魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
俺は、再び視界を得た。過去の記憶じゃなく、現実の視界。
その中で、春菜先生が相変わらず涙を流しながら懸命に俺に呼びかけている。
だが、そんな春菜先生を押しのけて、アーウェルの無慈悲な顔が、俺の視界に入ってきた。
刹那、春菜先生がその手の爪を伸ばしてアーウェルに襲いかかった。
やめろ!
その光景を見て、俺はそう叫んだ。いや、叫んだつもりだった。そんな俺の視界の中を、肩口から切り離された春菜先生の腕が、血の軌跡を伴ってどこかへと飛んで行く。
そして、すぐさま彼女のもう一本の腕までも斬り落とすと、アーウェルはそのまま春菜先生の首を縛めた。まるで、リーユンにそうした時のように。
せっかくのドレスが血に染まっていく中で、俺の首を落とそうとでもいうのか、アーウェルは自由な右手で俺の首に狙いを付けた。このままでは、俺の首が確実に落ちる。
デュラはんじゃあるまいし、そうなってまで生きてられるような化けもんじゃないんだ俺は。
だから俺は、体力を総動員してアーウェルの右手を両手で掴むと、それを額に誘導した。
「せめて……一思いに……」
俺は残った体力を総動員して、そう伝えた。
本当に声を出せたのかは分からない。だが、一瞬唖然としたアーウェルは、しかし俺のその行動を諦めと取ったらしく、一点に穴を穿つ様に指先を細めた。
刹那、アーウェルの人差し指の爪が生体端末を貫通し、脳幹を貫いて、後頭部から飛び出した。
生体端末が機能を停止し、次いで、最後に大きく脈打って、俺の心臓も停止した。
俺の心停止を感じたものか、アーウェルが爪を引き抜いていく。
と同時に、視界がホワイトアウトしていき、何も見えなくなっていった。
だが、ほんの一瞬のそれが治まると、俺の視界には緑色のドットで構成されたコンピュータ画面が表示されていた。
そこに、『High Human System start』の文字が現れ消えていく。
直後、視界に浮かぶ各種インジケータに、使用可能なスキルが二十ほど表示され、その内の一つ『ダメージコントローラー』が早くも稼動し始めた。
再び、心臓が動き始める。以前よりも力強く、確かな鼓動が耳に響いてくる。
心停止と、生体端末の破壊。
それこそが、俺の中に眠っていた力を呼び覚ます二重の封印だったのだ。
そう、じっちゃんが俺の脳に埋め込んだ生体端末は、俺のパワーアップを目的としたものではなかったのだ。それはむしろ、肉体の成長と共に暴走しがちになっていく、高位人類の能力を封印するためのものだったというわけだ。
俺は、離しかけていたアーウェルの腕を、指先が喰い込むほどに強く握り締めた。
ALSなぞもう必要ない。あれはむしろ、今の俺には邪魔になる。
「……まさか……?」
微かな驚嘆の表情と共に、急に復活した聴覚がアーウェルの声を捉えた。
そうしている内に、先ほどアーウェルから受けた胸の傷が塞がっていく。吸血鬼ほどではないだろうが、それでも俺の回復速度は驚異的だ。
いや、それも当然か。なんせ俺は、もう――
「退屈させて悪かったなアーウェル卿! あんたが望んでたツヴァイハーだぜ!」
俺は馬乗りになっているアーウェルを足の力で跳ね飛ばす。
と同時に春菜先生が、アーウェルの縛めから解放された。
「ゴメン先生、心配かけた。でもちょっと待ってて!」
俺は跳ね起きて、迫るアーウェルの爪を振り返りざまに眼前で受け止めると、ヤツをそのまま虚空に投げる。
いよいよ性能を増していく俺の身体機能。さっきまでの俺とは違い、漲る力が今、俺の身の内に在る。
だが、時がもたらす力の増大は、アーウェルもまた同じだった。
気が付けば夕日は姿を消し、残照のみが微かに空を染めている。
もう既に周囲は暗く、相対する夜の血族に、更なる力を付与し始めていた。
だから、ここからが、俺達の本当の勝負という訳だ。
「こ、の……虫ケラがぁっ!」
怒号と共に虚空から急降下してくるアーウェル。しかしその動きは、先程より格段に遅い。
いや、それは違うのか。俺の感覚が、アーウェルの動きに追いついているだけのことだ。
俺の間合いの外に降りたアーウェルが、俺の背後に回りこむ。それこそが、さっき俺が不覚を取った動きの正体だ。
何のことはない、アーウェルのそれは技ですら無い。
背後から俺の背を貫こうとするアーウェルの爪。
俺は振り向きざまに裏拳でアーウェルの横っ面を殴りつけた。そして、あれだけ効き目のなかった俺の攻撃はヤツを吹き飛ばし、
「がっ……かはっ……」
口の端から血を流させる程度には、ダメージを与えていた。
《ダメージコントロール完了。身体機能の七十二パーセントが復旧》
視界の表示――ハイ・ヒューマン専用のインジケータであるIED――インサイド・アイ・ディスプレイに、俺のダメージが表示されている。
多分、血を流しすぎたのだろう。ダメージコントロールで復旧した割に、アーウェルに与えるダメージが少ない。しかしそれでも。
「結局さ、アンタがやった事って裏目だったんだよ、アーウェル卿。リーユンどころか、俺まで覚醒させちまったじゃねーか」
今度は俺の番。俺は一足でアーウェルとの間合いを詰める。
ヤツの貌が驚愕の色を載せた。
拳、肘、膝、回し蹴り。さっきまでの俺が嘘のように、面白いほど攻撃が当たる。
だがそれでも、さすがは吸血鬼の次期当主。クリーンヒットは許してくれない。
とはいえ、刻一刻と、俺の動きは速く力強くなる。既に防御で手一杯になっているアーウェルの腕を弾き、俺はついに、ヤツの腹に重い一撃を加えた。
まるで、水の詰まった風船に、拳を突き込んだかのように思えてしまうほどの軽い感触。だがそれは、強靭な吸血鬼の肉体すらも軽く破壊できる事を意味している。
「ゲェア……」
後ろに数歩後退し、アーウェルがその秀麗な貌を苦悶に歪めて膝をつく。
しかし、
「ふ……ふふふふ……これが……ツヴァイハーか……だが、案外と拍子抜けではあるな。もっと圧倒的なのかと思っていたぞ……」
俺が追い打ちをかけようと再び間合いを詰めたとき、アーウェルの身体が虚空に舞った。
いかにハイ・ヒューマンとはいえ、さすがに飛行能力までは持ち合わせていない。
ただそれでも、俺に攻撃を仕掛けようとするなら間合いに入って来ざるをえない筈だ。血を流し過ぎている現状、俺としては早く決着をつけたいのだが。
「俺のスタミナ切れ期待してんのか? 案外セコいんだな、伯爵」
古来、プライドの高いヤツは挑発に弱い。こんな風に言えば乗ってくるかと思ったが、しかしアーウェルは意外にも一笑に付した。
「フフフ……数々の非礼、詫びるとしよう。確かにその力は認めざるをえん……ならば褒美として、ほんの一刻お前を我が眷属に加えてやる」
吸血鬼の恐ろしさ――その真の能力を失念していたのは、俺の不覚だった。
すでに残照も消えた暗闇のなかで、不意にアーウェルの双眸が金色に光り輝く。
それはまるで、全ての禍事を集約したかのような眼差し。
それをまともに見た俺は、刹那に身体の自由を奪われていた。