魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
十分後、グラウンドの真ん中で、俺はアーウェルと相対していた。
グラウンドに描かれた陸上競技用のトラック。その外周の更に外側に、観衆の為に設えられた階段状の観覧席がある。
そして、そのど真ん中最前列の席に、純白のウェディングドレスに身を包んだ春菜先生の姿が在った。
いつもの袴姿とは違う装い。ドレス姿もまた様になっていて、格別の美しさがある。普段化粧っ気のない先生も、今日ばかりはドレスに合わせて唇にルージュを引いていた。
そんな先生の左隣には学園長が、こちらは普段着ているスーツ姿で席に着き、そして、春菜先生の右側には――
「……あれが……ヴラド・フォン・ヴァンシュタイン公……なのか……」
俺は、初めて見るヴラド公の姿に、思わず目を見張った。
その姿は俺の想像の遥か斜め上をいっていたからだ。
耐えろ、耐えろ俺!
俺は、必死で自分にそう言い聞かせる。見る者を圧倒するその存在感は、このシリアスなシーンに於いて、正に魔物! だが、運命はあくまでも無情だ。
「……ブフォッ!」
刻すでに遅し。俺のツボを囚えて離さないその『御姿』に、俺は吹き出してしまった。
やべぇ! 別なイミでも殺されるっ?
そう思いつつも、すでに俺はヴラド公から目を離すことが出来ない。
恐ろしい。恐ろしいぜヴラド公! 何が恐ろしいかって、そりゃつまりアンタ、まずは『どうして車椅子に座ってるの?』とか、開いた口に、『牙以外の歯があんまり残ってない』だとか、ハゲてる――のはまぁ、学園長で慣れてるとしても、極めつけは、つい探知スキルで何言ってるのか聞いてしまったからデスよ!
「ほえ〜〜……ありゃ〜……へるしんぐきょーじゅかいの〜……?」
プルプル震える声で、俺を指さすヴラド公。
その隣では、春菜先生が苦笑を浮かべて俺とアーウェルの説明をしている。
「ち、違いますえ、曽祖父様。あれが東郷黎九郎くんどす。アーウェルと決闘する予定の」
「へるしんぐめぇ〜……わしのむねに……クイなんぞうちおってぇ〜……だれか……ぬいてくれぇ〜……ぬけんのよ、これぇ〜……」
懸命に、モロ心臓に刺さってる古びた杭を引っ張るヴラド公。
ふ、不憫だ……つか、ヘルシング教授に杭打たれたからボケてんのか?
と、俺はふと思い出したようにアーウェルを一瞥してみる。
ああ、やっぱアレ、本物なんだ……。
俺は思わずスジ目になってしまった。
俺の視線の先では、先日あれだけシリアスだったアーウェルまでもが、スジ目でなんとも言えない味のある表情を浮かべて、ヴラド公を見ている。
が、審判であるミノが俺達の間に入った時、アーウェルの顔つきが真剣なものに変わった。
ミノのヤツもまぁ、なに張り切ってんだか、イブニングコートなんか着込んでやがるし。つか、オマエはガクラン以外は何着てもピッチピチなのな?
なんて考えていると、ミノのヤツが俺の傍まで歩み寄って、俺の耳に囁きかけてくる。
「なぁ黎九郎、ホントにオメーは、ツヴァイハーとかいうヤツじゃねぇのかよ? そういう、なんかこう、アーウェル卿に勝てそうな隠し玉とかねぇのか?」
「そんなの有るなら、俺が知りてぇって……」
俺は思わず苦笑した。ミノはミノで、コイツなりに俺を気遣ってくれてるらしい。
「いやな? オメー、転入初日にウメハラに襲われただろ? 実はよ、オメーが来るまで別なヤツが襲われてたんだけどよ……それが……」
ミノがそこまで言った時、不意にアーウェルが不機嫌そうに口を挟んだ。
「おい、そこの牛肉。早くしたまえ、皆待っているぞ」
「あ〜、ヘイヘイただ今……黎九郎、ウメハラってな、一番強えーヤツしか襲わねーんだぜ?」
言って、ミノは俺とアーウェルの中間に立ち、マイクを握った。
そういえば、羅魅亜もウメハラがどうのと言っていた気がするが。
いや、そんな事ねーだろ? だってクラスにはミノもいるし、羅魅亜だって春菜先生だって、ツヴァイハーのリーユンだっていた訳だし。
そう考えて、俺はその事を一旦忘れることにした。これより先、余計な雑念は命取りだ。
「では、ルール説明を行う。両名、よろしいか?」
「ああ、早く始めたまえ」
「いつでもいいぜ」
ミノの言葉にそれぞれ返事をすると、ミノは観衆にもマイク越しに解説を始めた。
「ルールは、どちらかが死亡するか、どちらかが降参、あるいは戦闘不能となるまでとします。なお、勝者にはヴラド公より以下の褒賞が与えられ――」
俺達当事者に、というよりは観客に対して一通りの説明がなされていく中で、不意にアーウェルが俺に視線を投げてきた。
「さて、下等生物。いざ決闘が始まれば、私はお前を簡単に殺してしまう事だろう。あるいはお前には、降参する暇も無いかも知れん。だから今ここで、お前の意志を聞いておく。……どうかな? 私はどちらでも構わんのだぞ? 春菜もお前がいれば、娘を失う痛手にも耐えられるかも知れんしな」
「降参しても、リーユンの命は助けてくれないんだろ?」
「残念ながら、そういう事だ」
「じゃあ、例え殺されても降参は有り得ない。俺にとってもリーユンは大切なんだ。この魔物の社会で生きてく上で」
「ふむ、人類の末裔と落とし子が、我らの社会で手を取り合って生きていく、か。なかなか美談ではあるが……有りや無しやの二択とは、賢くはないな。残念だよ」
やっぱ、交渉はムリ……か。
残念だよ、という言葉を、アーウェルがどんな意図で使ったのかは分からない。だが、このプライドの高い吸血鬼は、同時に自らが指導していくという自負と責任を、この魔物の社会――ひいてはこの世界に対して持っている。
ひょっとすると、全く話の解らない相手ではないのかも知れない。が、それこそ残念なことに、俺とアーウェルには、時間はもう残されていないのだ。
「では両者、構え!」
ミノが高々と片手を挙げ、数歩下がった。
俺は半身に構え、対するアーウェルは極々自然体で、優美な立ち姿で佇んでいる。
今、俺の生体端末の三つのスキルスロットには、ALSと探知スキル、それに戦闘スキルパックが装備されている。
どれも、大昔に生体端末が戦争に利用され、人々が互いを殺し合うために生み出し、研鑽してきた技術の集大成だ。生体端末を装備していないごく普通の兵士相手であれば、一個中隊でも相手にできるとされた戦力が俺一人の中にある。
そしてそれらと共に、俺が親父に叩き込まれた古武術の技。それは非力な人間が、物理法則を活用するために編み出した技術だ。
あの晩に、俺が得た唯一の収穫は、アーウェルは武術を修めていないという事実だ。俺も全く無様だったが、しかしその事だけはアーウェルの所作から窺い知ることが出来た。
なら、人外の――最強の魔物とはいえ、勝機を掴むことが出来るとするなら、その差だろう。
夕日の下端が遠く山嶺にかかった時、それは始まった。
「始め!」
刹那、ミノの合図と同時に、アーウェルが俺の眼前に『転移』した。
いや、そう見えるほど高速に動いてきたのだ。