魔物達の学園都市
海上に着水させ、その上でこの大量破壊兵器を自壊させる。本当なら海溝の真上まで持って行きたいところだが、武則天にはその余裕は残されていないようだ。
「黎九郎は……怒ってないの?」
不意に、気まずそうに、リーユンがそんな問いを投げてきた。
「なんで?」
彼女の質問の意味が分からない。リーユンはただ操られただけだ。
昨日のアーウェル戦で俺も体験した、あの、自分を失くしてしまったかの様な感覚。
春菜先生を春菜先生と認識できず、俺は、自分の奥底から湧き上がる別な意志に支配され、彼女を始めとした観衆全てを皆殺しにしようと考えた。
それが、ウズメやじっちゃん達が懸念していた事だったのだろう。多分それは、俺やリーユンの遺伝子に組み込まれた本能だ。
だがそれでも、眠りを我慢するように、食欲を抑えこむように、自身の精神力で抑制できる。それこそが、お袋たちが俺に期待した『成長』に他ならない。
そんな事を、リーユンも言っているのかと思った。
しかし、
「黎九郎、私……私ね……? キミが、お母さんと結婚するって……ヴラド公の言葉を聞いて……私、その瞬間、悲しくなって……辛くって、切なくて……キミが嫌で、お母さんも嫌で、私、こんなだから……だから私……操られてたのは本当。でも、どこからどこまでが操られてたのか、私よく解らないの……」
俺は、リーユンの言葉に何も返すことができなくなった。
ヴラド公の言葉で、俺はいいとしても母親である春菜先生まで嫌いになるとか、どういう心理状態なのかが良く分からない。
でも、そうだとしても、その事をリーユンは隠さずに告げた。全ては『声』に支配されて行ったことだと、そう嘘をつく事だってできたハズなのに。
それはきっと――いや、その事で、自分を許せないと思っているからだ。
女の子の心理は、俺には良く分からない。でも、その一点だけは理解できた。
……まぁ、嫌われてたってのは軽く……つか、けっこうショックだったりしてるけど。
でも、だからこそ真実を告げたリーユンに、俺も自分の素直な気持ちを告げようと思う。
「ええと……わりぃ。俺さ、嫌われてても気付いてないとか、かな〜り鈍いんだけど……まぁ、いや、ヘンタイだしな、俺……しょうがないっちゃあしょうがないんだけど……」
ヘンタイとか、自分で言ってて胸が痛てぇ。
「で、でもさ、俺――俺もハイ・ヒューマンだったし、人類滅びちゃってるし、俺とお前、世界にたった二人だし、周りは賑やかで寂しくないんだけど寂しいっつーか、だから、その……できれば、お前に傍に居て欲しいんだけど……」
言ってて、俺の声は後半うわずっていた。
どうしてだ?
どうして、こんなに心臓バクバクしてんだ俺?
顔が熱い。
全身が震えてる。
なんだか情けなくて、メチャクチャ居心地悪いのに、でも、それでも俺は、リーユンから視線を外せなかった。
たぶんハタから見たら、泣いてる女の子睨むようにガン見してんだろうな〜、とか思ってみたり。……ヘンタイ? それってやっぱヘンタイっスか?
リーユンは、しばし無言だった。無言で、彼女もまた俺の視線を正面から受け止めていた。
やがて、彼女が口を開いた。
同時に、柔らかく――そして、俺が待っていたその表情を見せてくれる。
うれしそうな、それでいて恥ずかしそうな笑顔。
そんな貌で、彼女は言った。
――ごめんね――
刹那、俺の中から魂が抜けた気がした。
ごめんね。
ゴメンネ。
御免ね。
それは拒絶。
しかも、この上もなく可愛い笑顔で。
「そ、そうだよな……俺、ヘンタイだもんな……」
真っ白な灰になった俺は、それだけを言うしかできなかった。だが、
「あ、ち、違う、違うよ……私、私も黎九郎と一緒にいたいの! でも……だけど……」
言い終える前に、リーユンの身体がシートに固定された。
刹那、コックピット内に声が響く。
「青臭い一幕をありがとうよ、小僧。だがリーユンは渡さん。お前にも、魔物共にも。このままここで、武則天と運命を共にする」
何度も聞いた、
聞きあきた、
もう聞きたくもない声だ。
「……てめぇ……」
このコックピットに入ったとき、俺はリーユンの着るスーツが、まるで拘束衣であるかの様な印象を受けた。
そして、実は全権を掌握したハズの武則天に、ただ一点だけ未知の領域がある事も認識していた。
それがこのコックピットだ。本来なら武則天の全てを管制するここだけが、しかし奇妙な事に、全てのルートからの干渉を遮断して独立している。
だが、それこそが、リーユンを創ったヤツらがリーユンをどう見ていたかの答でもある気がした。ここは、リーユンに力を与える場所であると同時に、リーユンの牢獄でもあり、そしてリーユンの棺でもあるという訳だ。
麗雲十一号とは、奴らにとってただの手駒に過ぎない。そういう事だろう。将棋で取られた駒を、相手に使わせない様にするために、最後の仕掛けをコックピットに施していたのだ。
武則天の巨体が、ほどなく海上に達する。俺は徐々に高度を下げ、ゆっくりと着水した。
軽いショックが俺とリーユンを包み、潮の匂いが鼻孔をくすぐる。
「んっ、んっ……あ〜、あ〜……」
俺は喉の調子を整え、再びリーユンの顔を見据えた。
「えっと、じゃあさ、俺の傍にいてくれる、っていう答でいいのかな?」
俺はさっきのリーユンの言葉を噛み締めながら、そう訊いてみる。
「傍に……キミの傍にいたいよ! でも、この服も脱げないし、手足の枷も外せない。私の力じゃ、ここから出られないの! だから、黎九郎、私を置いて……」
全てを言い終える前に、俺はリーユンを抱き締めた。
そして、彼女の耳元に一言を囁くと立ち上がった。
「賢明だな、逃げるがいい。もう、貴様と見えることも無いだろう」
負け惜しみでもなく、捨て台詞でもない。無機的な、感情のない『声』。
俺は、自身の腹に両手を当てた。
既に武則天の自壊は始まっている。破損で不可能な部位もあるが、各結合部がパージを始めている。そう遠くなく、このコックピットも海に沈む。
俺は、小さく口を開き、目一杯に息を吸い込んだ。
これで、全てのカタがつく。
自らの過ちで地上世界に住めなくなった人類。その責任を、俺達は負わされた。
だが、さんざん好き勝手やって、責任だけ押し付けるなんて、あまりに身勝手じゃないか?
だから、人類なんて関係の無いところで、俺は生きてやるんだ。リーユンや春菜先生、それに、あのバカで恐ろしくて、そして楽しい連中と一緒に。
俺はリーユンに合図を送る。リーユンもまた、口を開いた。
超極低音――インフラソニック――が、その狭い室内を満たす。
アーウェルに食らわせたものよりも、数倍振幅の大きい――つまりは破壊エネルギーの強い振動が、コックピットの組成をグズグズに壊していく。
その一方で、リーユンは俺のものに波長を合わせて自身の肉体に振動を作り出し、自分へのダメージを相殺している。
だから、ただコックピット内の物体だけが、その影響を受けていた。
やがて――
リーユンの首と、そして両手足の枷が砕け散った。
「黎九郎!」