昔の事―ざんがい―
急に話が飛んで悪いが、これは後日の放課後のことである。その時、フーガは図書委員会の仕事の一つである書庫整理のために図書室へ来ていた。
「…………」
図書室なので当たり前だが、常にテスト中の教室並に静かである。しかしピリピリした緊張感はないから、ぐっすり眠れそうだ。だが。今そこを支配している空気は、フーガにとって少しばかり居辛いものだった。
別に一人でいるから、ではない。図書室にはフーガを含めて三人の人間が居た。
「……どうかな――直る?」
本棚の修理をしている整備委員会委員長のアカネに時たま問いかけるのは、その隣でプリントの整理をしている図書委員会副委員長のムラサキだ。
「直るさ」
「ちょっと待っていろ」
俯いたままアカネ(ちなみに彼女は図書委員ではない、ムラサキに用があったようだが、急を要するものでもないらしく、そのまま手伝い始めたのだ)は返し、作業を続ける。今日は室内にはフーガを含め、この三人しかいない。
(なんだかなぁ)
最上級生が二人。アカネは作業を続けており、ムラサキは彼女の隣を離れない。今のようにムラサキが話しかけたり、逆にアカネが口を開いたりして、二人の間で時たま短い会話は交わされるだが。
それは何となく、部外者の入り込ませないような親密な雰囲気が漂っていて。ますますフーガを居辛くさせた。
(気まずい……)
帰るタイミングを逃したフーガは、修理道具を運ぶのを手伝ったこと(図書整理より面白そうだったので)を少しばかり後悔していた。
(そろそろ帰りまーす……とか、今さら言えねーもんなぁ。あーあ……なんでオレここに残っちゃったんだろ……)
(あーもーしゃーねぇ。なんか他のことでも考えてよう。別のこと別のこと別のこと……)
そうして頭の中を手当たり次第にひっくり返し、様様な思考を巡らせるうちにふと、先日のタクトの話を思い出す。
(そういやぁ、この二人ならなんか知ってるかな?)
自分よりも三年間、長く学園にいるのだ。決して短くない時間の三年間は、物事が移り変わるには充分な期間である。
(だけど……なぁ)
今わざわざこの二人、もしくはどちらかに話しかけるということは、ものすごく勇気のいる行為だ。
フーガはそう感じた。二人は今ちょうど話してはいないけれども、だからといって、何と話しかければ良いのか。それも問題である。
(…………やめよう)
わざわざ二人の気を引くような行為は。
そう決めて俯いていた顔を上げれば、たまたまこちらに視線を向けていたらしい、ムラサキと奇しくもばちりと視線がぶつかる。夜空を思わせる真っ黒な瞳の中に己が映りこみ、おもわずフーガはそのまま硬直してしまう。
その脳内では戸惑いや困惑、いやそれよりも目撃してしまった彼女の悪魔のようなお仕置きの数数が過ぎり、被害妄想がうずまく。
対してムラサキは、不思議そうに細く長い首を少し傾げて、フーガに声をかける。
「何だい?」
その平坦な声にびくりと、ほぼ無意識に身体を震わせてしまいながらも、フーガは自分の思考を悟られまいと口を開いた。
「あっ! あのー……」
ぐるぐると彼の脳内は混乱する。
(なんか言わねぇと)
必死に脳内を探ったフーガは、手頃な質問を見つけて口を開く。
「い、池の近くにある一番大きな桜の木に、昔になんかあったとかいう噂って……なんか知ってしますか?」
フーガの言葉に、図書委員会副委員長だけでなく、作業をしていた整備委員会委員長までもがきょとんとした目でフーガを見つめた。
(ひいぃっ!)
上級生二人にじっと見つめられたことにより、またも震えて固まってしまったフーガは――その一瞬の間に目前の二人が互いに目を見合わせて意思の疎通を測ったことなど――全く気付かなかった。
アカネとの意思の疎通を一瞬の内に終わらせたムラサキは、再び後輩へと視線を戻し、口を開く。
「知らないね」
そのムラサキの言葉に続けて、アカネもフーガに向けて言葉を発する。
「そんな物騒な噂は聞いた事がないな。それよりフーガ君。悪いが隣の準備室から釘を持ってきてくれないか?」
「あ、了解っす」
最終的に頼みことになったその答えをしっかり聞きとったフーガは、いち早くこの場から立ち去れることのみを理解した。
内心安堵しながらも元気よく返事をし、立ち上がってそそくさと部屋を出ていった。