魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
春菜先生の部屋のドアを二回ノックする。
「は〜い! 開いてますえ〜!」
中から響いた春菜先生のその言葉で、俺はもう一度その部屋に入った。
「えっと、またお邪魔します」
「あらっ、黎くんどないしはったんどすか?」
軽く驚きを見せる春菜先生。だが、直後にはいつもの様に優しく微笑む。
「あ、えっと……ですね、その……さっきはホント、ごちそうさまでした。先生の料理、普通に美味しかったです」
「……おおきに。先生、少しほっとしました。ひょっとしたら黎くん、無理して食べてはったんやろかて思てたから……」
俺の言葉に、春菜先生は苦笑して見せる。
俺は少しバツの悪い思いとともに、そんな彼女に口を開いた。
「それと……嬉しかったです。俺の為にメシ作ってくれて。でも俺、リーユンから先生の話聞いて、だから俺……」
俺は頬を一掻きすると、春菜先生を見据えた。
「そ、そのなんつーか、先生、あんまり気にすることないスよ。先生は吸血鬼で、俺とは少し違ってて、でも優しいし、こんな俺にも色々気ぃ遣ってくれるし、俺はそれだけで充分っていうか……あ〜、え〜……だからつまり……」
言葉の後半で、俺は自分が何を言いたいのかよく分からなくなってくる。どうしてこう、言葉というのはもどかしいのか。
だが、
……げ。
俺はそれを見て、思考が完全停止した。
俺の目の前で、春菜先生の頬を大粒の涙が幾つも幾つも駆け下りていく。
うおぅ! またなんか地雷をっ? 俺ってヤツぁ!
「……あ、あのちょっと、先生? 俺、なんか悪い事言ったっ?」
半ばパニクりながらそう問うた俺に、
「……ううん……」
春菜先生はかぶりを振り、傍に歩み寄ると俺の胸に額を当てた。
きゅっ、と、春菜先生が俺のシャツの胸元を握り締める。
「……ごめんなさい……先生、大人げなくリーユンと張り合ぅてしもて……自分がイヤんなってるとこに、黎くんが来てそないな事言うんやもん……」
え〜と、俺、どうすりゃいいんだ……?
こんなシチュエーションで選べる選択肢を、俺は全く持っていない。
「黎くん、キミ優し過ぎます……」
「そ、そうなのかな……春菜先生の方が、優しいと思うけど……」
一頻りの沈黙の中、春菜先生が微かに鼻を鳴らす音だけが、室内を満たす。
だが、しばらくの後に春菜先生が俺から離れ、いつもの微笑みを見せた。
「あ〜あ……なんでウチ、吸血鬼なんやろ……」
なんで、って、まぁ、そう生まれついたんじゃ、しょうがないと思うけど。
そんな考えが脳裏を過ぎったが、なんかこう、この場で口にすると的外れな気もしたので、口には出さないでおく。
とはいえ、どうして春菜先生がそんな事を考えたのか、ちょっと興味もあったりして。
ただ、なんだろうか。魔物という人外の存在であるハズの春菜先生が、こんなにも悩むっていう事がなんとなく面白くて、でもそれでいてますます親近感が湧くっていうか。
「堪忍しておくれやす、黎くん。……先生、情けないとこ見せてしもて……ほんま恥ずかしいわぁ」
苦笑を見せる春菜先生に、俺もまた微笑んだ。
「俺は嬉しかったスけど。先生も悩むんだなって、分かって」
「……も、もう……ほんま黎くんには、ウチ敵わへんわ……」
春菜先生は、顔を真っ赤にして視線を逸らした。
だがその視線が、何かを言いたげに再び俺の顔を捉える。
「……そやね、ウチかて、幾つも悩み抱えてますのえ? そやから……黎くん?」
「は、はい?」
不意に名を呼ばれ、俺は真摯な貌を見せる春菜先生の、その眼差しを真正面から受け止める。
顔立ちはハーフの様に秀麗であるのに、先生の瞳は深い鳶色をしている。そこには溢れんばかりに、一人の親としての愛情が滲んでいるような気がした。
そして、先生はおもむろに、血色の良い艶やかな唇を開いた。
「ウチ……先生やなく親として、キミにお願いがあるんどすけど……」
そう切り出した春菜先生の言葉に、俺は全てを悟った気がした。