カナカナリンリンリン 第一部
【これより林道につき車の乗り入れを禁ず】という看板を見てほっとする。いくら薄曇りの天気にしても木陰が恋しい。木陰でひと休みしながら登ってきた方を見るが、誰も歩いていない。懐かしい土と緑の匂いとともに涼しい風が頬をなでて、生まれ育った田舎を思い出す。少し元気が出てきて歩く速度が増した。
沢沿いにしばらく歩くと、急な坂があった。自然と前屈みになって歩いていたので、坂を登り切った時に急に人が現れたのに驚いてしまった。驚いたのはその中年の女性も同じだったようで「あっ」という声を出した。ちょっと間があって私は「こんにちは」と言った。女性はなぜか複雑な表情をして小さな声で「こんにちは」と言った。その視線は私の顔を通り抜けた後ろにあるような気がした。私はふり返り転がるように坂を下る女性をしばらく見ていた。私の背後に何かを見たのだろうか、たまにそういう人がいるらしいことは知っている。見えるというより、強く感じるらしいのだが、私はそういう体験がない。何が見えたのか教えてくれたら良かったのになあと思いながら歩き出す。
沢を横切るように、平らな石がいくつかあって向こうに道が続いている。一つ目の石に乗ると急に気温が変わったのが感じられた。それほど風があるわけではないので、水温が低いのだろう。気持ち良さにふーっと息を吐く。樹木と湿った土の混ざった匂いがした。前方は杉の林になっている。その下の細い道を歩き出した。
標識があった。木綿の滝まで1キロ、絹の滝まで1・9キロ。バス停にある案内板で見た時は場所を知るのが先決で、滝の名前を深く考えなかったが、なんだか豆腐みたいで、可笑しい名前だなと私は思った。滝の名が先か豆腐が先か、滝の名が先であれば問題ないのだろうと、どうでもいいことを考えながら歩いた。道は再び沢沿いに続いていた。その緩やかな坂道を歩いていくと、前方に数人のグループが見えた。ずうっと一人かなあと思っていたので少しだけほっとする。
作品名:カナカナリンリンリン 第一部 作家名:伊達梁川