魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
そこは体育館とグラウンドの間にある、簡素だが、それでも校舎に合わせた堅牢な造りの長屋じみた建物の一角――その陰だった。
で、周囲に人気は無いのだが、それはあくまでも、建物の外の話。
「え〜……なんだよココ?」
取り敢えず、貞操の危機が杞憂だったことを悟り、俺は傍らで壁に耳をくっつけている大小両極端な二人の魔物にそう訊いてみる。と、
「シッ! フヨウイにコエだすんじゃネーでゲスよ!」
これまでに見せたこともないような、いつもの殺意とは異なる鬼気迫る表情で俺を睨み上げてくるクソ妖精。
それから、
「この壁の向こうにはなぁ、パラダイスが存在すんだよ。分かるか? 英語で言うところの楽園ってヤツだぜ?」
そんなワケワカンナイ事を小声でのたくるバカ牛。
つか、お前が喋ってんのは一体ナニ語なんだよ?
「あ〜……一体、これから何が始まるんデスか?」
先の展開が読めないままに、俺は二人にそう訊ねてみた。
すると、不意にウメハラが、ご自慢の三角帽子の下からビデオカメラを取り出した。
しかもそれは、この学園都市で最新のハイパーデフィニション規格のヤツだ。高いんだよね、コレ。このあいだ街の電器屋で見たよ。つか、なにげに金持ちなのかお前は?
いやまて、そんな事はどうでもいい。それ以前に、今こいつカメラをどっから出した? 初対面の時に血で汚れた帽子は、今は改めて純白のきれいな物になっているワケだが。
ゴクリ、と、俺は生唾を飲み込んで、ウメハラの帽子に手を伸ばした。まさかとは思うが、その帽子の裏側が異次元と繋がってたりしないだろうか、なんて淡い期待を込めて。
だが刹那、ヤツの得物である鋭利な手斧が煌めいて、刃の軌跡を俺の指先に残した。
「サワルんじゃねーでゲスよ、このゲスヤロウ!」
今にも噛み付きそうな勢いで俺を威嚇するウメハラ。ああ、指が落ちなくて良かったよホント。そう思ってしまうほど、マジでチビりそうだったんデスが。
だが、ミノが顎先で指示すると、ウメハラは頷き、俺にそのビデオカメラを手渡した。
「ソウサはワカルでゲスね?」
「ああ、まぁ、分かるけど」
「じゃあ、俺がここのドア蹴破ったら、直後に回せ。一、二の三、だぜ」
ミノのセリフに、俺はもう既に引き返せないところまで来ていることを感じた。何をするかは今もって不明だが。
「じゃあ、アッシがウチカギをコワシたら、ケヤブるでゲス」
手斧の刃が鈍い光を発するなか、ウメハラがドアの前で身構える。その時だった。
「羅魅亜、胸おっきくなったね〜っ!」
「当然ですわ。幼少時から、その為の努力をしてまいりましたもの」
キャッキャウフフと、微かではあるが、このドアの向こうから楽しげな声が聞こえた。
「あ〜、え〜、そういう事な?」
つまりミノとウメハラは、『覗き』というイベントを青春の一ページに加えたいのだろう。
まぁ、正直俺も興味はあるが。
しかしそれだけに確認しておかなければならない事もある。それはこの行動がNGかどうかという部分だ。取り敢えず、春菜先生に血を吸われるのだけは二度とゴメンだからな。
「でもいいのか? 俺、春菜先生とリーユンの胸触ったら、メッチャ怒られたぞ?」
そんな何気ない一言を言ったとき、ミノとウメハラの纏う雰囲気が変わった。
それはまるで、地獄の底から湧き出てくる、不浄な何かの化身であるかのような。
「ナニいいいぃっ? テメェ、春菜先生が、密かにこの学園のアイドルだって知ってての狼藉なんだろうな? 羨ましい! 揉んだのか? あの巨ぬー揉んだんだなっ?」
俺の襟首を掴んで引き寄せ、ミノがそう問うてくる。サングラスの向こう側で、その目が血走っている気がした。
そして、俺はミノの問いに、思わずあの感触を思い出してしまう。ひたすらに柔らかく、心地良い感触。自然と鼻の下がのびていく。
「う〜ん……揉んだ」
無意識に俺がそう呟くと、二人の雰囲気が更に変わった。今度は真っ白な灰になった、どこかのボクサーの様だ。
だがしかし、それも一瞬の事。直後には、モノクロだったキャラが熱い――もとい、暑苦しい色を纏う。そして、闇よりもなお昏く、邪な情念までも。
「ユルサネェ……ユルサネェでゲスよ」
背景に暗黒を纏って凄んでくるウメハラ。
その傍で、ミノが俺の胸ぐらを掴んだまま、無表情で口を開いた。
「悪いが作戦変更だ、死んでこい黎九郎。一、二の――」
「三!」
「キェーッ!」
気合――もとい、奇声と共にドア鍵を一閃するウメハラと同時に、
バゴン!
