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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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人生初修羅場

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 ここまでたどり着くのに数時間、帰り道は僅かに三十分。会計を済ませ、「まだお時間残っておりますがよろしいですか?」という言葉に頷いて、俺はチャリでまっすぐに家へと向かった。



 三十分後、家には俺しかいなかった。財布の中に入れっぱなしになっている鍵を使って部屋に入ると、電気も暖房もつけっぱなしで、けれど荘一の姿はなかった。
 どこまで、俺は間抜けなんだろう。なんかもう情けなくて情けなくて、俺はがくりと膝をついた。
 きっと、あの時飛び出して、そのまま俺を探してくれている……のかもしれない。きっとそうだろう。危険回避のためか基本的に予測がネガティブ方向に強めにバイアスがかかっている俺でさえ、そう思える。
 あいつを探しに行かなくては。でも、どこにいるんだろう。あいつが俺を見つけられなかったように、俺もあいつの行きそうな場所の心当たりがあり過ぎてわからない。
 それならせめて、家の中じゃなくてマンションの外に立っていよう。そのほうが前を通りかかったらすぐ会える。そう思い、おそらく俺が飛び出してからずっとつけっぱなしだったのだろう暖房を止め、玄関先で部屋の照明を消して、気づいた。
 ソファのすぐそばで、LEDランプの明かりが、ぼんやりと点滅していた。仕事が終わって帰宅してからずっと充電器に置きっぱなしだった、俺の携帯だった。
 着信履歴は、荘一で埋まっていた。
 
 
 
 「ただいま電話に出ることができません」のメッセージを聞くこと十五回、やっと聞こえたあいつの声が、たった数時間ぶりのはずなのに随分と懐かしく聞こえて、往来でうっかり泣きそうになった。
 息が上がっていたのは、走ってたからだろうか。そういえばあいつは自転車に乗れない。もしかして、ずっと走っていた?
 十分ほどして、アパートの前にタクシーが止まって、荘一が飛び出してきた。どこまで行っていたんだろう。
 それでも、俺はどうして良いかわからなくて、窓から荘一の姿を確認して、とりあえず玄関に立っていた。ただポツンと立っているのもどこか落ち着かなくて、相手のMPを減らせそうな動きをしてしまっていると、階段を駆け上る音が扉の向こうから聞こえて、ドアノブが捻られた。
 何て言おう。そう考えるより先に、ほとんどドアが閉じるのと同時か、それよりも早いぐらい、少なくとも鍵を掛けるより先に、玄関先でいきなり奴は米搗きバッタのようにがばりと床に伏せて、「本当にごめん!」と叫んだ。俺は、あっけにとられてリアクションできなかった。荘一は顔を上げる。
「お前に嘘ついて電気屋さんにいてごめんなさい。そのあとすぐ本当のことを言えなくてごめんなさい。あの状態になってまでかっこつけを優先して、ごめん」
 普段のあいつらしくない早口でまくし立てられ、動けない。謝罪された、ということを理解するのにも少し、それから、その意味を理解するのにはもっとかかった。
「え、と」
 間を取る。考える。頭で考えながら、それでも手は思考することなく鍵を閉めた。普段していることは、できる。どうすればいいかが自明なことならできる。こんな状況でも。
「とりあえず、全部説明しろ」
 考えても、よくわからなくて、でもなんとなく、俺と別れる意思はなさそうだということだけは理解して、俺は言った。
「あと、土下座は止めろ。……そんなんじゃまともに話せないだろ」
 本人にその気があるかどうかはともかく、土下座というのは、卑怯な制度だとつくづく思う。こんな体勢で謝られたら、許さないほうが悪いみたいじゃないか。土下座した相手の頭を踏みつけるような趣味は、俺にはない。
 荘一は頭を上げると、それでも、なにか普通に向かい合うのは憚られるのか、玄関の土間の部分に正座をした。スーツが汚れる、と咄嗟に思って、それであいつが学校から戻ってからまだ着替えていなかったことに気が付いた。
「えーと」
「うん」
「もうすぐ、俺とお前が一緒に住み始めて、丸三年だろ」
「うん」
 卒業して、就職と同時に同棲し始めたのだから、年度初めだ。とてもわかりやすい。
「それで、まぁ」
「うん?」
「サプライズで祝おうと思って」
「……は?」
 思わず、そんな声が出た。お前が? 俺の前に付き合っていた彼女に、誕生日を忘れたことが原因で振られたようなこいつが? 顔に出たのだろう、荘一は少し文句のありそうな目で、こちらを見た。
「キャラじゃないことぐらい、お前に言われなくてもわかってるよ。だから、たまにはやってみようと思ったんだよ」
 映画みたいに、ロマンチックな演出でもして、びっくりさせようと思った。そう言って、荘一はおそらく運動のせいだけではない理由で、頬をうっすら染めた。
「じゃあ、電気屋さんにいた理由は?」
「お前が、新しい洗濯機ほしがってたろ。スーツとか靴も洗える奴。あれこっそり買ってプレゼントしようと思ったんだ」
「一緒にいた人は?」
「物理科の斉藤先生。電化製品なんでも詳しくて、ウチの学校で新しく何か買う人は皆斉藤先生に選んでもらうんだよ。だから、スーツとか家で洗えるような洗濯機がほしいって言って選ぶの付き合ってもらったんだ。あ。斉藤先生には奥さんも子どもさんもいるぞ」
 俺は、なんだかへなへなと足の力が抜けていくのを感じた。なんだよ、そんなことかよ。
 膝から落ちたら、正座している荘一と目線が揃った。普段の荘一らしくなく、なんだかものすごく情けない顔をしていたのだけれど、それでも、まだ、確認できていないことがあった。
「そんなことなら、なんで最初、俺がたまたま見てたって気づいたときに、ごまかそうとしたんだよ?」
「あー……」
 そこで、荘一が言い淀んだ。他に何言いたくないことがあるというのか。俺は自分の不安を隠すように、奴の顔を睨んだ。
「いや、本当に浮気とかそういうのじゃない」
「じゃあ、なんだよ」
 目が泳いだ。その視線を、追いかけた。その間も、あー、だとか、うー、といった、言葉になり切れないいまひとつ歯切れの悪い音が、荘一の口から出る。やがて、その視線の鬼ごっこに疲れたのか、荘一は視線を下に落として、早口で言った。
「誤魔化して、サプライズ計画、なんとか成功させようと思ったんだよ。正直に言えば、驚かせられなくなるし」
「はぁ?」
 荘一は、目を合わせてこない。多分情けなさでいっぱいなのだろう。さっきの俺と、同じように。
「……お前さ、俺が浮気を疑った、ってことは、予想してた?」
「してた」
「だったら、誤魔化したら余計面倒なことになるからさっさと誤解を解こうとか、思わなかった?」
「そうしたら、お前にプレゼントのこと話さないといけなくなるだろう」
「かっこつけ優先した、って、そういうこと?」
「……ああ」
「……荘一、お前、馬鹿だろ」
 そうとしか言いようがなかった。それしか出てこなかった。
 珍しくサプライズ企画なんか立てて、それが間抜けにも破綻して、それなのにそのまま継続しようとしてこじらせて、お互い無駄に不安になって、走り回って。
「お前さぁ、普段やらないようなことするから、足が攣るんだよ」
作品名:人生初修羅場 作家名:なつきすい