魔物達の学園都市
一章 こんにちは、ボク人間です
白い光が瞼の奥を照らしてくる。
じわりと顔が熱くなってきて、俺は瞼を開けた。
上体を起こし、窓際に置いてある鏡を見る。
そこには、気だるげな眼差しの、人畜無害の化身みたいなヤツが映っている。
額の黒い菱形は、別にインド人を気取ってるワケじゃなくて、脳内に生体端末をインプラントしてある証だ。
東郷黎九郎。十七歳。地下都市M四〇唯一の生き残り。つか、まぁ、俺の事なんだけれども。
俺は乱れた黒髪を撫で付け、いつものように後ろに流すと室内を見回した。
そこは白い部屋だった。医務室を想わせるが、しかしあの地下都市の医務室よりは、もっシャレた感じがする。
花瓶やテーブル、純白のカーテンを始め、視界の中に在る調度品は言うに及ばず、いま俺が横になっているベッドさえも地味なものではなく、きちんとデザインされたものだ。
「ここ……どこだよ……」
まだぼんやりとする脳裏の中に生まれ落ちた言葉を呟いてみる。と、
「あら、目ぇ醒めはったんどすか?」
そんな言葉と共に、ベッドを囲むカーテンが開かれ、裏からその人が現れた。
素直な黒髪を大きな紫のリボンでポニーテールにしたその人は、出逢ったときと同じような衣装に身を包んで、俺の傍に置かれた椅子に腰掛けた。
そして、その後ろにもう一人、あの時に一緒にいた人物も姿を見せる。
あの時は印象に残らなかったが、腰までの長さの漆黒の三つ編みを揺らし、鳶色のブレザーと、それと同色で膝丈のフレアスカートという格好だ。何より、あの時は掛けていなかった、フレームの太い楕円形のメガネが今は印象的だ。
だがそれでも、あの時に出逢った人物の一人に間違いはない。
そんな二人の姿を見て、俺はようやく確信できた。と同時に自嘲的な笑いが込み上げてくる。
「ははっ……女……だったのかぁ……」
まぁね、そんな可能性も、一応頭の片隅にはあったよ。
でも、俺が知ってる『女』ってのは、じっちゃんの持ってた文献の絵の中にしか居なくて、その中の彼女たちには、いま目の前にあるような、立派な胸は付いてなかったんだ。
俺の知識の源泉――頼みの綱のデータベースは、地下都市の管理コンピュータの経年劣化によって記憶領域が減少していき、本当に必要なデータだけを残していった結果、旧世代の姿を写した画像などはもう残っていない。
つまり、じっちゃんや親父に育てられた俺が『生きている女』を見たのは、あの時が初めてだったというワケだ。
「あの、ひょっとして……女いうもんを見たこと無かったんどすか?」
不意に、袴姿の彼女が不思議そうに訊いてくる。
後ろの少女に『お母さん』と呼ばれていた彼女は、しかし精々が二十代前半――ヘタをするとまだ十代と言っても通用しそうな顔立ちをしている。
「まぁね」
俺がそう返すと、袴姿の彼女は困ったように微笑んだ。
「そやったら、しょうがありませんなぁ。もう二度と、あんなんしたらあきませんえ?」
柔らかな微笑みと、それに負けないくらいに穏やかな物腰。
だが、俺はあの時の事を思い出して口元を引きつらせた。
目の前に居るのは、その見た目から想像できるような生やさしい存在じゃない。
生唾を飲み込んで彼女の顔を見詰めると、俺の意図が分かったのか、彼女もまた笑顔を引きつらせた。
「あの、俺、悪気があってやった訳じゃ……」
そう言いかけたとき、不意にブレザーの子が口を開いた。まるで無感情な眼差しで、俺を見据えて。
「ヘンタイ……って言うんでしょ? アナタみたいなの」
沈黙が、室内を満たす。
袴の女性も、笑顔を引きつらせたままでフリーズしている。
なんだろう?
