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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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人生初修羅場

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 だけど多分、俺が同じことをやったら、何か重大なポカをやらかす気がしてならない。そういう場を極力避け続けてきたから対処能力が育っていないし、おそらく元々それほど要領が良いほうでもない。俺なんてどうせ、カタストロフィ映画の登場人物だったら事態に巻き込まれて状況がつかめずにおろおろしているうちにあっという間に死んでしまう十把一絡げのモブキャラに過ぎないだろう。
 だから、俺はこれでいいのだ。
 普段贅沢をしない荘一が珍しく奮発して買ったホームシアターの大きなスクリーンでは、ちょうど主人公が敵の秘密結社からの刺客を退け、とうとう隠された秘宝へとたどり着いたところだった。セットや演出に盛大に予算をつぎ込んだと思われるこの映画は、映像的にはすごいが展開は小学生でも先が読めるような内容で、それでも俳優たちの名演と気の利いた台詞回し、それになにより次々に訪れるピンチの連続に、この年になっても今でもわくわくしてしまった。こういう内容の映画は結構好きで、荘一もそれを知っていて借りてきてくれる。
 物語の中でなら、波乱万丈も一大スペクタクルも大歓迎なのに。暴力的なゲームやアニメが暴力を助長するなんて大嘘だ。だとしたら俺はもうちょっと、少なくとも一般の平均程度にはリスクテイカーになるはずだ。そして、荘一はもうちょっとロマンチストになっているだろう。実際は、胃もたれするほど甘ったるい言葉を囁かれた試しもなければ、俺の誕生日は二年に一度しか覚えていないような男だ。俺が開始後五分で寝てしまうような熱過ぎていっそ薄ら寒いほどベタベタなラブストーリーものの映画が大好きな奴なのに。付き合い始めの頃に一緒にそんなような映画を見に行ったことは覚えているが、内容は覚えていない。その場で買って食べたキャラメルポップコーンの味は覚えているので、初デートでドキドキして映画が頭に入らないとか、そういう遅れてきた思春期的な理由でもない。寝起きの俺は夢の中で見たカンフー映画を現実で観たものと勘違いし、ヒロインのたどった悲劇的な運命に感涙していた荘一をえらく落胆させた。今考えるとよくあれで振られなかったものだと思う。
 あれからもう、四年以上が経つ。一緒に暮らすようになってからは、もうすぐ三年だ。
 その間たいした波乱もトラブルも、ドラマチックな展開もなく、俺たちは淡々と平坦に、けれど楽しく幸せに暮らしてきた。幼い頃から、俺がそうあれと思ってきたように。
 それでいい。身の丈に合わないことを求める気はない、はずだ。そんなのは物語の中だけでいい。外野から覗き込んでいるだけだからいいのだ。そうは思うのだけれど。
 それでも、時々思うのだ。
 もしかしたら俺は、俺が好きな映画のような、あるいはあいつが好きな韓国の恋愛映画のような、ド派手でドラマティックな展開を、心のどこかで求めているんじゃないかって。
 そしてそんな展開は、意外と早く俺の人生に訪れた。
 荘一と、人生で初めての大喧嘩をして、俺は思わず家を飛び出してしまったのだ。
 
 
 それは、くだんの映画を観てから一月も経たない頃だった。
 荘一の残業が増えた。二月から三月の高校教師なんて忙しくなろうと思わなくともいくらでも忙しくなる仕事だ。特に疑問も持たなかった。俺にしたって決算だなんだと仕事が増える時期で帰りが遅い日も多かったし、去年も一昨年もそうだった。夕食の都合があるから、お互いに遅くなるかどうか、夕飯を家で食べるかどうかの連絡だけし合っていた。
 よくよく統計をとれば、あるいは例年とわずかに差があったのかもしれない。だけどきっとそれだって、せいぜい有意傾向ぐらいのものだろう。なんの疑問もなかった。
 けれど、一度でも疑いを持ったら、それすら怪しく思えてくる。
 ある夜、久々に仕事が早く片付いた。荘一は残業だと言っていたので、久々にひとりでのんびりゲームでもしようかと、帰り道にある家電量販店に立ち寄った。贔屓のメーカーの新作RPGが出ているはずだった。
 ゲームやおもちゃを扱うコーナーは三階にある。このフロアはそのほかにテレビやオーディオ、カメラなどを扱っている。一階がパソコンや携帯電話関係で、二階が洗濯機や掃除機、冷蔵庫などといった生活家電だ。俺は真っ直ぐエスカレーターでまっすぐ三階へと向かった。
 ふと、二階と三階の間で、何かが意識に止まった。そのまま気づかないでいればよかったのかもしれない。何かはわからなかった。目の中に一瞬だけ入ったゴミのように、気がついたらなくなっているような違和感だった。
 けれど、俺はすぐに下りのエスカレーターに乗っていた。違和感の正体を確かめずにはいられなかった。二階で降りると、昇りの側に回って、なにかがひっかかったあたりを見回した。
 見間違いだと思った。けれど、間違えるにはあまりに見慣れた顔だった。今日は残業で遅くなるはずの荘一が、洗濯機コーナーにいた。
 どうして荘一がここにいるんだろう。それでも、俺のように急に残業がなくなることもあるだろう。時間を持て余してちょっと電気屋でも、と思ったのかもしれない。声を掛けてやろう。そう思って、足が止まった。
 荘一の隣に、知らない男がいた。勿論、店員ではない。
 
 どうして声を掛けられなかったんだろう。確かめられなかったんだろう。買って来たゲームをしながら、けれどゲームにあまり意識がいかなかった。最初のチュートリアルの敵さえ倒せない。主人公の名前をつけ間違えたことにも気づいた。キャラクターメイキングからやり直そう。DSの電源を落とす。俺の一時間はなんだったんだ。
 別に、荘一が自分の知らない男とふたりでいたからって、そんなことでいちいち妬くほど重たい性格ではないし、俺自身友達は多いほうだと思う。荘一の行動や予定のすべてを把握していたいとは思わないし、空いてる時間を全部一緒にいたくはないし、そんなことをされるぐらいなら別れたほうがマシだと思う程度にはさばさばしている。
 けれど、もやもやが晴れなかった。
 どうして声を掛けられなかったんだろう。俺は自分に問う。結論は簡単だ。どうしていいかわからなかったからだ。予想の範疇を超えていたからだ。
 ただの勘違いかもしれない。仕事が早く済んだから同僚に家電を選ぶのを手伝ってくれと言われただけかもしれない。むしろその可能性のほうが大いにあるだろう。あいつだってそうそう危ない橋を渡るタイプではない、と思う。たったこれっぽっちのことを、これだけ気にしている自分にむしろ驚いたぐらいだ。
 きっと昨日見たドラマのせいだ。浮気が原因で妻が夫を殺してしまう、ベタベタな二時間サスペンス。勿論、仮に浮気だったにしても犯罪行為に走るわけはないとは思う。失うものが大きすぎるし、完全犯罪なんかできるはずがない。
 浮気。その言葉を頭の中で意識した瞬間、ぞくりと背がふるえた。そんなわけない。そんな、わけ。
 その言葉を振り払うように、俺はゲームを再起動した。画面が意識の上っ面だけをなぞって消えていくような感じがしたけれど、序盤はまだそれほど伏線が張られているわけでもないからいいだろう。
 時計の針が少し進んだ頃、玄関のほうからがちゃりという金属音が聞こえた。上半身を起こす。
「おかえり」
作品名:人生初修羅場 作家名:なつきすい