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Twinkle, Tremble, Tinseltown 3

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 呂律が怪しいのは疲労のせいか薬の副作用か。本来渡すはずのキニーネが余ったということは、患者は冷静かつ迅速にここを訪れ、術式は滞りなく施されたということなのだろう。普段自己処方など行わないキルケアが憂鬱症の発作を宥めきれなくなるほど何の障害もなく。女性的な唇を白衣の袖で拭い、見つめる目は笑みを刻んでいるのに淀んでいた。
「ああ。『結局どっちに似たって、ろくでなしには変わりないじゃないか』って」
「覚えてるんだな、やっぱり」
 しんねり呟いた積年の非難など、鎮静された意識には痛くも痒くもないらしい。湧き出る唾液を飲み込み、レスは今が好機とばかり言葉を吐き出していった。
「言い返すことを考えてるうちにお前は大学行って軍隊だろ」
「そう、まだ奨学金も返してない」
 デスクの上で山積みになった紙の束へ手を伸ばした弾みに、チェッカーのボードが床に落ちる。固い音がいつもよりも鋭敏化され、頭の芯に直接響いた。
「もう一年半は滞納してる。いい加減督促が来るかも」
「とにかく俺は傷ついたんだ」
「純情」
 ふっと似非笑い、キルケアは手にした封筒の縁を人差し指でなぞった。
「俺が言いたかったのは、海には魚なんて山ほどいるってことで。魚も悪くない。無理に鮫になる必要なんてない」
「鮫って魚だろ」
「知らんよ」
「海軍の癖に」
 染み渡った苦さに声が擦れはじめる。溜め息を吐き出す事すら忌みたくなるほど。鬱々とした表情を隠しもしない様子に、いい加減キルケアも何かに勘付いたらしい。右眉と口の端を同時に吊り上げる。
「珍しいな。こんなにしつこく絡んで来るなんて」
「買いかぶりさ」
 レスは唸った。
「何もかも上手く行かないんだ。お前があんなこと言って以来」
「訂正するよ」
 肩を竦める動作はあまりにもそつがなく、謝罪の意など当たり前だか当たらない。
「ダン・ミッチェルは何事もなく復活した。お前がついてないとしたら、それは血筋じゃなくて育ちのせいだ」
「努力はした」
 嘆きの言葉と裏腹に声音は泣きも怒りも表現しない。あれほど憎んでいた義父の伝で長距離トラックを運転することになった日と同じだった。希望など最初からありはしないなどとは、まるで思ってもいない顔でレスは怒る。
「何でかな。ここまで上手く行かないなんて」
 目を擦っても歪みが取れない。
「おかしい。こんなに上手く行かないなんて」
「ところで、金の方はどうなった」
 招かれざる訪問客にも価値はある。一番聞きたかった疑問を口にすることができ、キルケアの気分は少しだけ上向き加減になったらしかった。一箇所に留まった瞳は正気で、唇には柔らかいカーブを刻んでいる。
「傷害手当くらいは出そうか?」
「まだ貰ってない」
 頭を振り振りレスは答えた。やってきたのは眩暈というより眠気で、強制的に引き出された鎮静が体温を末端から上げていく。
「編集をしてから。頭を全部切れって」
「本番のみってこと?」
「ああ……クリスタの。残念」
 グラスを掴む指が滑りそうになり、テーブルに戻す。
「現代人は、人が死ぬのなんか見飽きてるんだと」
「言えてる」
 指の腹に残った雫が熱を孕んでいく。思い出せないということは、その必要がないこと。何かで目にした台詞が蛍光色で頭の中を飛び回っている。
「なあ」
 名前を呼べば、キルケアは頬杖の上でぼんやりと頷いた。ハイスクール位の頃、まだ不安を不安と認識していなかった頃、不定形の鬱屈を同じく流れに乗って消えていくマリファナの煙に混ぜ込んだことを思い出した。このままマスを掻いたら最高に良いのだと噂を信じ込み、レンタルビデオ屋で選んだマルコビッチの穴(Being John Malkovich)。ラリったままの自涜は自由だが、ビデオを借りるのはいけない。タイトルと裏腹に全くヌケず、結局二人して一言も喋らずテレビを睨んでいるうちに酩酊は覚めた。


 あの時感じた超常的非現実感を、レスは久しぶりに噛み締めていた。デスクの上でチェッカーのボードを弄ぶ手が人に接続されていると思えないような不器用さで動いていることが、余計に感覚を煽り立てる。違和感は空白に繋がっていた。違うと叫んでも、埋めるものは何一つ見つからない。
「別に……怒ってるわけじゃないんだ」
 椅子からずり落ちそうになった瞬間こそ流石に靄も晴れたものの、結局危機感を覚えた身体は本能の命ずるまま立ち上がっていた。左右へ揺れるような歩みで、先程まで女が寝ていたのであろう場所にたどり着く。数歩の距離はまるでないようにも、2万マイル近くあるようにも感じられた。背後から声を掛けられた気がしたが、鼓膜は自らが放つ以外の振動を一切拒絶していた。
 明らかに柔らかさの足りない診察台に頬をぶつけ、膝はでこぼこしたリノリウムの感触に安堵する。変な形にねじれたままの唇で、レスは自分だけがはっきりと分かる不明瞭さで呻いた。
「ただ気掛か……りで。あれ……ちゃんと抜け、る……か……」
 何言ってるんだ、と、膜で覆われたかのような声が聞こえた。その口調がまるで、子供の愚痴を聞く母親のようなのだ。ぞっとして、レスは逃げるように寝椅子型の台へ這い上がろうとした。だがもがく爪が引っ掻いたものが安っぽいビニールだと知り、いつものように諦める。祈りでも捧げるように突っ伏したまま、引きずり込まれていく意識の中で散々逡巡する。このままではまずい。癇癪を起こされたらたまらない。こんなところで寝ちゃいけない。怒られる。逃げないと。しっかりしないと。相反しているように見えて結局裏表でしかない命令は、フィルムの切れた映写機から映し出される映像の如く、白抜きに溶け込んでいく。情けなかった。怖かった。だが結局、どうでもいいという感情に流されて、全て飲み込まれていく。

 父さん、と口の中で呟いて目を閉じたときには、先など何も見えなかった。あるのは暗闇だったが、それを喜ぶべきかそうでないのか、レスは遂に考えることなく意識を手放した。