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『喧嘩百景』第2話緒方竜VS石田沙織

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 沙織は端(はな)から避(よ)けるつもりなどなかったのだ。ひんやりした小さな手が竜の拳を押さえていた。
 受け止めたやと?
 一瞬のことでどうなったのか竜にもよく解らなかったが、沙織は竜の拳を受け止めたわけでもなかった。現に抵抗が全くない。いくら寸止めするつもりだったとはいえ、軽く当てるつもりで、そこまではそのつもりの力を込めているのだ。受け止めたのならそれなりの反作用で抵抗があるはずだ。なのに沙織の手は触れているだけの軽さだった。
 一瞬の後に沙織の身体がふわりと後ろへ跳び退く。
「さすがに早いね。なかなかの瞬発力だ」
と、笑顔で余裕さえある。
 竜は当てないように細心の注意を払って足を振り上げた。
 今度は、彼女は目をぱっちり開けて動きさえしなかった。
 踵が鼻先を掠めて風が前髪を揺らしてもぴくりとも動かない。
 ――こっちが当てんと分かっとんのか。
 竜はくるりと一回転して間合いを取った。
 「緒方ぁ、いいから当てるつもりでやってみなよ」
 「当てられるならねー」
 ギャラリーから声がかかる。
 「へーい、かもーん」
 沙織が人差し指でちょいちょいと手招きした。
 ぱき。
 と、竜の拳が音を立てた。あんまり強く握りしめたので関節が鳴ったのだ。その拳を震わせながら、
「絶対、泣かす」
竜は沙織を睨み付けた。
 「単純だねぇ、あいつは」
 「ホントに」
 後ろのギャラリーの言葉ももう聞いちゃいなかった。
 隙だらけで間合いを取ろうともしない沙織に、猛然と打って掛かる。狙いは全部ボディだ。――顔だけは勘弁しといたる。
 しかし、当てる気になっても竜の拳は、いつまでたっても沙織には届かなかった。風に漂う羽根のように紙一重のところでするりするりと逃げられてしまう。
 足を払おうとしてもだめだ。軽いフットワークでそれもかわされる。
 「修行が足りんのぅ」
 竜の攻撃をかいくぐって、沙織は竜の顔のすぐ近くで囁いた。
 ひくっと竜のこめかみで血管が震えた。
 「殺す」
 竜は左足で思いきり踏み込んで、右のストレートと左のアッパーとおまけに右脚の膝蹴りをほぼ同時に繰り出した。
 にっと笑って沙織は右の拳をかわした。