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Twinkle, Tremble, Tinseltown 3

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「自分でやりゃいいのに」
「忘れてたってスタジオから掛けて来たのよ。それは別にいいの、暇だったし。で、デッキに仕掛けてきたんだけど、その時ディスクの中身を消したのよ」
 ストッキングが膝へ落ちた後、その細い指に絡まったのは自らの艶やかな髪だった。一度豊満な胸がへこむほどの勢いで深く、ゆっくりとした息を吐いてから、フィリッパは細々と、かろうじて言葉を繋ぐ。
「消しちゃったの……『卒業生――蕾の濡れる頃――』」


 ここで大笑いしてやれば、彼女の気も少しは晴れるのだろうか。だがギャッジは、軽く傾げたままだった小首で、ちゃんと認識できた言葉を3秒ほど反芻していた。眼の端が、青色に変わった信号機を捉える。
「へへっ」
 右の口角を盛大に吊り上げながらそれだけ発し、背後についたインパラに急き立てられるよりも早くアクセルを踏み込む。ダウンタウンからアップタウンへ。街の東側には車で20分も掛からない。通りから派手なショーウィンドウが少しずつ減っていくのに比例して、通りをさ迷う人々の衣装もフォーマルからカジュアルに変化していく。
「今笑った?」
 ショッピングカートを押したホームレスが歩道ぎりぎりを歩く。バーを握る両手は震えるほど力が込められているのに、足は地面を引きずるばかり。道行く会社員が迷惑そうに身を捩る。けばけばしい格好の若い娘の唇も今すぐ舌打ちででも漏らしそうな勢い。さてどうするか。追い抜き様、ギャッジは左手で思い切りクラクションを押した。曲がった腰と一緒にカートが揺れ、積んであった空き缶が幾つか舗装の上に転がり落ちる。
「え、なあに」
「意地悪ね」
 驚愕は巨大なホーンの音に対してのみ。胸を抑える手はわざとらしいが、目に関しては素直に丸く見開きながら、フィリッパは抗議した。
「あの人、よろよろしてたじゃないの」
「そうかな、見てなかった。笑ってないよ、別に」
 サイドミラーを覗く手間すらかける価値はない。先細りで明るさを失って行く通りをまっすぐ見据えたまま、ギャッジは彼女と全く同じ、人事の口ぶりで返してみせる。
「それって、レンタルビデオショップに置いてないの?」
「ないと思うわ。置いてあってもやっぱり、まあ、彼なら平気な顔で借りそうだけど」
「けど、すごいね。あなたがいるのに、そんなの観るなんて」
 ティンゼルタウンで3本の指に入るだろう美女を放ったらかしてポルノ鑑賞に勤しむなんて、多情か、早漏か、変態か、よっぽど彼女のセックスが下手くそなのか。そこまで贅沢な境遇に置かれたことがないので分からないものの、美人は三日で飽きるなんて格言もあるくらいだ。信じたくはないが。少し指の脂が付いたミラー越しですらも後部座席の麗人は柔らかい産毛に包まれていると分かる。もしも許されるなら、薄く桃色掛かった二の腕へ今すぐかぶりついてしまいたい。まだまだ職を失うわけにはいかなかったので、持ち上がった肌が最後の健全なネオンに照らされ白く輝くのを横眼で追うだけに留める。
「一人で見るわけじゃないのよ」
「ああ」
 なるほど、と今回ばかりはギャッジも素直に頷いた。
 閑静な山の手へ突入することは避け、寂れたビル街をふらふらと走る。以前はIT関連の企業が集中して入っていた鉄筋コンクリートを右折、破れた『ガラスの動物園』公演のポスターが気だるげに手を振る柱を尻目に直進、またすぐに右手に入り、もう少し走ってから今度はシカゴ・ピザの活気も眩しい店舗に沿って左にハンドルを切る。
「リッカーは、クリフのこと結構気に入ってるのよね。お互い皮肉屋だし」
 ミスター・リッジウェイをこれほどまでに親しげな愛称で呼べる人物は、彼の妻と愛人だけ。今にも右か左か、シートの空白へ倒れてしまいそうになりながら、フィリッパは沈み込んだ口調で言葉を繋ぎ合わせ始めた。
「私はいつか死んでしまうから、友達を作っておくことは重要だって。ひどいと思わない? 遺産を貰ったらすぐにどこかへ飛んで行く薄情な尻軽女みたいな言い草」
 道路に人気はない。ギャッジは唇を閉じたまま、鏡の中で微かに寄った柳眉の根元に集中することができた。
「私、これでも物覚えはいいほうなのよ。電話番号だって知り合いのは全部覚えてるし、一回紹介されたら名前だって忘れない」
 組もうと挑戦してみるものの、その長い脚は運転席に引っかかって闇雲に膝をぶつけるばかり。ギャッジも少しシートをスライドしてやったが、それでもまだ足りないらしく、結局諦めて両膝をぴたりとくっ付ける。
「忘れてたら本当に馬鹿な女だって思われるし、大体怖いじゃない。頭の中を探した時、何にも残ってないなんて」
 一気にまくし立てる口ぶりは少し舌足らずで、彼女には悪いが本人がそれほど望んでいない庇護欲を無性に煽った。
「分かってるわよ、私だってもう、女子大生じゃないんだから。でも死ぬなんて言葉、聞くのも嫌なのに。だからクリフと付き合ってるのに。リッカーはそれを分かってない。クリフは分かってくれてるって思ってた」
 伏せられた本物の金色を持つ睫毛の下――目、鼻、口――全てが痛みを堪えるように歪む。
「どうして消しちゃったんだろう、『卒業生――蕾の濡れる頃――』」