なんなんだろう?
ヘンタイ? 何それオイシイの?
つか、初めて他人の口から聞くその言葉が、どうして俺の胸をこんなにもエグるの?
(ウズメ!)
たまらなくなって、俺は地下都市の管理AI『ウズメ』を呼んでみた。
彼女はオヤジたち亡き後、俺のサポートをしてくれる、唯一の身内と呼べる存在だ。
(はいは〜い! どうしたの? 黎九郎。なんか大変な事でも起こった?)
生体端末を通じて、脳裏にウズメの脳天気な声が響く。しかしその呑気さも、今の俺には役に立たない。
(ヘヘヘ、ヘンタイってなんスかっ?)
混乱を極める思考の只中で、俺は辛うじてそう訊いてみる。
(は〜い、データ転送するわね〜?)
言って、ウズメは辞書ソフトのデータをまるごと転送してきやがった。
へんたい(変態)とは
イ、姿形をかえること。また、変わったあとの姿形。
ロ、正常ではない状態。
ハ、変態性欲の略称。
イ、は違う。俺の形は変わってない。
ロ、も違う。ビョーキとかじゃないよ? 俺。
だったら残るは――
「ヘヘ、ヘンタイですか俺はっ?」
顎を落とすようにして大口を開け、俺はスジ目で少女を見上げた。
目の前で、相変わらず無感情なままに少女が小さく頷く。
「うん、胸揉んでたから。特にお母さんの、ねっちりねっちり。初対面なのに」
「リ、リーユンちゃ〜ん……」
苦笑と共に呟く袴の女性。そんな彼女とふと目が合うと、彼女は俺の視線から隠すかのように、その立派な胸を両腕で抱いた。
「ヘ、ヘンタイですかっ? 俺っ?」
「そ、そやねぇ……あの手つきはちょっと……」
控え目な物言い。だがそれは、少女の言葉を否定しているものではない。
「……ヘンタイ」
「ぐふぅっ!」
少女の最後の追い打ちが、俺のグラスハートにヒットした。
「ち、チクショーうるせ〜っ! 女初めて見たって言ってんだろ!」
「……ヘンタイの上に逆ギレなんて、サイテー……」
まるで、取るに足らないちっぽけな存在でも見下しているかのような、少女の冷徹な眼差し。
その瞬間、俺は真っ白に燃え尽きていた。
「あらあら、案外繊細なコやねぇ……」
「お母さん、そろそろ学校行かないと、遅れるよ?」
「うん、ウチまだこのコと話していきますよって……リーユンはどないします?」
「……お母さんが心配だから、一緒にいるよ」
燃え尽きた俺の傍らで、勝手に日常会話を進めていく母娘。
つかナニか? 俺は危険人物デスか?
と、不意に袴の女性が俺に向き直った。
「さて、そろそろ戻ってきておくれやす? そやないと、自己紹介できませんよってに」
「え〜……東郷、黎九郎っす……ヘンタイデス……うおぅ! うおぅ! うおぅ!」
ヘンタイの四文字を噛み締めながら、俺の双眸がしょっぱい体液を滝のように流し始める。
うん、しょっぺぇ! しょっぺぇよ親父! じっちゃん! どうして俺は、こんな羞恥プレイを強要されてるんデスかっ?
「あ〜、泣かへん泣かへん、ウチは春菜言います。春菜・フォン・ヴァンシュタインどす。それからこっちの子は、ウチの娘のリーユン。キミも知っての通り、これでもウチ、吸血鬼の末裔なんどすえ?」
――吸血鬼の末裔なんどすえ――
彼女の言葉尻で、俺は瞬時に素に戻った。ベッドから跳び退き、着地と同時に半身に構える。
そうだ、そうだったんだ。目の前の女性は、俺達人類とは根本から違う存在。
(ウズメ! 吸血鬼のデータ! 同時に戦闘スキルパックダウンロード!)