端っこに追いやられていました。もう完全に忘れ去られた存在になっていました。正直に言いますと、私もです。ちょうどその頃私はややこしい恋に落ちていまして、彼のことにまで気を配るだけの心のゆとりを失っていました。
 ところが春休みに入る直前に、彼のことを痛切に思い出さずにはおられなくなる出来事が起こりました。
 彼は首を吊って死んでしまったのです。
 詳しい場所は分かりませんが、この津黄のどこかの林の中で、朝の早い時間に彼は自らの手でこの世を去りました」
 僕はナカイさんの方を見た。ナカイさんは海面に目をやりつつ、かすかな苦笑いを浮かべていた。
「不思議なものですね」と言いながらナカイさんは相変わらず当たりのない仕掛けをいったん引き上げ、エサを付け替えてから再び海に落とした。それからウエストポーチの中からセブンスターを取り出し、ライターで火をつけた。潮風が煙を巻き上げた。
「大切なことはえてして後になって分かるものですが、人間もそう。死んでしまってはじめて、その人のことを深く思うようになるもんなんですね。不思議というか、皮肉だ」  ナカイさんはそう言って、タバコの灰を指先ではたいた。
「おひとついかがです?」とナカイさんはセブンスターの箱を僕に差し出した。しかし僕は遠慮した。5年前に腸を悪くしたのを機に禁煙して以来、タバコはくわえていない。一度吸い始めると手放せなくなるような気がする。とはいえ一服したい気分にはちがいなかった。
「彼の死を知った時、私はなんだか取り返しのつかないような失敗をしたような気になりました。少なくともクラスの中で彼が話ができる唯一の人間が私でした。だとすれば彼の自殺を食い止めることができたのも私ではなかったのかと、自分を責めました。あるいは彼は私だけに救いの手を求めていたのではないかと。