魔物達の学園都市
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男子寮と女子寮の間には、わりと広い中庭が在る。小洒落た噴水と芝生が広がるそこには幾つかのベンチも在って、学校が休みの日なんかは、日向ぼっこしてる猫系獣人の姿をよく見かけるものだ。
が、それも昼間だけの話。
午後九時を過ぎた頃、俺は人気のないそんな中庭に出て、中天に浮かぶ満月を眺めていた。
雲一つない、晴れ渡った夜空の中に浮かぶ満月は、ともすれば人工の灯火よりも明るく、それでいて優しく柔らかな光を放っている。
そんな月光の光にはしゃぐように、ちらちらと舞う黒い影が幾つか見える。
それは夜魔の眷属か、あるいは夜魔そのものの化身なのか。
「な〜んてな。ただの動物か吸血鬼の使い魔かなんて、俺にゃ分かりゃしねーんだけどさ」
ぽえじーな自分が思わず気恥ずかしくなって、俺は誤魔化すようにそんな事を言ってみる。
別に、風情を求めて外に出た、というワケではないんだ。いや、満月は嫌いじゃないし、地下暮らしが長かった俺にとっては興味深くもある訳なんだが。
「……かなりうるせぇな」
遠くから重なり響いてくる幾つもの遠吠えを耳にしながら、俺はベンチの一つに腰掛けた。
「うん、やっぱし多分、犬系の連中なんだろうな、この遠吠えは」
気持ち悪いとか怖いとか、そんな風には思わないが、夜中に大合唱はハッキリ言って迷惑だ。
つか、この調子だと、雪が降ったら庭駆け回りまくる連中が続出しそうな気がしてきた。
そうなったら、多分俺は猫系の連中と一緒に、コタツで丸くなっている事だろう。
「……あれ? リーユンか?」
ふと俺は、満月を遮るように女子寮の屋根に座る人影を見つけた。
「え〜と……」
俺は辺りを見回して、それに気付く。
寮は男子寮女子寮それぞれに三階建てで、地面から屋根の縁までは、およそ十二、三メートルほどもある。
ALSを使用しても垂直方向の跳躍力は五メートル程しかないから、どう考えても身一つで登れる高さじゃない。だから俺は、男子寮の脇に倒してあるハシゴを使うことにした。
「お、誰かしんねーけど気が利くな」
倒してある梯子の傍らにはベンチも据え付けてあり、そこに軍手が置いてあるのが見えた。
なんせ土で汚れた年季の入った梯子だ、風呂に入った後で手を汚すのも気が引けたから、俺はその軍手も借りる事にした。
きしきしと、軋みを立てながら俺は梯子を登る。なんとなく、リーユンにそっと近づいて驚かせてやりたいとか思って。
そう考えると、気配を掻き消してくれる獣人共の大合唱も悪くない。
だが、
「……黎九郎……」
そっと屋根の上を覗いた時点で、俺の姿はリーユンの視線に捕われていた。
「あちゃ、バレてたか」
俺は思わず苦笑して頬を掻いた。
バレたのなら仕方ない。俺はそのまま屋根に登り、軍手を脱いで尻ポケットに突っ込んだ。
急という程でもないが、歩きやすいという程でもない屋根の傾斜。鱗の形をしたプレートを何枚も敷き詰めたそれは、この時間では分からないが、昼間には鮮やかな緋色を乗せている。
「なんで分かった?」
屋根のてっぺん、リーユンが腰掛けているその隣に腰をおろし、俺はそう問いかける。
「分かるよ……私、ツヴァイハーだから」
一見すると、いつもの無表情でリーユンがそう返してくる。
そんな彼女の横顔を見て、俺は急に胸が切なくなった。
満月を見詰める秀麗な顔。
月光に照らし出され、青白く映えるその貌が、どこか物憂げに見える。
「そっか。それなら仕方ねーな」
俺もまた満月を見上げながら、ただ一言そう返した。
「訊かないのね、私の事。……ツヴァイハーの事……」
「ん……まぁ、知りたくないって事ぁねーけどさ。俺からは訊かない。でも、話したい事があったら、俺で良ければいつでも聞くぜ?」
そう言って、再び視線をリーユンに向けたとき、俺は思わず目を丸くしてしまった。
そっと、俺の手にリーユンが掌を重ねてくる。
だが、そのまなじりから、月光を返して煌く大粒の珠がこぼれて落ちた。
「どうしよう……黎九郎……私……ツヴァイハーなんだよ……?」
俺の手を握り締めるリーユンの華奢な手。そこから、震えが伝わってくる。
「私……私は魔物の敵なの……お母さんの、ひいおじいちゃんの敵なんだよ……? なんで……? なんで私なの……?」
俺の手を握り締めたままで、リーユンはもう片方の手でメガネを外すと頬を拭った。
だが、拭っても拭っても、溢れる涙が止まらない。
たまらず、俺もリーユンの手を握り返す。
うまい言葉が見つからない。なんと言ってやればいいのか。俺に何が言えるのか。春菜先生に頼まれた事もある。それもあって、この屋根に登ってきたのだ。
だから俺は、無理矢理にでも口を開いた。的外れかもしれない。でも、何か言わずにはいられない。
「敵って……じゃあ、俺だけはお前の味方になってやるよ。色々世話になってるし。ちょっとした恩返しっつーか……いやまぁ、頼りねーかもしんねぇけど」
取り留めもないそんな言葉。言葉尻を捉えただけの、無意味な言葉の羅列。
でも、リーユンは頬を拭う手を止めて、俺の顔をじっと見据えた。
そして、困ったように眉根を寄せる。
「そんなのだめよ。……黎九郎まで、みんなの敵になっちゃう。せっかく、みんなと上手くやってるのに……」
「敵の敵は味方って言うよな? じゃあ、味方の味方は味方、でいんじゃね?」
ニッ、と笑って見せると、リーユンが目を丸くして唖然とした。
俺は続ける。
ツヴァイハーとしてのリーユンの苦しみは、俺には分からないことかも知れない。でも、だからって見過ごしてたら、きっと大事な何かが壊れる。そうなってからじゃ遅いんだ。
「じっちゃんが言ってたんだ。お互いが険悪でも、その間に誰か入ると、自然と笑いが出てくることもある、って。俺はリーユンと仲良くしたいし、春菜先生や学園長も好きだし、クラスの連中とも毎日楽しく過ごしたい。……まぁ、命懸けだけどな?」
「……黎九郎って……」
ふと、どこか恥ずかしげにリーユンが視線を外した。
「ん? 俺?」
「……たまに、優しいよね……」
「そうか? お前の方がいいヤツじゃん。今までずっと、回りの連中に気ぃ遣ってきたんだろ? 何かあったとき、巻き込まないようにわざと遠ざけてさ。スゲーと思うんだ、お前のそういうとこ。……俺だったらムリだな〜、どうしてもシリアスになれねー男だから。笑いが無いとサビシイし」
性格というかなんというか、存在自体がギャグみたいな俺に対し、ずっと一人で悩みを抱え込んできたリーユン。彼女の精神的な強さには頭が下がる。
ふと、俺の顔を横目で一瞥して、リーユンが握っていた手を離した。
そして、その手を胸元に寄せて俯いてしまう。月光ではイマイチ良く分からないが、心なしか彼女の頬が紅く染まっているような気がした。
「わ……分かったように言わないで……私、別にそんな……」
否定しようとしてしきれていない。それは多分、俺の見立てに一定の真実があったからだろう。俺は、思わず可笑しくなって、
「ぷふっ……」
軽く吹き出してしまった。
「な、何……?」