 もう10分ほど辺りを走り回っている間、フィリッパはたゆたう沈黙に身を委ねたまま、ぼんやりとヤニ臭いシートに埋まっていた。突き破るのは礼儀に反すると分かっているので、ギャッジも語るなんておこがましいことはしない。 そろそろ命じられた30分が過ぎようとしている。帰路へ着く許可を取るべきか一瞬だけ迷ったが、結局黙って光の方へ頭を向けた。
 眠っているかと勘違いしそうなほど身動きの一つもしなかった肉体が、徐々に差し込み始めた街灯に撫でられた途端ゆっくりと動き出す。まず目に付いた大きな動作は、膝から傍らのカルティエに伸びた左手のくねりだった。
「このタクシー、禁煙?」
「まさか」
「そう。私は最近やめたの」
 バッグから探り出したのは最新式のスマートフォン。光と闇の不規則な斑に目を細め、液晶を弄る不器用な手つきは痛々しいほどだった。
「あと20分くらいでリッジウェイタワーに着くよ」
「違うの、ごめんなさい。やっぱりさっきの場所に戻ってくれる?」
 機械に当てられた耳と口元に刻むカーブへ半々に意識を注ぎながら、フィリッパは言った。
「クリフの名前を使ったら、多分今からでも予約取りなおせると思うわ」
 回線が繋がる音と一緒に目を瞠ったギャッジへ、今度は本心から声を上げて笑う。
「だって、どう考えても今回はクリフが悪いもの。もう一回くらい奢ってもらう権利くらいあるでしょ。鶉のグリーントマト・トルティーヤ包みも食べ損ねたし」
「でも、怒ってるんじゃない?」
「かもしれないけど、別に構わないわ。もう十分すぎるくらい考えた。本当に好きなら、喧嘩しても水に流して忘れられるはずでしょ?……あら、まだレストランにいるの?」
聞こえてくる話しぶりは肺活量のお陰で威勢こそよく感じられるが、彼女の言うとおりそれほど憤懣を湛えてはいないらしい。声が耳に届いた瞬間、フィリッパは小さな女の子のように相好を崩した。それは今晩ギャッジが見た中、一番無防備で頭の悪そうな、それでいて崇高な笑顔だった。