散花妖想
朝貝一雅とは椿の結婚相手で夫になる人間だ。二人の幼馴染でもある。
朝貝は昔から椿に恋心を抱いていた。しかし彼はどうにも鈍い性格らしく、自身の気持ちを自覚していなかった(どう見ても朝貝と椿は互いを思い合っていたので、周囲はやきもきしていた)。だが椿に見合いの話が舞い込んだことをきっかけに、朝貝は自分の思いを認めた。そして彼は動き出した。椿の家に直接乗り込み、突然の訪問を詫びた後、一気に捲し立てたのだそうだ。
――娘さんを私に下さい! 私は娘さんを一生大切にします! 何よりも誰よりも愛します! 見合い話を破談にさせたことなど後悔させないくらい幸せにします! ですのでどうか!
その直接的で、大胆すぎる文句に最初椿の両親は茫然としていた。だが、朝貝の情熱と、元から熟知している人柄、そして椿の思いが決め手となり許可を出したのだそうだ。
愛しく思う相手と結婚出来ることなどほとんどないこのご時世で、それは本当に異例なことだ。
だからこそ、見合いの決まっている相手の家に行って結婚の申し込みをしてのけた朝貝は本当に凄い人間だと思う。それ程椿のことを大事に思えることも、行動に移せることも本当に凄い。
そのような経緯もあって、朝貝は椿を溺愛している。だから椿の花嫁衣装が一刻も早く見たい、と子どものように騒いでいるのだ。それはもう、採寸の時からずっと。
椿は贔屓目無しに見てもかなり容姿が優れているので、朝貝の気持ちも分からなくはない。だが椿の方は、「恥ずかしいし、そう何度も見せるものではない」とすげない。だから今日も、出来上がった打掛を試着しに一人で加苅の店まで来ていたのだった。もちろん朝貝には黙って。
「自分の結婚相手の晴れ姿は式じゃなくても見たいものだと思うけれどね」
「それでも駄目。恥ずかしいもの。それに一雅さんはもっと我慢を学ぶべきだと思うの。加苅さんだってそう思わない?」
「どうかな」
聞きわけの良い朝貝など想像もつかない。それはもう朝貝と呼べない気すらする。彼の一番の長所は、子ども心を忘れず、素直でまっすぐな所なのだから。
自分の返答に不満そうな椿は放っておいて、最終の調整をする。
丈は長すぎないか、糸のほつれはないか。大事な結婚式に着る物なのだから決して妥協は許されない。まして着る相手は椿だ。人によって差を作ってはいけないのは分かっているが、それでもやはり普段とは気の入れようが違う。
「……うん、問題無さそうだ。何か不満な所はない?」
「えぇ、ないわ」
「なら良かった。もう脱いでいいよ」
その言葉を聞いて、椿はあからさまに表情を緩めた。正装は人の気を引き締める。良い着物なら尚更。
「……本当に素敵な打掛。加苅さんは凄いわ」
そんなことないよ、と否定しようとして止めた。自分は職人なのだから、作ったものには自信と誇りを持たなければならない。師匠である、今は亡き父からの教えだ。
だから、加苅はありがとうと言った。
「僕の思いを込めたから……」
本当に、色々な思いを。
「気に入ってくれたなら嬉しい。……何か飲み物を入れるよ。何がいい?」
照れ隠しはばれたらしい。椿はおかしそうに笑って、「緑茶がいいわ」と言った。
「分かった。じゃぁその間に着替えておいて」
加苅は奥の台所で茶を入れに席を立とうとしたのだが。
「……あれ?」
その時、騒々しい足音が急くように玄関に響いた。