魔物達の学園都市
俺の様子に、リーユンが面食らったような貌を見せる。
「女の子っぽいじゃん、お前。どうせだから、ついでに笑ってみねぇ? 春菜先生とか羅魅亜とか、女の子が笑うとさ、なんかいいな、って思うんだよ。だからきっと、お前の笑顔もいいだろうな、って思ってるんだ、俺」
そんな俺の言葉に、リーユンは暫し唖然としていた。
だが、不意に彼女のその貌が、不機嫌な色を載せていく。
「ど、どうせ……笑ったって、私なんか……お母さんや羅魅亜・ル=クレールみたいに可愛くないよ。黎九郎はお母さんみたいな人がいいんだよね? お母さん、胸もおっきいし。羅魅亜・ル=クレールだって……」
あれ? また俺、なんか地雷踏んだのか?
今度は、俺が唖然とする番だった。俺は慌てて言葉を繕うために口を開く。
「い、いや、お前だってなかなかの触り心地だったぞ? ……って、あ……」
うん、はい、どうやらその一言は、非常に余計な代物だったようで。
リーユンは胸元を両腕で隠すようにして、まなじりに涙を滲ませながら俺を睨んでいた。
「え〜と、じゃなくって、その、なんだ……リーユン・エルフ!」
「はっ、はいっ?」
誤魔化すために高らかにリーユンの名前を呼ぶと、彼女は驚いて目を丸くした。
うん、いや悪くない。未だに笑顔は見てないけど、きっと、こんなにコロコロ表情を変えるリーユンを見てるのは、俺以外じゃ春菜先生くらいだろう。
そう思うと、クラスの連中に対して、ちょっと優越感を感じてみたり。
「俺は人類の生き残りで、お前も人類に創られたんなら、俺の親戚みたいなもんだろ。だから、今後ともよろしく」
俺は努めて大真面目な貌を作り、右手を差し伸べた。
俺の手を見据え、リーユンの視線が動く。
だが、結局リーユンがその手を握る事はなかった。
やべ、誤魔化したって悟られたかな……?
微かな焦りが俺の口元を引きつらせる。
「……黎九郎……キミ、どうして遺跡から出て来ちゃったの……?」
俺は、俯いたままで呟くように紡がれたリーユンのそんな言葉が、一瞬理解できなかった。
「いや、日光浴びてみたかったとか、外の空気吸ってみたかったとか、色々あるけど……つか、俺、もしかして歓迎されてない?」
この期に及んで、実は「オマエなんか、絶滅危惧動物として飼ってやってるだけなんだよ、チョーシん乗んな、バーカバーカ」なんて言われたら俺、確実に泣くな。
とか思った時、俺は、再び向けられたリーユンの顔を見て、思わず息を飲んだ。
涙こそ流れていない。でも、胸元を握り締める彼女のその顔は、大きな責め苦に必死で抗う者のそれとしか思えなかった。
「私……キミに逢わなきゃよかった……どうして? どうしてこんなに辛いの? キミと逢ってから、ずっとそうなの! クラスメイトの誰にも、こんな想いをしたことなんて、今までなかったのに……っ!」
「あ……いや、なんつーか、その……」
唖然とするばかりの俺は、どう対処していいのか思いつかない。
「羅魅亜と一緒にいるキミが嫌で! お母さんの話をするキミが嫌で! 箕面に殺されかかったキミが……私、あのとき怖かったよ! キミが死んじゃったらどうしようって……魔物と仲良くしてるキミに、私が魔物の敵対者だって知られたら、嫌われちゃうんじゃないかって……もう、分かんない……私、自分の気持ち……苦しいよ……」
胸の内を吐き出し、リーユンはまた俯いて泣き始めた。リーユンの顔の下――屋根の一部が、頬を伝い落ちる涙で色を濃くしていく。微かにしゃくりあげる声とともに、次々と涙の跡が屋根を彩る。
俺はただ当惑して、頬を掻いた。
「なぁリーユン……俺、お前にしてやれる事、なんかあるかな……?」
不器用とか、そんなこと以前の問題だ。俺には決定的に、女の子に対する対人経験が少ない。人として気持ちを推測することはできるけど、女の子の心理までは推し量れない。
でも、それでも泣き続けるリーユンをほっとくなんてできやしない。
嫌われるのが怖いなら、それは好きになって欲しいって事だろう? 好きでいて欲しいって事だろう? それが俺に対する友情なのか、恋心ってヤツなのかも良く分からない。
でも、俺がリーユンに抱く心のもやもやしたもの――その正体が解るのなら。
そしてそれが、リーユンが俺に抱く気持ちと同質のものであるなら。
俺達はきっと、これからもずっとうまくやっていける。そんな気がするから。
「じゃあ……もし私が……魔物の敵対者として覚醒したら……黎九郎……キミが……」
だが、俺の言葉に対するリーユンの返答は――
――私を殺して――
――そんな、悲壮な願いだった。
「……んだよ……なんだよお前……こんな時に……」
俺はリーユンの貌を見て、思わず眉根を寄せた。
そこに在るのは、俺が待ち望んでいたものだったから。
リーユンの満面が、微笑みで彩られている。思った通りに可愛らしい笑顔だ。
でも、その笑顔を『いいな』なんて、俺はどうしても思えなかった。だってそうだろう? この笑顔は、泣き顔と同じなんだ。
「そんな願いが……聞けるかよ……」
搾り出すようにそう呟いた時、唐突に、どこからともなく声が響いた。
「ならば、私がこの場で殺してやろう」
刹那、それまで周囲を遠慮がちに飛び回っていたコウモリたちが、何十何百と集まり、俺達の眼前に大きな黒い影を造った。それは見る間に人の形を作り上げ、
「アーウェル……ブルームフィールド……」
吸血貴公子として実体化していた。
「ご機嫌いかがかな? 穢れた人類の末裔と、それに創られし人形の姫よ」
言って、うやうやしく一礼する貴公子の所作が、俺は癇に障って仕方がない。
やるせない気持ちで苛立ち始めたところだったのが、コイツのせいでそれが一気に加速した。
「あー、ご機嫌最悪ッスよ、伯爵。人の話を盗み聞きたぁ、それが貴族の嗜みってヤツなんスか? 春菜先生が嫌うワケだ」
春菜先生が嫌うワケ――の辺りで、それまで嘲る気満々だったアーウェルの貌が、微妙に引きつった。
が、アーウェルは俺を無視し、次の瞬間、リーユンの首を鷲掴みにして高々と持ち上げた。
「ちょっ! マジで殺す気か!」
俺は慌てて立ち上がり、アーウェルの腕に取り縋る。
「リーユン! お前も黙って殺される気かよっ?」
まるで生きる事を諦めているかのように、リーユンは身じろぎ一つしないでいる。
俺はALSを発動させ、アーウェルの腕を引っ張った。
瞬間的ではあるが、およそ常人の十倍ほどの力を出したにも関わらず、しかしアーウェルの腕はびくともしない。
「かはっ……」
微かに咳き込み、リーユンの瞳孔が広がった。
ぞくり、と背筋が冷える。俺はその時改めて思ったのだ。リーユンを縛めるアーウェルの眼差し。そこには慈悲など一欠片も見当たらない。殺すことを躊躇わない生粋の殺人者とは、コイツみたいなヤツの事を言うのだろう。
吊り上げられたリーユンの華奢な身体。生命の危機に晒されているというのに、それでも彼女は少しも抗おうとはしない。
なんなんだよ……そこまで自分嫌うことねぇだろ……?
「くっそ! 放せコラ!」