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てっしゅう
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「哀の川」 第十二章 好子との別れ

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「ありがとう・・・みんなの気持ちは本当に嬉しいの。元気になって幸せになりたいけど、自分にはどうしようもないって、解るのよ。弱気になっているんじゃないのよ。身体が答えを出してくれているの、残念だけど手術をしたら・・・もう帰って来れないよ。裕子元気な赤ちゃん産んでね・・・」
「好子!しっかりなさい!」そこまで話すと疲れが出たのか、目を瞑ってしまった。看護士にこれ以上は負担になるからと、帰るように促された。

三人は、病院の手続きをして、ロビー横にある喫茶室へ入った。

喫茶室に入ってすぐに院内放送が流れた。
「大西功一郎様、おられましたら、至急お近くの看護士か、受付案内までお申し出下さい。繰り返しご案内いたします。大西・・・」

功一郎は、受付に行った。
「今呼ばれました大西です。なんでしょう?」
「お待ち下さい、大西様」
係りはコールセンターへ内線を繋いだ。用件を聞き、返答した。
「入院されております、大橋好子様のご容態が変って、今緊急手術が始まっているそうです。三階の第一手術室前のナースセンターへお越し頂くようにとの、ご案内です」
「はい、ありがとう・・・」

裕子と杏子を伴って功一郎は三階へ急いだ。ナースセンターの前では、担当の看護士が待ち構えていた。
「大西さまでございますね。こちらへどうぞ」
狭い医師が休憩する場所へと案内された。担当医が執刀中なので代わりに副担当の医師が説明を始めた。
「ご心配ですね。先ほど面会が終わってお帰りになった後、激しい腹痛が起こり、緊急手術となりました。執刀医が終了するまで詳しくは申せませんが、どうやら腫瘍が破裂したようです。危険な状態であることだけはご承知おきください。ICUの前に待合がございますので、そちらでしばらくお待ちいただけますようにお願いします」
「はい、解りました。先生!助けて上げて下さい。費用はどんなにかかっても構いません。お願いします・・・」
「お気持ちは解ります。最全を我々は尽くしております。後は大橋さんの生きる力と体力です。今はなんとも申し上げられませんが、見守っていてあげて下さい」
「先生・・・」大西はそれ以上声にならなかった。
裕子も杏子も堪えるしかなかった。

何時間が過ぎただろう・・・いや、長く感じていただけであろう。三人は無言のまま、お互いを見ようともせずに、うつむいて時間を過ごしていた。扉の向こうから、手術着を来た執刀医がこちらに向かって歩いてきた。

功一郎は医師に駆け寄った。
「先生、どうでしたか?好子は無事ですか?」
少し間を空けてゆっくりと医師は答えた。
「お気の毒ですが、力及びませんでした。卵巣の腫瘍が膨らみ、大静脈と癒着を起こしておりました。破裂に伴って、大量の血液が腹腔内に流れ込み、なすすべがない状況でした。止血と、輸血、縫合を試みましたが、体力が持ちませんでした。まことに残念でした」

医師が言っているのは、死んだと言うことの遠まわしだ。功一郎は信じられなかった。昨日の今日、年末にはあんなに元気だったのに、わずか二ヶ月あまりで死んでしまうなんて・・・裕子も杏子も同じ様に信じられなかった。去年のいろんなことが頭の中をよぎり、思い出すたびに涙が溢れ出してきた。三人に看護士が近寄ってきて、事務的に今後のことを話した。悲しんでいる間もなく、事務手続きをして、お金を払って、葬儀の準備をして、と慌しい日々が過ぎてゆく。

カラオケ喫茶「愛」の前で盛大な葬儀が行われ、常連客たちはみんな悲しみにくれていた。これからどうなるんだろうかと、心配もしていた。杏子は功一郎に、自分にお店をやらせて欲しい、と言い出した。好子の無念に応えるためにも、そして好子の思い出を残すためにも、自分が続けるべきだと考えたのだ。功一郎は賛成した。裕子も出産するまでは、時々手伝うと言ってくれた。直樹の店のことや事務所の仕事もあったが、人手が足らなければ、雇うように麻子に言い、新しく二人が始めたカラオケ喫茶「好子」は名前を変えて再オープンした。

木枯らしが止み、時折温かい風が吹く季節に替わった。功一郎はすべてを精算し、香港から引き上げてきた。今までどおりに二階に住みこれまでとは違う普通の暮らしを始めた。49日が済み、落ち着きを取り戻した店は、若くて綺麗なママが居る、と定評の店に変わっていた。杏子は定休日の水曜日以外は毎日午後一時から営業していた。二階の住人は仕事が早く終わったときには、皿洗いなど店を手伝ってくれていた。好子への悲しみが薄れてゆく中で、杏子への想いに揺れ動く功一郎であった。

忙しくなって純一と遊べなくなったことで、杏子は多少の申し訳なさを感じていた。六年生になった純一は去年とは見違えるほどに男らしくなっていた。しばらくゆっくりと話していなかったから、春休みの水曜日に出かける約束をした。二人は横浜へ出かけた。久しぶりに眺める海の風景は、潮風の匂いと一緒になって、なんだか遠い昔を思い出させてくれた。

「ねえ、純一。直樹パパがあなたぐらいの時にね、わたしと二人で神戸の海を見に行ったの。大きな貨物船が遠くを行き来して、港には遊覧船やヨットなどがたくさん並んでいたの。いつか二人で、大人になったら、この大きな海を旅してみたいねって、そう話し合っていたこと、思い出したわ」
「へえ、パパとね・・・おねえちゃんは仲が良かったんだね、パパと」
「そうよ、とってもよ。二人でいろんなところへ行ったわ。直樹が東京に行くまではね。何故直樹が東京へ行ったか、話そうか?絶対に秘密って約束してくれたら」
「約束するよ!何故パパは東京へ行ったの?」
「それはね、わたしから逃げたかったのよ。わかる?仲が良すぎたから、怖く感じていたのよ」
「どうして?仲が良ければいいじゃん」
「純一だって、わたしの裸見て、大きくなったでしょう?そのまま一緒にいたらどうなると思う?」
「どうなるって・・・」
「もっと我慢できなくなるでしょ?どうしたくなると思う?」
「・・・うん、わかんないけど、好きが大きくなるかなあ・・・」
「そうよ、純一だってもし高校生だったら、あのときにどうなってたと思う?きっと、子供が出来るような事をしてしまっていたよ。それがイヤだったの、直樹は。わたしが姉じゃなくなってしまうからね、そうなったら」
「パパは、偉かったの?我慢強かったんだね」
「そう、だからお母さんみたいな素敵な女の人と結婚できたのよ。わたしと変になっていたら、人生をダメにしてしまっていたと思うからね」

純一は杏子が自分に言い聞かせているように感じ取っていた。そんなパパの恥ずかしい話をわざわざしないと思ったから、余計にそう感じていた。

「お姉さんは、好きな人いないの?」
「えっ?急に何を聞くのよ・・・純一が居るじゃない」
「違うよ!そういう意味じゃなく、結婚したいって思う人のこと」
「いないよ、もうこの年だからそう簡単に好きになってくれる男の人はいないのよ。一人でいいって考えているわ」
「そんなのいけないよ、寂しくなっちゃうよ。僕が大きくなってお姉さんと遊ばなくなったら・・・」
「うん?大きくなったら遊んでくれなくなるの?」