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Twinkle, Tremble, Tinseltown 3

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pimp taxi route2




 急発進の慣性でぺちゃんこになりそうなほどシートへ押し付けられたのに、フィリッパの口から漏れたのは安堵の溜息。シートの上にカルティエのハンドバックを投げ出し、彫刻のような右手を反対の指で揉んでいる。嵐のように飛び込んできた勢いが嘘のように、その顔は悲しげだった。
「男殴ったのなんて久しぶりだわ。2年ぶりくらい」
「行き先は?」
 とりあえずは直進。信号機とダイヤモンドは女の味方で、彼女が先ほどまでマカジキのチリか何かをつついていたエルサルバルドル風レストランはネオンすらも遥か遠く。ギャッジの問いに、フィリッパは綺麗に手入れされた髪を掻きあげ、少しの間だけ考えていた。カレンミランの黄色いドレスは彼女の実年齢から考えると少々落ち着きがなさ過ぎるのだが、全く違和感がない。ブロンド、ブルーの瞳。美貌という言葉に挿絵を付ける必要があったとき一番に掲載されそうな容姿の持ち主である彼女がもう40を超えているなんて、誰が考えるだろうか。肉体はパーフェクトだった。頭脳はまあ、ジョークのタネにならない程度には十分備えている。行動に表す方法を知らないだけで。
「適当に走って、30分くらい」
 信号を4つ通り過ぎてから、彼女は蕩けた口調で言った。
「そう、30分したらリット・リッジウェイタワーへ向かって」
 了解の印に軽くハンチングを下げて見せたが、意識は既にもう自らの膝へ移っているらしい。姉や今まで付き合った恋人が悉く同じような態度を取っていたことを、ギャッジはしみじみ思い出していた。自分の言いたいことだけ言えばそれで会話は終了。後は痴呆のような顔でこちらを見つめ、微笑んでいる。それが可愛いと思っているうちが華。どうせ話が終わり、確認を取るときには、聞かせたかったことを何一つ理解してくれていないと分かり、失望することになるのだから。こんな美女も同じような態度を取るなんて。いつもの嘆きよりも、好奇心の方が勝った。


 今もすっかり満足しきった顔で窓に背中を押し付け、窮屈そうに右足をシートの上に乗せる。ストッキングの伝線は膝の少し下から脹脛の半ばまで一直線。悪い舗装の道路に車体が跳ね上がっても、無体の跡を上下に摩る指は一向にぶれることがなかった。
「あなた、ストッキング持ってないわよね? ミディアムベージュの」
「忘れ物の手袋ならあるけど」
 サテンのスカートがずり下がって太腿が露になっても一向にお構いなし。またそうなっても見苦しくない肉体を持っている。だが彼女が賢いのは、白粉をはたいたかのように真っ白で肉付きのいい脚を見せ付けても、パンティは絶対に死守しているところだろう。いくら礼儀に則ってバックミラー越しに待機していても、彼女はパールのマニキュアにコーティングされた爪を名残惜しげに上下させるばかりで、それ以上は腰をくねらそうともしない。
「ドラッグストアなら8ブロック先に」
「いい。大丈夫」
 子供のように首を振り、ようやく薄いナイロンに指を引っ掛ける。
「あのね。ストッキングのことだけど」
 ニューススタンドの無機質な光が車内を真横に突き刺す。俯いたかんばせも、むき出しになった脛も、同じくらい色が抜けて見えて、まるで漂白したかのようだった。
「冗談なのよ」
「知ってる」
 言ってしまってから、ギャッジは少しだけ後悔した。鏡の中の横顔が、より一層憂いに染まったのは暗がりの中でもはっきりと分かる。ぽってりとした唇のお陰でただでも少し開き気味に見える口から、小さく前歯が覗く。手早く、だが注意深い動きでストッキングを引き摺り下ろし、そのままの姿勢でまたしばらく考えてから、何事もなかったかのように今度は反対側の踵を持ち上げた。やはり下着は見えない。
「やっぱり面白くないわよね」
 そんなことないよ、と言おうとして結局唇を舐めるだけに終わってしまい、ギャッジはかなり後悔した。膝に顎をつけて呟いた目つきは、実際の地位や評判とは全く違い、憂鬱さしか表現していない。
「どうしたらいいのかしら」
 これだけ落ち込んでいるのに、口ぶりはやはり疑問型にならないのだ。郊外のごくごく平凡な家庭に生まれた元受付嬢は、どれだけ落ち込んでも決して自尊心を捨てなかった。その結果として、ディナーの食いっぱぐれや突発的な乱闘に巻き込まれることを厭わない強さも同時に持ち合わせている。
「何があったの? すごい騒ぎだったけど」
 女から5歩遅れて飛び出してきた男は、怒りというよりも懇願で声を荒げていた。飴のように引き伸ばされた怒号は、本来ならば例外とすべき通常から派生したもの。この美女を街の東側にあるホテルの58階にあるペントハウスへ閉じ込めているミスター・リッジウェイは、あんなにも肺を酷使して喚いたり、機敏な動きで女の尻を追いかけたりできないはずだった。いくら信託預金が唸るほどあり、夜は忙しなく活動していたとしても。
「お腹すいてない?」
「うん?」
 にこりと笑って首をかしげた姿へ、できるだけ丁寧な口ぶりで同じ言葉を繰り返す。この辺りはレストランが多いから、夜も8時を過ぎれば通りは送迎の車で溢れる。割り込んでこようとする車を無視してアクセルを踏み込めば派手なクラクションの捨て台詞。その音にぴくんと肩を震わせる背後の姿は、自らよりもずっと年上であるという事実を容易に忘れさせる。壊れやすい陶器を扱うように、ギャッジはそっと車を停止線へくっ付けた。
「いや、空いてなかったら別にいいけどさ」
「ああ、クリフのこと!」
 いかにも合点が行ったという風に、光が瞳の奥に宿る。
「知らない? ロミー・ガーネットの……歌手のね、甥っ子。それにお父様もジャーナリストだとか言ってたけど……」
「クリフって、あのクリフトン・ガーネット? アナウンサーの」
「そうそう」
 バブルヘッド人形も眼を回しそうなほど何度も何度も頷いてみせ、フィリッパはようやく足の裏をシートから下ろした。
「親の七光りとか酷い事言われてるけど、本当はお茶目でとっても愉快なの。いつだったか、がみがみ口うるさい叔父さんの誕生日にね。その人、ノイハウスが好きだったから、トイレの石鹸にハーシーのチョコレートシロップを掛けて固めたのを包装してプレゼントしたの。それからはもう」
 ぱちんと両掌を叩きあわす。
「その叔父さん、彼の前で汚い言葉は二度と使わなくなったんですって」
 ローカルニュースで州知事を徹底的に嘲笑う論調と嫌いな相手に石鹸を食べさせるブラックユーモアは、イメージの中で容易に結びつく。だがテレビの中で見た皮肉っぽい笑顔と、愛人を追いかける飛び出した目玉となれば。ギャッジが分かるのは、ミスター・ガーネットが目元を整形していることについての確信だった。前々から、怪しいとは思っていたのだ。
「石鹸。でもそれって、ちょっと子供っぽいね」
「でしょ。さっきだってそう。つまらないことでカンカン」
 ストッキングをくるくると丸めていたフィリッパの声は、今にも眼の前の首にすがり付いて後ろへ締め上げそうだった。
「今日の夜10時から、シネマックスで『ロボコップ3』がやってるからって、ブルーレイに録画するように頼まれたんだけど」
「そんな事やらせるの」
 右足のつま先を遊ばせ、ギャッジは首を捻った。