ミノが直後にドアを蹴破り、
「逝けぇ! 黎九郎!」
「うおわぁっ?」
俺はその中に放りこまれ、その床に這いつくばった。
で、直後にドアが閉められる。
「えっ? えっ? なにっ?」
「やだ! ちょっとあれ、このあいだ転入してきたアイツじゃないっ?」
え〜っと……。
混乱しつつ顔を上げた俺の耳に届くは、高い声質の、どう考えても女の子達の声。
でもって俺の視線の先には、着替え途中の女子の姿がある。
体育の授業は隣のクラスと二クラス合同で行われるワケだが、それと等しい人数がこの部屋には居た。それはつまり、ここが女子の更衣室であるという事を示しているワケで。
俺の姿を見て、涙を滲ませている獣耳の子。
唖然として俺を見ている、両腕が翼になってる子。
例の『腐女子』は状況が分かってるんだかなんなんだか、マイペースにあ〜う〜言ってるし。
で――
『きゃあああああっ!』
一瞬の間を置いて、大音量の悲鳴が室内を満たした。
「あ〜、いや、すまんが俺にも状況が……」
取り敢えず言い訳をしてみる。
つか、女の子とはいえ、どいつもこいつも俺なんか瞬殺できちゃう魔物たちだ。多分、ここで殺されても、きっと事故死あつかいだよね?
そんな風に死を覚悟した時だ。
「……サイテー……」
不意に、悲鳴に混じって聞き慣れた声が聞こえた。
見ると、その先には下着姿のリーユンが、胸元を腕で隠して俺を見下ろしている。
「もう、言って下さいましたら、下着姿の一つくらい、いつでもお見せできますのに……」
否定的なご意見が多い中で、容認するセリフを吐くヤツがいる。もちろん、そんな事を言ってくれるのは、いいカンジに頬を染めた羅魅亜お嬢様だ。
人間型のコで着替え終わってるコは、シャツにブルマーという風体なのだが、蛇腹である羅魅亜だけは、他のコのブルマーと同色の布を腰(?)に巻いている。
まぁアレだ、羅魅亜にゃ悪いが、運動着ってより腹巻にしか見えん。
「え、なになに? このコ、例の人間の生き残り? カワイイかも〜!」
羅魅亜に続くのは、頭がヤギのコだ。ちなみに下半身もヤギで、上半身だけが人間のそれ。
そんなヤツが、俺の顔を見て舌なめずりをしている。
う〜ん、どっちかっつーと、俺の方が被害者になりかねん状況な気がするんだが。
「……やっぱりヘンタイ」
……ざっくり。
更に重ねられたリーユンの一言が、俺の胸に突き刺さる。
「いや、これはだな、ミノとウメハラにハメられたっつーか。断じて俺の意志ではないぞ?」
「……右手のそれ、説得力無いんだけど」