魔物達の学園都市
五章 蒼空の眠り姫
俺の実家――地下都市M四〇へ向けて、春菜先生が運転する、不整地走行用の六輪作業車が爆走していく。
緩やかな草原の丘とはいえ、しかし整地された道路ではない。時速百キロを超すスピードで走れば、そりゃ車体は鬼のようにバウンドを繰り返すってもんだ。
「あのっ! 先生! もちょっと優しく急いで欲しいっていうかっ!」
食堂で春菜先生に作ってもらった豪快なオニギリにかぶりつきながら、俺は一先ずそう懇願してみる。
つか、俺が齧りつくオニギリは俺の血で真っ赤なんだが、これは誰かに殴られたとかじゃなく、春菜先生の運転がいかに――ええと、そう、『スサマジイ』のかって事を示している。
とはいえ、口ん中を三ヶ所ほどと、舌先を少し噛み切ってる程度で済んでるのは奇跡に近い。
「なんどすかっ?」
風に散らされた長い黒髪と、切羽詰っているが故ゆえの、ひどく血走った両眼。なによりその必死の形相。俺はそれを見て、
「いや、いいっス」
その一言しか言えなかった。
「黎くん! キミの遺跡、どこら辺どしたっけっ? うぐっ!」
俺にそんな事を訊いた直後、春菜先生がスジ目になって沈黙した。
と、口の端から赤いものが一筋流れて、彼女の頬に一文字を描いていく。
……噛んだな。
どこをどう噛んだのかは、敢えて訊くまい。
「いや、もうすぐそこ、ほら、俺達の接近感知して、あそこにもうエレベーターゲートが見えてます」
俺が指差す方向に、俺が地下都市を出てきた時に使ったエレベーターゲートが、その円柱状の姿を晒している。そこまでは、もう百メートルも無いハズだ。
「了解どすっ!」
春菜先生はそう言うと、更にスピードを上げ、豪快にゲートの真横に横づけした。
「ようこそ春菜先生。バカ息子がお世話になってます」
俺達がエレベータに駆け込むと、ケージの降下と同時に、ウズメが耳に聞こえる音声で、そんな挨拶をした。
一方の春菜先生は、慌てたように口元をハンカチで拭うと、乱れた髪や服装を手早く正し、深々と頭を下げる。
「これはご丁寧に。黎九郎くんのクラス担任、春菜・フォン・ヴァンシュタインと申します……て、あら?」
顔を上げて開口一番、何かに気付いたように、春菜先生が俺の顔を見詰める。その頬は、こころなしか赤らんでいる気がした。
「ええと……その、息子……て言わはった気が……ひょっとして、黎くんのお母様?」
そんな春菜先生の言葉に、俺は途端にそれに気付く。
……ああ、そうだった。春菜先生って俺の婚約者って事になってんだ。
で、婚約相手である俺を『息子』と呼んでる何者かがいるという状況。春菜先生にしてみれば、青天の霹靂、ってヤツに違いない。
「黎九郎、早くお母さん紹介してよ。ねぇねぇ」
そんな俺達の複雑な心境を知ってるハズなんだが、いや、それだからか。ウズメは嬉々としてそんな事を言った。
「ええと……この声の正体は、ここの管理AI兼、俺のサポートAI兼、人格は俺の母親で、名前はウズメです」
「あらまっ」
さすがに驚いたと見えて、春菜先生は目を丸くして、口元を両手の指先で覆った。そしてその貌が、徐々に真紅に染まっていく。
「そ、その、やはりお母様でしたかっ! ウチ、い、いえ、私、ちょっとしたなりゆきで、黎くん……黎九郎さんと、その、こ、婚約してしまいまして……ご、ご挨拶にはいずれお伺いするつもりではいたのですけれども……」
「あらあら、しっかりした方ねぇ、黎九郎。お母さん安心できるわ……春菜先生? これからも末永く息子のことよろしくお願いしますね?」
「は、はい! それはもちろん!」
「良かったわねぇ、黎九郎? お母さん、こんな美人の娘ができて嬉しいわぁ」
「ああそうかい。そりゃ良かった」
ウズメの言葉に、俺はそれしか返せない。だいたい吸血鬼の嫁さんなんて末永すぎだし、娘ってオイ。オリジナルのお袋よりもずっと年上なんデスよ? それに――
俺は春菜先生を一瞥してみた。
頬を真っ赤に染め上げて、よほど緊張しているのか、視線が泳ぎまくっている。
うん、多分、これは不慮の事故って類だ。あまりの事に春菜先生、ここに来た目的がすっかり頭から飛んでるカンジだし。
つか、俺の母親は、当事者の一人である俺の意志とかはどうでもいいのか。
……まぁ、あのヴラド公の事だ。絶対に撤回なんかしないんだろうし、いずれはその意に従って、結婚しなきゃなんないんだろう。
でも――
「……あれ、どしたの黎九郎? 嬉しくない?」
俺の真顔をカメラで捉えたのだろう。ウズメがそんな風に訊いてくる。
「仕方ない思いますわ、お母様。黎くん、今回の一件やと、被害者みたいなものどすから……ウチみたいな子持ちの年上とやなんて……」
どこかさみしげに微笑む春菜先生。確かに、俺だって被害者だとは思ってる。
でも、春菜先生がどうの、っていうのとはちょっと違うんだ。
俺は真顔で傍らの春菜先生を見詰めると口を開いた。
「俺、別に春菜先生がイヤな訳じゃないっスよ? ただちょっと、婚約者とか結婚とか、そんな事いきなり言われても全然ピンと来ないし、それに俺……リーユン、アイツが……」
思考と、そして気持ちの整理がつかない。
春菜先生は好きだ。笑顔はカワイイし、気持ちも優しいし、しっかり者だし、別に年上とかだって関係ない。つか、数百歳の歳の差なんてむしろピンと来ないし、見た目だけなら、たった数歳年上ってくらいにしか感じない。
結婚しろって最高権力者が言うなら、別に俺には不満はないんだ。
だけど――
不意に俺の脳裏に、あの晩に見たリーユンの笑顔が映る。
思った通り、いや、俺の想像よりも可愛いと思えたあの笑顔。でも、同時にそれ以上に悲しいと思ってしまった笑顔。あんな笑顔が見たかった訳じゃないんだ俺は。だから。
「俺……アイツの本当の笑顔、まだ見てないから……」
「……あら、結婚前からもう浮気の告白?」
「いや、せっかく気持ちが纏まってきたんだから、変なこと言うなかーちゃん」
俺の決意に余計な水を差してくれる俺の母親。
と、不意に春菜先生が俺の手を握った。
「ウチの旦那になる以上、ウチは浮気は一切許しませんえ?」
そう言って俺を睨む春菜先生。
だがその直後、彼女は優しく、柔らかく微笑んだ。
「そやけどウチ、母親として、リーユンの交際相手には黎くんがええて、思てましたんえ? ……そやから黎くん、ウチの娘、お願いできますか?」
『……は? どゆこと?』
一瞬間を置いて、俺とウズメ、親子でハモっていた。
そんな様子に、春菜先生はクスリと笑う。
「全ては、黎くんとリーユンが帰ってきたら、いう事で」