魔物達の学園都市
え……まさか、このオッサンが……?
俺は彼の姿を見て、一瞬唖然とした。
まずは貫禄たっぷりの、まるっとした体型。
顔の輪郭も福々しくて、頭髪に至っては、シルバーのそれを、何かでムチャにこすり落としたんじゃないかってくらいに薄い。
顔立ちもまた、それらの容姿に違和感なく、好々爺といった笑顔を載せている。
刹那、俺が先程まで抱いていたイメージが崩れ落ちていった。これならまだ、さっきのアーウェルとかいう野郎の方が、想像してたイメージに近いってもんだ。
「え〜……あれ? 吸血鬼……なんですよね?」
俺は、こちらに向けて伸ばされた友好的な彼の手を握りながら、そんな疑問をぶつけてみた。
「そうだよぉ? ほら」
言って、学園長は、ニッ、と口を小さく開く。
うん、確かに吸血鬼の証であるところの、ご立派な牙が見えマスね。
「まぁまぁ、アーウェル伯の事は気にせんでくれ。彼はなんていうか……プライドが高くてね。人類史研究の面白さより、血族の尊厳の方が大事らしい」
「……はぁ、まぁ、そんな感じッスね……いやまぁ、気にはしてないスけど……」
俺が知ってる範囲の身内で、大勢の人間と暮らしたことがある経験を持っていたのはじっちゃんだけだ。そのじっちゃんは、俺に『他人との生活の難しさ』を教えてくれた人でもある。
大勢と暮らせば、気に入らない者も出てくるし、トラブルも発生する。我慢することも覚えなくてはならないし、根気強く対話を繰り返す必要も出てくる。
言葉なしには人は解り合えない。そして、相手にも自分と等しく心があるという事。それを忘れてしまったなら、争いを止める事も出来なくなる。
――全てを許せとは言わん。拳をもって立ち向かわねばならん理不尽もある。だが、傷付き倒れ、戦意を失くした相手には、もう一度言葉をかけてやれ――
それは、死の少し前に、じっちゃんが俺に残した言葉だった。
もっとも、この学園の中で拳で立ち向かったら、倒れんのは間違いなく俺の方だけどな。
「あ、あの、そのどすな……黎くん……さっきの、その……」
学園長と、一頻り握手を交わして手を離した時、不意にどこか言い辛そうな様子で春菜先生が口を開いた。
俺は、彼女が何を言いたいのかがすぐに分かった。
――もう、純粋な人類はお前しか残っていないのだから――
先程の、アーウェルの言葉が脳裏によみがえる。
「う〜ん……軽くショックっちゃあショックなんですけどね〜……まぁ、滅びちゃったもんは仕方ないんじゃないスか? 俺一人残ってるからって、クローンばっか造ったってしょうがないし。つか、俺がヤだしな、それ……」
俺の分身が増えて、眼の届かないところで何かやらかしたら、俺が疑われちまう。
「はっはっは、若いのに達観してるんだねぇ、キミは。いや、アーウェル伯はああ言ったが、世界には未発掘の遺跡がまだ幾つかあるし、人類滅亡の『可能性がある』という段階に過ぎないんだよ。……それに、発掘した遺跡の調査も全て終わってる訳でもないしね。我々にとっては未知のセキュリティもあるし、私みたいな不死者でも、危険な場所は幾つもある。できればキミに――」
「ああ、いいっスよ? つっても、俺に手伝えるのは、俺が育った地下都市だけですけどね。その代わり、条件もありますけど」
俺は、目の前の『学園都市の実力者』と交渉する事にした。
実は、地下都市の各設備はもう寿命の近いものが多い。俺をバックアップしてくれているウズメを始めとした、管理AIのプログラムデータが入っているクラウドの設備もそうだし、エネルギーを賄っているジェネレータやら何やら、そういったインフラ関係の設備もそうだ。大幅なメンテナンスが必要な時期に突入しているという訳である。
そしてそこに、この学園都市で使われている技術の出番がある。
まだ若干、地下都市のものと比べれば遅れている技術力だが、それでも充分にメンテナンスできるレベルにあると俺は思う。
俺は春菜先生を一瞥すると、再び学園長を真正面から見据えた。
「条件は二つ。一つは、地下都市のメンテナンスに協力してください。あそこは俺の実家で、生まれ故郷です。俺が生きてるうちは、失いたくない」
「もちろんだよ。で、もう一つは何かね?」
穏やかに微笑みながら、学園長は了解してくれた。
俺は、次の条件を学園長ではなく、春菜先生に向けた。
学園長を信用しない訳じゃない。でも、この部屋でついさっき会ったばかりの学園長よりも、もっとその人柄を知っている、信用できる人物がいる。
「地下都市から得られた技術を悪用しないこと。もしも争いの火種にされる事があったら、ソフトウェア、ハードウェア関係なしに、俺は全力をもって全ての技術を消去します」
俺の物言いに、春菜先生は少し驚いたように目を見張った。
が、それも一瞬のこと。彼女はすぐにいつもの微笑みを浮かべ、頷いてくれた。
「約束しますえ。ウチらを信用してください。もうこれ以上、アーウェルの介入は許しませんよってに」
ああ、対立してるワケね。
俺はそこまでの意味を含めたつもりもなかったのだが、春菜先生の口からは、そんな答が返ってきた。そしてそれを聞くと、訊きたいこともできてしまうというもので。
「あの……ちなみに、あのアーウェルさん? ……って人は、一体……」
俺の問いに、今度は学園長が口を開く。
「ああ、私の妹の孫でね、春菜の婚約者だ。私の父のヴラド公は、次代の跡継ぎにと考えている様だが、まぁ吸血鬼はいいとしても、あんな性格で、他の血族からは賛否両論がある。カリスマ性はあるからシンパも多いがね。正直、扱いにくい」
「え〜……んじゃ、春菜先生の遠縁で、婚約者って事は……」
なんだろう、それ以上考えようとすると、途端に思考が鈍ってくる。なんでか知らんが、軽くショックを受けている自分がいたりして。
「ウチは認めてませんけど。曽祖父様が勝手に決めはって、えらい迷惑どす」
今にも蒸気を出しそうな勢いで、不機嫌そうに口をへの字に曲げる春菜先生。そんな彼女が、ふと俺の顔を見て悪戯っぽく微笑む。
「そやわぁ、ウチ、黎くんに胸触られましたさかい、もうお嫁に行けへん、て事にしよかなぁ」
「……え?」
やべぇ、なんか雲行きが怪しくないか? つか、あれってそういうNG行為なワケ? 俺、リーユンのも触ってるし、羅魅亜のも触ったぞ?
俺の額を、一筋冷たいものが駆け下りていく。
「黎くん、ウチのこと、責任とってお嫁はんにしてくれはりますか?」
柔らかく、可愛らしく微笑む春菜先生。だってのに、その笑顔が怖い。
「……ええ〜……あ、いや、春菜先生の事は好きだけど、俺ほら、まだ学生だし、年下だし、リーユンがいうところの『ぼえ〜っ』としたヤツだし、ヘ、ヘンタイ……デスし……」
「あら嬉し、ウチも黎くん好きどすえ? 大学含めて五、六年くらいは待ちますし、ウチより年上なんて、吸血鬼と一部の血族しか居はらへんし、黎くんのぼえ〜っとしたとこもカワイイ思てますえ? ヘンタイなんは、まぁ、ご愛嬌いうことで」
全肯定スか! うを〜、イカン、断るネタが思いつかねぇ! つか、ヘンタイの部分は否定してくれることを期待してたんデスけどね!