魔物達の学園都市
◆ ◆ ◆
チン、と静かな音がして、外への扉が左右に開かれていく。
刹那、まぶしいくらいの光が目に飛び込んできて、一瞬、俺の視界をホワイトアウトさせる。
白い視界の中、やがておぼろげに風景が浮かび上がった時、
「……これが……地上……」
俺は、そんな言葉しか呟くことが出来なかった。
一千年間、人類が夢見続けてきた地上の世界が今、俺を包んでいる。
そこは光あふれる世界。
柱の様に地上に飛び出したエレベーターゲートの周囲には、ただ広大な草原が広がっていた。
遠くには、青く霞んだ山々の稜線。
それより近くには、穏やかな風にくすぐられて、静かに葉擦れの音を奏でる森林が見える。
思い切り空気を吸い込んだ。
草原を渡り、草の匂いをいっぱいに含んだ清涼な大気が胸を満たす。
何億回と循環を繰り返した、カビ臭い地下の空気とは明らかに違う心地良さが、身体の隅々に染み込んでいく。
ざぁ、と、草原に一際大きく波を立てて、風が駆け抜けて行った。
「わはっ……マジかよ……」
ただ信じられなくて、俺は思わず笑っていた。
「イィィ〜ヤホオオゥ! 地上だぜバッカヤロオオ! じっちゃんやオヤジにも見せてやりたかったなぁ! なんでもうちょっと生きてられなかったんだよ! ば〜かば〜か!」
叫びながら、俺はその場に倒れ込み、柔らかな草の匂いを目一杯に吸い込んだ。
と、そんな時。
ふと陽光を遮って、俺に影を落とすものがあった。
一瞬にして緊張が走る。
地上世界。
それはつまり、地下都市の管理下から離れた世界だ。それから、人類が支配していた一千年前とは大きく異なる世界でもある。どんな危険が待ち受けているとも限らない。
しかしながら俺は、その危機を乗り越えるための様々な教育を施されてきた。親父や、じっちゃんの手によって。
影が差した反対の方向に俺は飛び退く。まずは退避。それから状況の確認。
しかし『それ』を見て、俺は息を呑んだ。
まるで時が止まったかのように心を呪縛する、優美な二つの人影。
そんな存在が、俺の目の前にはあったから。
どちらも、風になびく長い黒髪を後ろで束ねた姿。
一人は背が高い。俺の背丈よりも少しだけ高いようだ。
もう一人は、それよりは低い。多分俺よりも。
美しい、と思ってしまったからだろうか。
警戒を解くことは出来ないが、それでも俺は、危機感が和らいでいくのを感じていた。
二人は華奢で、とても俺より強そうには見えない。
何より、『二人』――そう、目の前に居るのは、俺と同じ姿形をした人類なのだ。
二人はよほどびっくりしたのか、似通った大きな眼差しを目一杯に見開いて、俺を見つめている。と、
『に、人間〜〜っ?』
二人同時に、そう叫んだ。
「あ、え? うん、人間だけど、つか、あんたたちダレ……?」
俺に対し、まるで警戒心を持っていないように見える二人。
俺もまた、それに倣うように警戒を解くと、一歩近づいてみた。
実は、一目見た時から、俺には非常に気になっている事がある。
甲高い声質と、華奢な体躯。それから、優美に整った顔立ち。二人共に眼差しは端がやや上がって、ひょっとすると兄弟なのかもと思えるくらいに似ている。
しかし、背の高い方は眉の端が優しげに垂れ下がり、もう一人は短い眉の端が、気が強そうに上がっていた。
なんだか良くは分からないが、多分これが『美形』ってヤツなんだろう。
服装も、背の高い方はタスキ掛けの和服――というか、袴姿。
もう一人は、白いシャツに茶色のカーゴパンツという出で立ち。
それぞれに、似合ってるっちゃ似合ってる。
だが、だがな? そんなこたぁどうでもいい。俺が気になってるのは、俺にないものをこの二人が持ってる、って事だ。
まさか、な。
ふとした疑念が脳裏をよぎる。疑念の通りだとするなら、俺が生まれて初めて見る存在だ。しかし、『ソレ』の大きさが、むしろ疑念を否定しているかの様に思えた。
……それにしちゃ、デカ過ぎないか? 特に袴の方。
俺が、じっちゃんの挿絵付き文献を見て知ってるのは、こんなにデカくないんだ。
だったら……そうか、千年もの間、各地下都市で相互通信が不可能だったからな。独自の文化が形成されててもおかしくないハズだ。歴史は繰り返すとも言うし、袴姿なのも、この人らにとっては『今時の流行り』なのかも知れん。
そう考えると、『ソレ』がファッションの一種である可能性もある。ならばここは。
俺は覚悟を決めた。これはもう、こうして確かめるしかあるまい。
俺は二人に歩み寄り、右手は袴のヤツに、左手はシャツのヤツにそれぞれ伸ばした。
二人はと言えば、俺の手を唖然として見ている。なんて警戒心のないヤツらなんだ。
いや、これはもう、お互いに紛う事なき人類だという証拠ではないのか?
そして、
……ふに。
俺の両手は、『ソレ』を手に取った。
ふにふにふに。
ふにふにふにふにふに。
おお、柔らかい! 暖かいし……これは何だ? 未知の感触だ。それに、この両掌の中央に当たる、やや固い突起は何だろう?
風船の吹き込み口か? 他の地下都市じゃ、やっぱこういうのを胸元に入れとくのが流行ってんのか? しかし、ただの風船じゃないな。重量がありすぎる。特に右の袴の方。
ふにふにふにふにふにふに。
なおも揉み続ける。そうしていると、なんだか脈拍が上がってきた気がする。
なんだろう、この未知の気分は? まるで、DNAの二重螺旋に刻み込まれてでもいるかのような、この本能から湧き上がってくるような気分は?
「う〜む……地上世界は謎だらけだな……」
思わずそう呟いた時、俺はそれに気付いた。左の方、シャツのヤツは俺を、まるで鷹の様な無感情な眼差しで見つめている。冷静だが、なんか怖いな。
一方で、袴の方はといえば、プルプルと、小刻みな震えが胸の球体から伝わってくる。
何事かと思ってその顔を見ると。
「……あれ? 真っ赤になって震えてるとか……もしかして、風邪でも引いてる?」
風邪は辛い。うん、本当に辛いんだアレ。まぁ、俺はもうガキじゃないから、風邪なんか引かなくなったけどな。
うんうん、と自分で納得していたその時だった。
「きっ……」
き?
袴のヤツのまなじりが滲んで、
「きゃああああ〜〜〜〜〜っ?」
鼓膜を破るかのような、甲高い叫び声が響いた。
「あ、え? どした? なんなの?」
袴のヤツが跳びすさり、その刹那、
「ごふぉっ?」
俺のミゾオチに、鋭い蹴りが突き刺さった。
「いやあああ〜〜〜〜っ? いきなり何すんねんあほ〜〜〜〜っ!」
「ぐぶっ?」
くの字になった俺に、続く容赦のないアッパー。俺の身体が天高く舞い上がる。
スゲェ、スゲェぜコイツ。俺より華奢な体格で、よくこんな芸当ができるもんだ。うんうん、人間、見た目で判断しちゃイケナイって事デスね?
「死にさらせ〜〜〜〜っ! こんチカぁ〜ン!」
「ほにょ〜〜っ?」
落ちてきた俺は、回し蹴りによって今度は横方向に吹っ飛ばされた。なんか怒ってるみたいだけど、なんかやったんかな? 俺。