魔物達の学園都市
三章 空腹と満腹の狭間で
医務室から寮の自分の部屋に移って一週間が経過した。
その間、俺は授業に出ておらず、自室のベッドに寝そべりながら退屈な時間を過ごしている。
俺にあてがわれた寮の部屋は、いたって質素なものだ。
とはいえ、バス・トイレ付きで簡素なキッチンも付いている。家具類は必要最低限の物しかないが、余計な物が無い分、むしろ機能的な部屋だと言える。
「ったくよ〜、過保護なんじゃねぇの? ムチウチったって、別にもう痛くないのにさぁ」
俺は退屈から来る不満を口にしてみた。
一応自室にテレビなんかはあるが、昼にやってる番組といえば、アンデッドの司会者がやってる通販番組とか、多分ミノの同族と思われる、初老の司会者の奥様向け番組とかばっかりで、実に退屈極まりない。
まぁ、学園長や春菜先生の懸念は分かるんだ。
どうやら世界で『純粋な人類』の生き残りは、俺だけという可能性が非常に高いみたいだし、その意味で、俺はこの世界でとてつもなく貴重な存在だ。
脳に接続した生体端末と、そこにインストールする各種サポートスキルのお陰で多少の強化はされているものの、結局のところ、俺も根本的な部分はごく普通の人間に過ぎないワケだ。
つまり、どうやら本気を出した魔物には、俺の力は通用しないという事。といっても、暴走したミノが、特に強力な魔物だというだけの話なのかも知れないが。
だから、大事を取って休ませてくれているんだろう。それは分かってるんだけど。
そこまで考えて、俺はふとリーユンの事を思い浮かべた。
どうも今ひとつ、アイツの事がハッキリしない。
アーウェルは、リーユンが『遺跡から発掘された』と言っていた。
それでいて春菜先生は母親だというし、じゃあ、地下都市で一人生き延びていたアイツを、春菜先生が養子にしてここまで育てたって事なんだろうか。
一方でアーウェルは俺を『純粋な人間』と言ってたし、生体端末の事も知ってるみたいだった。
で、その上でリーユンを『ツヴァイハー』呼ばわりしてる。
「だからよ〜、ツヴァイハーってなんなんだよぉ〜……」
ウズメに問い合わせても、その度にエラー吐いて再起動しやがるし、学園長や春菜先生に訊いてみようと思っても、それが禁忌であるかのような空気をまき散らしてて、とても訊ける雰囲気じゃない。
ってワケで、現時点で推測できるのは、リーユンが俺のような人類とは『似て非なるもの』って事と、魔物を滅ぼせる力を『持っているのかも知れない』って事くらいだ。
だとしたら……俺は、どうする……?
不意に、俺の脳裏に更衣室でのアイツの貌が思い浮かんだ。
辛そうな――今にも泣き出してしまいそうな貌。きっと、リーユン自身も自分の特異性を知っていて、それでもこの歳まで魔物社会に溶け込んで生きてきたんだろう。
羅魅亜とかミノとかに誤解されたままでも、怒って手を上げるとか、そんな事をしてこなかったみたいだし。それでどうして魔物の脅威なんて言うんだ、アーウェルは。
なんとなく苛立たしくて、落ち着かない。
人類がリーユンを生み出したのなら、俺は生み出した側の存在である訳で、だったら何かできそうな気もするけど、リーユンの意志を無理やりねじ伏せるような事はしたくない。
第一、人類の末裔だというだけの俺に、そんな権限が与えられてるのかも分からない。
状況から見てリーユンが他の地下都市で誕生したことは明らかだし、仮にリーユンが生物兵器みたいなもんだとして、この千年間、ほとんど独立して営まれていた世界各地の地下都市で、その生物兵器のコントロール権限を、他の地下都市の人間にまで与えているとは考えにくい。
「う〜、ヤメヤメ、推理したって仕方ねぇよ、情報が足りないんだから」
そう呟きながら、俺は天井を見上げた。
そんな時、
ぐぅ〜……。
不意に、俺の腹がご丁寧にも空腹を告げてきた。そして俺は、そこで重要なことを思い出す。
「そういや、今日は寮の食堂休みだとか言ってたっけ……やべ、飯の用意とかしてねぇぞ?」
思い出した事実を呟いて、俺は急激に身体から力が抜けていくのを感じていた。
このままではマズい。動けるうちに飯の用意をしなくては。
俺はベッドから起き出して、冷蔵庫を開けてみる。
「うぉっつ……」
直後に目眩が俺を襲った。
食材、なんにもねぇ……。
そんな事実を胸中で噛み締めたが、いや、そもそもこの学園に来てから、ドリンク以外買った憶えもない。
「おおぅ……み、みすていく……どうすんだ俺……」
一気にやる気と活力が失せ、俺はその場にうずくまる。
そんな時だ。部屋のドアがノックされたのは。
「黎くん、起きてはりますか?」
聞き覚えのある声。というか、こんな口調で喋る人物など、俺は一人しか思い浮かばない。
「は〜い、開いてますよ〜」
ドアの向こうに俺がそう返事を送ると、
「入りますえ?」
間を置かず、春菜先生の姿がドアの向こうから現れた。
その姿を見て、俺は思わず息を飲む。
別に、これといって着飾っている訳じゃない。鹿の子模様の、どちらかといえばむしろ質素な――もっと言うと地味ですらある着物に身を包み、何か作業でもしていたものか、上半身にたすきを掛けている。
髪はいつものポニーテールではなく、優美に下ろした黒髪を、腰の辺りで括っていた。
初めて見る春菜先生の普段着の姿。だがそれはとても新鮮で、俺の目に瑞々しく映っている。
と、呆然とする俺の貌を見て、春菜先生がいつもの笑顔から、不意に目を丸くした。
「黎くん、ひょっとして具合でも悪いんどすか?」
春菜先生のそんな問いに、俺は苦笑するしかない。
空腹で青ざめているであろう俺の顔。それに加えてうずくまっているワケだから、そう考えるのも当然だ。
「あ、いや、ご心配なく。単に腹減ってるだけッスから」
笑顔を引きつらせながらそう応えた刹那、
ぐぐうぅ〜……。
俺の空っぽの胃袋が、同意してくれた。
「あらあら、見た目とちごて、元気なおなかどすなぁ」
曲げた人差し指を口元に当て、くすくすと笑いながら、安堵した様子を見せる春菜先生。
どこまでも柔らかな物腰だ。とてもアーウェルの同族とは思えない。
「丁度良かったわぁ。今からウチのお部屋に来はりませんか? 今日、食堂お休みどすさかい、黎くん、おなか減らしてるんと違うかなぁ思て、お昼の用意してましたんえ?」
――黎くん、おなか減らしてるんと違うかなぁ思て、お昼の用意してましたんえ?――
――おなか減らしてるんと違うかなぁ思て、お昼の用意してましたんえ?――
――お昼の用意してましたんえ?――
直後、脳内にリフレインする春菜先生の甘い誘惑。
幾度も脳裏に反響するその言葉を噛み締めながら、俺の思考は一瞬停止し、それとほぼ同時に、滝のような涙が濁流となって頬を駆け下りて行った。
「うををををを〜〜! 女神! 女神と呼ばせてください先生!」
「いや、ウチ吸血鬼どすけど」
俺の様子を見て明らかにどん引きしつつ、しかし春菜先生は、その優美な色白の手を差し伸べてくれた。